書を求めて街に出よう

これを読んで非常に不思議に感じたことがある。それは、

一体、なにが彼らにそこまでamazonを忌避させるのでしょうか……?

という疑問が提起されているのに、その逆、すなわち「一体、なにが秋山氏にそこまでamazonを使用させるのでしょうか……?」という疑問への回答またはそれを示唆する手がかりが文中のどこにも書かれていないということだ。
秋山氏にとってamazonを使用する理由は語るまでもなく自明なことなのだろう。でも、amazonを使ったことがない人間にとっては、当然のことながら事態はまったく明らかではない。せいぜい思いつくのは、目当ての本を簡単に入手できるという利便性だが、仕事で使う本ならいざしらず、趣味の本*1に利便性やら効率性を求めてどうするのだろう? 能率重視ならそもそも本を読んで時間を費やすこと自体、忌避されるべきことだろう。
もちろん、「趣味の読書そのものが無駄」と言い切ってしまうとちゃぶ台をひっくり返すことになる*2し、「どうせ趣味の読書なんだから効率性は完全に無視していいのだ」と言ってしまうと、味噌糞*3だ。とはいえ、「目当ての本を労せずたやすく確実に入手できること」が趣味の読書にとって論じるまでもなく至上の価値である、とは思えない。本との出会いにはさまざな楽しみがあるわけで、自分の足で探し回って買うのが好きな人にとっては、まさに自分の足で探し回って買うこと自体が楽しみのひとつなのだから、その楽しみを味わうためにamazonその他のネット通販を使用しないというのは、非常に目的合理的な行動であって、特段、疑問の余地はない*4
にもかかわらず、秋山氏はあえて問題提起をしている。なぜなのか?
ひとつには、「自分の足で探し回って買うのが好きだから」という回答が秋山氏の疑問に対する答えとなっていることが理解できなかったから、と考えられる。だが、これはちょっとありそうもない。自分の足で探し回って買うという嗜好を秋山氏が全く持ち合わせておらず*5、それゆえこの回答に共感できないとしても、だからといって理解できないということはないはずだ。
おそらく、秋山氏の疑問の核心はネット書店を忌避することにあるのではなく、「自分の足で探し回って買うのが好きだから」というだけでは説明になっていない「(マニアックな本を)延々と近場やたまたま通りすがった店舗に求める神経」のほうにあるのではないか。少し整理しよう。

  • amazonを使わない人は、なぜそれを忌避するのか?
  • 大型店舗にしかなさそうな本を、なぜ中小書店で探すのか?

これらは、本探しの効率性という観点からみれば共通する問題系に属するが、秋山氏自身も註釈をつけているように、厳密にいえば別の問題だ。「自分の足で探し回って買うのが好きだから」というのは前者に対する回答にはなっていても、後者にとっては回答になっていない。
元記事で言及されている秋山氏の友人の行動の理由は、究極的には本人でなければわからない*6のだが、ある程度想像することができる。たとえば、秋山氏は本の流通に関する情報不足が原因ではないかという仮説*7を立てている。だが、ほかにも考えようはあるのではないだろうか?
そう思って、自分自身の経験をもとに、次のようなコメントを投稿してみた。

trivial 『私もamazonを使ったことがありません。理由は簡単で「見つかるかどうかがわからないという不確実さ」が好きだからです。「入っているかな。この書店だとないかもしれないな。でもあったら嬉しいな」と思いながら本棚に目を走らせるのは、リアル書店でしか体験できません。リアル書店の中でも規模が小さければ小さいほどどきどき感が味わえていいものです。』 (2007/09/22 23:33)

「自分の足で探し回って買う楽しみ」に共感できなれば、たぶん「見つかるかどうかがわからないという不確実さの楽しみ」にも共感できないだろう。でも、そのような楽しみがあるという前提のもとでは、先に整理した秋山氏のふたつの疑問の両方が全く疑問の余地なく完全に合理的に解消されるはずだ。大事なのは共感ではなくて、理解だ。
というわけで、このコメントを投稿した段階では、これで問題はおしまいだと思っていたのだが、後から振り返って考えてみると、これはどうもおかしい。秋山氏の友人のことは知らないけど、自分自身を振り返ってみれば、中小書店にも行くけど大書店にも行く。もし、どきどき感を重視するのなら、大書店で本を買うことの説明がつかないではないか!
そこで考え直してみた。小さな書店に入って、そこで思いがけない発見をする楽しみというものは確かにある。だが、それを主目的に書店を回っているわけではない。近場やたまたま通りすがった店舗にふらっと立ち寄るのは何か別の行動原理に基づくものだ。

