一本足の蛸 このページをアンテナに追加 RSSフィード

「なぜなら彼女は一本足の蛸です。彼女の足は他の誰にも繋がっていません。人として生まれながら人類や他の生命体の何とも共有する部分を持たないのです。真の孤独とは、彼女のために用意された言葉ですよ」

谷川流『絶望系 閉じられた世界』電撃文庫(2005),p.243

2012-05-14

[]3つのキーワードで読み解く『氷菓23:19 3つのキーワードで読み解く『氷菓』を含むブックマーク 3つのキーワードで読み解く『氷菓』のブックマークコメント

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

今日の見出しは少し思わせぶりなので「『氷菓』を3つのキーワードで読み解くとはいったいどういうことか?」とか「そもそも3つのキーワードとは何か?」という疑問が思い浮かぶかもしれない。

もったいぶっても仕方がないので、手の内を明かしておこう。順序は前後するが、3つのキーワードとは何かという疑問から回答する。それは、次の3つだ。

次に、この3つのキーワードから『氷菓』を読み解くというのはどういうことなのかについてだが、ここで筆者は読者諸氏に謝らなければならない。実はこの文章は、『氷菓』を読み解くのには全然役に立たないのだ。

ごめん。

ただ、思わせぶりな見出しをつけてみたかっただけなんだ……。

さて、2つの疑問に答えたところで早速本題。今日取り上げる本は米澤穂信のデビュー作、『氷菓』だ。この小説は2001年11月に刊行され、その後紆余曲折あって今年4月にはアニメ化された。たぶん今でもアニメは続いているはずだが、チェックしていないのでどんな内容になっているのかは知らない*1。そのうち何かの機会があればアニメも見ることにしよう。

ここで少し自分語りになるが、『氷菓』を初めて読んだときのことを少し話そう。あれは忘れもしない、今から10年前の2002年のこと、でも正確な日付は忘れてしまったが、たぶん8月26日か27日のことだ。知人が『愚者のエンドロール』をえらく手放しで褒めていて気になったので気になって書店で探してみると、その隣に『氷菓』があった。言うまでもないが、当時は『氷菓』も『愚者のエンドロール』もスニーカー文庫から出ていた。また、これも言うまでもないが、どちらも初版だった。『氷菓』のカバー絵は上杉久代、『愚者のエンドロール』のそれは高野音彦だったので、最初、同じシリーズだと気づかなかったほどだ*2

この『氷菓』初読時の感想を書いた文献が残されているので紹介しよう。

ところで、この米澤穂信なる人物、いったいどういう経歴の人物なのだろうか? そう思って本を開くと、『氷菓』(角川スニーカー文庫)の作者だった。去年この本が出たときに少し話題になったのを覚えていたが、作者名はすっかり失念していた。何人かの知人から感想を聞くと「『日常の謎』派で、それなりにしっかりと書けてはいるものの、あまり鮮やかな解決とはいえない」というような意見だった。ついでにこちらも手に取ると「折木奉太郎」という名前が二作に共通していることがわかった。タイトルやカバー絵から受ける印象はかなり違っているのだが、どうやらシリーズ物らしい。

 さて、どうするか。

 しばらく迷ったものの、やはりシリーズものは最初から読んだほうがいいだろう、という結論に達した。『氷菓』は薄い本なので、さほど時間がかかることはないだろうし。そこで二冊まとめてレジへと運んだ。

 『氷菓』は予想通り簡単に読めた。掴みはうまいし、キャラクターのかき分けも出来ている。一つ一つの謎は小粒だが、折り目正しいミステリを書こうとしている姿勢には好感が持てる。ただ、やはり「氷菓」の真相にはやや拍子抜けした。これも予想通り。知人の感想は的を射たものだった。もし刊行当時に読んでいたなら、次作に手を出すかどうか迷ったことだろう。だが、既に私の手元には次作がある。そこで、続けて『愚者のエンドロール』を読み始めた。

 ……。

 これは面白い。「凄い」とか「感激した」という語気の強い言葉はあまり使いたくない。しみじみと、または、ほのぼのと脳髄に染み入る面白さだ。さりげなく、しかし力強く他人に薦めたくなる本である。

あれ? あまり好意的な感想じゃないな???

まあいい。

氷菓』初読から10年の歳月が流れた。その間に確か1回再読したような気がするのだが記憶違いかもしれない。いずれにせよ、ずいぶん久しぶりに『氷菓』を読み直すことにして、つい先ほど読み終えたばかりだ。今の感想を簡単に述べるとこうだ。

掴みはうまいし、キャラクターのかき分けも出来ている。一つ一つの謎は小粒だが、折り目正しいミステリを書こうとしている姿勢には好感が持てる。ただ、やはり「氷菓」の真相にはやや拍子抜けした。

おお、10年前と同じだ。

だが、人間、10年生き延びればその間になんらかの進歩はあるはずだ。同じ小説を読んでもまったく同じ感想ということは決してない。たとえば、10年前には気づかなかったが、今回の再読(再々読?)で気づいたことがある。それが1つめのキーワード糸魚川」に関わってくる。

氷菓』には糸魚川養子という名の人物が登場する。70ページ13行目では「教諭」とされているのに、その次の行では「司書」とされている。もしかしたら司書教諭かもしれないが、この小説の記述だけからではよくわからない。

糸魚川」といえば新潟県にある地名だ。糸魚川市もあれば糸魚川駅もあるから、その読み方も含めて比較的よく知られていると思われる。ただし、「糸魚川」という名前の川は糸魚川付近には存在しないそうだ。

