ラテンアメリカ文学から影響を受けたという奔放な文体と衝撃的な展開を併せ持つこの傑作こそ、桜庭にとってのメルクマールといっていい。
これを読んだとき、おやっと思ったのだが、ラテンアメリカ文学といえば、『伝奇集』と『エレンディア』しか読んだことがないので、その場では『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のタイトルの誤記だけ指摘しておいたのだが……。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080119-00000009-maiall-ent
『砂糖菓子〜』ではなく『少女七竈と七人の可愛そうな大人』ですね、ラテンアメリカ文学の影響を受けたというのは。とはいえ「奔放な文体」と「ちょっと違和感のある文体」では意味が逆のような気がします。
フォローありがとうございます。ここら辺は一々確認しながら書いているわけではないのでいいかげんな部分もありますが、じっさい桜庭一樹の小説を読んでいると、マルケス辺りと文体に共通点があることはわかる気がします。
このやりとりを見て、おいおいちょっと勘弁してよ、と言いたくなった。何を勘弁してほしいのか自分でもよくわからないのだが、無理矢理整理すると次のようになる。
ラテンアメリカ文学の影響云々のソースを一々確認しなくても、マルケスと『砂糖菓子〜』の両方を読んでいるなら、両者の間に明確な影響関係がないことくらいはわかるはずだろう。文中で紹介されているコメントをどう読めば「フォロー」になるのだろうか? 海燕氏の意見の補足というより、海燕氏の誤りを正しているのではないか。そもそも『砂糖菓子〜』と『少女七竈と七人の可愛そうな大人』とでは文体が全然違っているのに「桜庭一樹の小説」と一括して語るのはいかがなものか。*1作者じゃなくて作品が重要なんばってば。
ところで、桜庭一樹の全作品中、もっともラテンっぽいのは「1、2、3、悠久!」ではないかと思うのだが、如何?
追記(2008/01/23)
桜庭一樹とラテンアメリカ文学:close-channelによると、『砂糖菓子〜』にも南米文学の影響がある由。ということは、上の文章がよって立つポイントが崩れてしまったことになる。本来なら全文削除すべきところだが、コメント欄でのやりとりのことも考慮して、箇条書きの箇所のみ見え消し処理した。
他人の調査不足を指弾する前に、まず自分が襟を正すべきであり、それを怠って愚劣な文章を公表してしまったことは言い訳のしようがない。反省のため、しばらく日記の更新を中断します。