消えていく言葉

いつ、どこでだったのかは忘れたが、「縄を編む」という表現を見かけたことがある。一瞬、縄を使って何かを作る工程のことかと思ったのだが、前後の文脈からそうでないことがわかった。縄の原料である藁を「編んで」縄にする工程のことを指していたのだ。
それは「編む」のではなく「なう」だ。日本語として間違っている。
とはいえ、日常生活で「なう」という動詞を用いる機会が非常に減っていて*1、そういう言葉があることを知らない人がいてもおかしくないだろう。「なう」を漢字で書けば「綯う」だが、「綯」は常用漢字に入っていない。
つい最近、ある小説*2を読んでいると、次のような一節があった。

「あの機械ですが、何なのかご存じないですか。見る限り農具小屋だと思うんですが、何に使う機械か知らなくて」
私も馴染みがあるわけではない。しかし、前の住人との折衝する中で話を聞いていた。
「ああ、古い脱穀機です。米を収穫したら、あれで米粒を稲穂から取り外します。あれはついでに籾殻も取って玄米にするタイプですね」

なんとも回りくどい言い回しだと思ったが、稲作と無縁な生活を送ってきた人に「脱穀」とか「籾摺り」という言葉を説明なしに使っても理解できないので「米粒を稲穂から取り外す」とか「籾殻を取って玄米にする」などと言わないといけないのだろう。そういえば「籾」*3常用漢字に入っていない。
さて、脱穀、籾摺りが終われば、次は精米だが、この精米作業のことを「米をつく」という。「つく」を漢字で書けば「搗く」だ。「搗」も常用漢字には入っていないけれど、言葉自体ははさすがに今でも現役だと思うのですがどうでしょう?
同じ「つく」でも「味噌をつく」では意思疎通が難しいかもしれない。下手に口にすると「は? 味噌を作るということ?」と聞き返されてしまうだろう。というか、聞き返された。
「つく」の典型例は餅つきだ。杵と臼でぺったんぺったん。味噌にも同様の工程があり、その工程のみを指して「味噌をつく」と解している辞書もある。

味噌を作るために、よく煮た大豆をつくこと。味噌豆をつくこと。[季]冬。

ただ、「豆をつく」と「味噌をつく」はやはり違うのではないかと思う。前者は物理的に「つく」工程のことでいいが、後者はその工程を含めて、もう少し大きな流れを指しているのではないかと思うのだ。すなわち「味噌を作る」ということなのだが、この言い方には、たとえばコーヒーを淹れることを「コーヒーを作る」と表現するときに感じるような違和感がある。
ともあれ、いまや「味噌をつく」は消えつつある言葉なのかもしれない。さびしい話だ。

*1:「なう」そのものより「ない交ぜ」のほうが使用頻度が高いかもしれない。

*2:あえてタイトルも作者名も伏せる。なぜ伏せるのかという理由も伏せておいたほうが無難だろう。

*3:上で引用した箇所は、原文では「籾殻」にルビが振ってあるのだが、面倒なので割愛。読めない人は検索するなり人に聞くなりしてください。