一方、人の姓で「糸魚川」といえばかなり珍しいのではないか。「折木」とか「千反田」という姓の人物が出てくる小説なのであまり目立たないかもしれないが、実際に生きて動いている糸魚川さんを知っている人は稀だろう。小説の中だけの架空の姓だと思った人もいるかもしれない。

だが、そうではない。糸魚川さんは実在する。

新潟県である越後国頸城郡糸魚川が起源(ルーツ)である。近年、岐阜県恵那地域に多数みられる。「川」は川の地形を表す。

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岐阜県に多い苗字(名字)によれば、糸魚川姓の人約1000人のうち60パーセントが岐阜県に住んでいるらしい。全国的には稀な姓であっても岐阜県ではさほど珍しい姓ではないということになる。

氷菓』を初めて読んだときにはこのようなことは全く気にしていなかったが、今回、こういうことを調べてみたのは、その後知己を得た糸魚川さんという人がいるからだ。以前、出身地を尋ねてみると予想に反して岐阜県だった*3ので印象に残っていた。『氷菓』に糸魚川という姓の人物が出てきて、知り合いの糸魚川さんが岐阜県出身で、そして『氷菓』の作者もまた岐阜県出身だということになれば、そこになんらかの意味があるのではないかと考えてみるのは至極当然のことだろう。

で、調べてみた結果は、先に述べたとおり「糸魚川姓は岐阜県に多い」という、まあ、どうでもいいものだったのだが、それでも全く無益な情報だというわけでもない。この情報を知らなければ、「『糸魚川』という姓は米澤穂信が創作したものだろう。ではどうしてそんなことをしたのか? 下の名前の『養子』が奇名だから、それに見合う珍姓を添えたのだろうか?」などと余計な詮索をして『氷菓』を正しく読み解けなくなっていたことだろう。

さて、「糸魚川」ばかりにあまり関わっていると日付が変わってしまうので先を急ぐことにしよう。次は2番めのキーワード道具主義」だ。これは『氷菓』8ページ11行目、福部里志の台詞に出てくる言葉だ。

「やらなければいけないことなら、やらない。やらなければならないことは手短に、だ」

俺がモットーを披露した時の常で、里志は処置無しというように肩をすくめてみせる。

省エネでも厭世でもいいさ。どっちにしても同じことじゃないか。道具主義って知ってるかい」

「さあな」

「要するにだね。これといった趣味もなく、この多彩な部活動の殿堂神山高校で部活にも入っていないホータローは、結果だけ見れば灰色そのものだってことだよ」

道具主義」というのは哲学用語だ。古くは「Pragmatism」の訳語として用いられたが最近ではカタカナで「プラグマティズム」と書くことが多い。現在では、科学哲学用語として用いられることがほとんどだ。いずれにせよ、ふつうの高校一年生が知っている言葉ではない。だが、ちょっと背伸びした高校生、たとえば里志のような人物であれば知っていてもおかしくはない。

この場面でさらりと「道具主義」という言葉が持ち出され、「さあな」の一言ですぐに話題から外れてしまうが、これだけでも福部里志という人物の性格が見事に示されていると評することができるだろう。米澤穂信はデビュー作にして、言葉を自由に操って登場人物の性格を浮き彫りにする術を身につけていたのだ!

……と持ち上げたところで3番目のキーワード中等教育」に移る。これは112ページ2行目、千反田えるの台詞の中で出てくる。

「遠垣内ですか。中等教育に影響力のある家ですよ。県教育委員会に一人いて、市のにも一人。あとは校長が一人と現役教師が二人ほどいるはずです」

なるほど、ね。

中等教育」というのは、概ね、中学校と高等学校で行われる教育のことを指すが、ふつうの高校一年生が知っている言葉ではない。だが、ちょっと背伸びをした高校生、たとえば千反田のような人物……あ、あれ?

千反田えるの口から「中等教育」という言葉が出てくるのにはやや違和感がある。また、馴染みのないはずのこの言葉を聞いても特に問い返さずに了解してしまう奉太郎も奉太郎だ。米澤穂信はデビュー作にして、登場人物の性格や知識レベルにあまり頓着することなく、自分の知っている言葉を無造作に割り振ったのではないかという疑念が沸き起こってくる。

道具主義」のときの賞讃の念がみるみる萎んでいくのを感じながらさらに読み進めていくと、この「中等教育」にもう一度出会うことになる。それは166ページ7行目、途中の1行空きも行数に含めるなら8行目のことだ。かつての校長の言葉の一部として「中等教育」が出てくるのだが、そこまでくると物語はもう終盤であり、『氷菓』をまだ読んでいない人もいる前で大きく踏み込んであれこれ述べるのは控えるべきだろう。ただ、「中等教育」という言葉を千反田えるが口にしたことにはなんらかの意味がありそうだという気はする。それが具体的にどのような意味なのかはよくわからないが、単に無造作に言葉をあてがったというのではなさそうだ。

以上、『氷菓』のストーリーにもミステリ要素にも一切言及することなく、感想文を書きました。ね、この文章、『氷菓』を読み解くのには全然役に立たないでしょ?

*1:マンガ版『氷菓 (1)』は先日買って読んだ。ところで、『氷菓 (3) オリジナルアニメBD付き限定版 (カドカワコミックス・エース)』って何?

*2:絵のイメージが思い浮かばない人はこちらを参照されたい。

*3:地名からの類推で、てっきり新潟県出身だと思っていた。

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