情報過多の時代
得るものがあれば、失うものがある。文化が豊かになり、たくさんの機会が保障されればされるほど、一期一会の奇跡に対する感動は薄らいでいく。
誤解してほしくないのだが、ぼくはそれが悪いことだとは思わない。好ましいことには違いないのだ。
もし現在の文化状況が、一期一会の奇蹟*1に対する感動を薄らがせる*2ほどだとすれば、それはもう好ましいものではない。そんな文化を「豊か」だと形容するのも虚しいことだ。
とはいえ、情報の氾濫は個人にはどうしようもない。また、仮に情報をどうにかして規制できる強権をもった独裁者が現れたら、相当悲惨なことになるだろう。具体的にどういう状況になるのかは見当がつかないが、少なくとも、オタク疲れ以上の問題が発生することは間違いない。
現状に不満で、改善案もない。「昔はよかった」と言っても始まらない。自衛策にも限界がある。深く考えると息が詰まりそうだ。
耳と尻尾のある話
- 作者: 一條裕子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/04
- メディア: コミック
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貂*2。
さすが、ケモノ耳スキー*3、ネコ科イヌ科に飽きたらず、とうとうイタチ科にまで行き着いたかっ! でも、鶴屋氏ほどケモノ耳に愛着があるわけではないので、あまりそそられない。まあ、せっかくだから鶴屋氏の顔を立てて、買ってやろうか……などと不遜なことを思いつつ、この本をレジに持って行った。
……ごめんなさい。耳とか尻尾とか、そんな表面的なレベルではなく、より根源的なところで魂を揺さぶる傑作でありました。
なんという奇想!
なんというユーモア!
意表をつく第1話から衝撃の最終話まで、ファンタジーは疾走し、常識は失踪し、ひとたび本を開くや否や、読み終えるまで決して本を閉じることができない、そんな恐るべきマンガだ。
『ムーたち』も凄いが『貂の家。』も凄い。今、日本マンガ界はきっと黄金時代を迎えつつあるに違いない。
ああ、生きていてよかった。
面白いマンガに出会えてよかった。
多数派と少数派はよく似ている
こんな当たり前のことを言うと馬鹿にされるかもしれないけれど、いちおう言っておこう。
多数派と少数派の違いっていうのは、要するに人数が多いか少ないかということだけだって。
人数の違いを抜きにすれば、多数派も少数派もおんなじだ。
何か共通の基準にあてはまる人々の集団、それが多(少)数派。
多数派が少数派を抑圧するのも、少数派が多数派に抗議するのも、結局、似たり寄ったりの連中が騒いでいるだけなんだ。
ごく私的な疑問 その2
「溜飲をあげる」って言い回し、本気で使っている人いるんですか?