「ミステリの一戒・一則を考える」に関する覚え書き

出勤前で時間がないので、とりあえず2点のみ。
その1。
現代ミステリに十戒も二十則もいらないのでは - 萌え理論Blogでは、「たった1つの簡略版で十分なのではないか」と書いているので、そこで提示された一戒・一則はミステリがフェアであるための必要十分条件、すなわちフェアプレイを過不足なく特徴づける条件だと考えられたが、ミステリの一戒・一則を考える - 萌え理論Blogでは「フェアな推理小説の(必要)条件」「少なくとも、十分条件ではなく必要条件だという弱い主張にした場合」と書かれているので、若干主張が弱められている。この弱いヴァージョンの一戒・一則には「それだけでは足りない」という指摘は反論とならない。
その2。
通常、形式論理学では矛盾は情報不足ではなく情報過多として取り扱われる。前提に1つでも矛盾が含まれている場合には任意の命題が導出可能となる*1からだ。したがって、矛盾したデータが使い物にならないことは言うまでもないが、情報不足で推理ができない場合とはいちおう区別しておくべきだと思われる。

*1:ただし、ミステリの「論理」ではおそらく関連性の縛りがかかるため、矛盾したデータから文字通り宇宙の森羅万象が結論づけられることにはならないだろう。