あれこれと一日半ほど考えを巡らせてみた*8結果、書店巡りの動機は空間把握欲求に基づくものではないか、と思い当たった。
「空間把握欲求」という言葉は、この話題を説明するために考え出したもの*9で、特に典拠があるわけではない。読んで字の如く、空間を把握したいという欲求のことだ。
我々を取り巻く空間には切れ目もなければ節目もない。空間の広がりをまるのまま把握するのは、有限の認識能力しか与えられていない人間には不可能なことだ。だが、自然が生んだ山や川や海、人間が作り出した鉄道や郵便局や書店を目印として行動すれば、「切れ目も節目もなくのっぺりとした、ただ果てしなく広がっている空間」とは違った、具体的で秩序だった空間像を得ることができる。それは、限りなく単純化された不完全なものに過ぎないが、まったくの無知と同じではない。
さて、この空間把握欲求の充足を基準とした行動には程度の差がある。たとえば、鉄道趣味を例にとると、国内に限られるのか海外まで足をのばすのか、とか、路線を乗りつぶすだけでよしとするのかそれとも全駅完訪を目指すのか、とか、JRをメインに攻めるのか私鉄も含むのかケーブルカーはどうするのか2種鉄道の扱いはどうか臨時列車しか走らない貨物線にも乗るのか時刻表基準か鉄道要覧に頼るのかロープウェイまで手を出したらきりがないけど遊覧鉄道には乗ってみたいが線引きはどうする、とか、さまざまな範囲や濃度があり得る。
書店巡りでも同じことで、全国津々浦々、すべての書店を巡ってみようと志している人もいるだろうし、範囲は絞り込むがそのかわりに棚の配置や品揃えに目配りする人もいるだろう。中には、空間把握欲求の充足それ自体を目的として行動するのではなくて、何か欲しい本があれば、その本を探す過程でのみ書店に立ち寄るという人もいる*10だろう。いずれにせよ、彼もしくは彼女にとって、本を買うということは、単に本を読むための前段階の手続きなのではなくて、それ自体が価値をもつ活動でもあるのだ。
amazonを使わないからといって、別にamazonを忌避しているとは限らない。単にamazonに用がない*11から使わないだけかもしれない。目当ての本がありそうもない近場の中小書店に立ち寄るのは、大型書店の存在を知らないからとは限らない。目的の本の不在を自分の目で確認するためかもしれない。
中小書店の品揃えは金太郎飴*12のようだ、とよく言われる。それは確かにそうなのだが、だからこそ意外な出会いや発見がある*13こともあるので、まんざら捨てたものではない。そんな出会いはいらない、予め購入計画を立てた本を入手するだけで手一杯だ、というぎりぎりの読書生活を送っている人もいるただろうが、本棚を眺めるだけならただだ。近所にふだん立ち寄らない書店があれば、たまに入ってみるといいかもしれない。必要なのはほんの数分、そして効率性や利便性をしばし脇においておける心の余裕だけ。

*1:元記事ではCDやゲームのことについても触れられているが、ここでは本で代表させることにする。それによって特に論旨が歪められることはない……と思うが、歪曲してしまったらごめん、と先に謝っておく。

*2:「ちゃぶ台」というのは、昔の日本の庶民が食事のときに用いたテーブルのことだ。野球部の選手が重いコンダラをひっぱってグランドをならした時代には、頑固一徹おやぢは自分の気に入らないことがあると、よくちゃぶ台をひっくり返して畳にご飯やら味噌汁やらをぶちまけた。ここから転じて、議論の前提となる条件を拒否することを「ちゃぶ台をひっくり返す」と言うようになり、頑固おやぢもちゃぶ台も絶滅した平成の世に受け継がれている。

*3:味噌というのは古来より日本の食生活に欠かせない調味料のひとつで、前述のちゃぶ台の上の味噌汁にも用いられている。見た目は人間の排泄物と多少似ているが、だからといって味噌のかわりに糞を料理に用いるのはあまりお薦めできない。

*4:もちろん、「なぜ自分の足で探し回って買うのが好きなのか?」という疑問が生じる余地はあるだろう。しかし、それは当初の「なぜamazonを使わないのか?」という問いから少し外れた問題である。

*5:本当にそうなのかどうかは知りません。

*6:もしかすると本人でもわからないかもしれない。習慣的な行動は必ずしも自分自身にとって十分に理解されているとは限らないのだから。

*7:本文の2番目の註釈参照。コメント欄で秋山氏は、電撃の新刊を買うという明確な目標に対して、電撃組に入っていない書店を回る行動に疑問を呈しているが、件の秋山氏の友人が単にどの書店が電撃組か知らないだけなのかもしれない。

*8:もちろん、ずっと考え続けていたわけではない。

*9:最初「地理的探究欲求」という言葉を思いついたが、あまりにも大仰なのでやめにした。「空間把握欲求」でも似たり寄ったりじゃないかと思われるかもしれないが、これ以上ひらたい言葉が思いつかなかったので仕方がない。

*10:というか、そういう人のほうが多数派だろうと思う。

*11:実際、ネット書店を使わないと入手できない本などほとんどないし、なければないで諦めればいい。どうしても入手したい切実な理由があって、ネット書店でなければ手に入らないとわかっていれば、件の秋山氏の友人でもネット書店を使うだろう。

*12:金太郎飴は日本の伝統的な駄菓子の一つ。堅い棒状の飴をポキッと折るとその断面に金太郎の顔があらわれるので、その名前がついた。意匠は金太郎の顔に限られるわけではなく、理論上は金太郎の右の二の腕や金太郎の臍、金太郎の左足の裏をあしらった金太郎飴を作ることも可能なはずだが、実際にはそのような金太郎飴はほとんどない。

*13:たとえばこんな出会いとか。