推理小説になる宿命により推理小説になった推理小説のパロディ

名探偵の証明

名探偵の証明

第23回鮎川哲也賞受賞作『名探偵の証明』を読んだ。私見では、これは「推理小説になる宿命により推理小説になった推理小説のパロディ」だ。どういうことかと言えば……その説明の前に、まずこの小説についての版元の紹介文を引用する。

そのめざましい活躍から、1980年代には「新本格ブーム」までを招来した名探偵・屋敷啓次郎。行く先々で事件に遭遇するものの、ほぼ10割の解決率を誇っていた。しかし時は過ぎて現代、かつてのヒーローは老い、ひっそりと暮らす屋敷のもとを元相棒が訪ねてくる――。資産家一家に届いた脅迫状の謎をめぐり、アイドル探偵として今をときめく蜜柑花子と対決しようとの誘いだった。人里離れた別荘で巻き起こる密室殺人、さらにその後の屋敷の姿を迫真の筆致で描いた本格長編。選考委員絶賛の本格ミステリの新たなる旗手、堂々デビュー。

この紹介文を読んだとき、ふとこれが脳裏をよぎったのだが、読んでみると全然違った。当たり前のことだが、『名探偵の証明』は正真正銘の推理小説だ。さらにいえば、この小説は「推理小説になる宿命により推理小説になった推理小説のパロディ」と言えるのではないか、と思ったわけだ。
引用文ばかりで恐縮だが、次の文章を読んでいただきたい。

「これはぼくの偏見なのだがね。かりに謎解き小説の歴史をポーに始まると考えれば、ポーその人で終っているのじゃないか」
コナン・ドイルのホームズ物はどうなのだ?」
「あれは、実に巧みな冒険小説であり、英雄物語なのだね。だからこそ、ホームズ物のパロディが輩出するわけだ」
「きみのお好きなチェスタートンはどうなんだ?」
「日本のある作家が、チェスタートンのブラウン神父物は、謎解き小説のパロディだと喝破したが、ぼくも、そう思う。〈推理小説のパロディは推理小説になる宿命にあるし、また、そうならなければおかしい〉というのが、ぼくの持論だ。チェスタートンのトリック創案率はコナン・ドイルの倍以上、というのは、江戸川乱歩の有名な計算だが、チェスタートンは〈たかが探偵小説〉と考えたからこそ、数多くのトリックを案出できたのだろう」

これは小林信彦の名作『超人探偵』の一節*1で、神野推理という名の名探偵が推理小説について論じるシーンだ。作中人物の言葉を作者の考えと同一視するのは危険だが、「「推理小説のパロディは推理小説になる宿命にある」というテーゼについては、「あとがき」でも触れられているし、確か別の小説でも似たようなことが言われていた覚えがある*2から、小林信彦の持論と考えて差し支えないだろう。
もちろん、推理小説になるという宿命から逸れてしまった推理小説のパロディは数多く存在するが、『名探偵の証明』はそのような月並みな凡作とは一線を画している。ある意味、チェスタトン*3の系譜に属するともいえる。チェスタトンといえば、カトリシズムに裏打ちされた逆説とか、奇抜な物理トリックとかがまず思い浮かぶが、『名探偵の証明』が継承しているのは、そういった要素ではない。
上の『超人探偵』からの引用文によれば、日本のある作家*4が、ブラウン神父物を謎解き小説のパロディだと喝破したそうだが、ブラウン神父物のなかには、英雄物語たるホームズ物のパロディも含まれている。『ブラウン神父の不信』に収録されている「ブラウン神父の復活」がそれだ。タイトルからも『シャーロック・ホームズの復活*5のパロディだとわかるが、作中でブラウン神父自身がホームズに言及するシーンもある。
「ブラウン神父の復活」に描かれているのは、マスメディアが発達した消費社会において、名探偵がアイドル化されて大衆の娯楽として受容されるという状況だ。単なる名探偵の戯画化ではなく、大衆とメディアに翻弄される名探偵、という新たな切り口*6を提示しているのが特徴的だ。この着想は脈々と現代まで受け継がれ、そして『名探偵の証明』に至る*7というわけだ。
チェスタトンはさておき、『名探偵の証明』のパロディとしての質の高さは、冒頭から大ネタを惜しげもなく使い捨てにしているところからも窺える。孤島と本土で発生した二重連続殺人事件というプロットを展開すれば、ふつうの長篇推理小説を物することもできただろう*8に、作者はこのアイディアを名探偵の屋敷啓次郎の過去の推理の冴えを示す一エピソードとして、わずか20ページ程度で語ってしまう。なんともったいないことだろう!
だが、このもったいない捨てネタが前置されているために、続くメインの事件での名探偵の情けなさがより引き立つことになる。どうしようもなくありふれたトリックを前にして、全く見当はずれの推理しかできない屋敷啓次郎は作中のライバル(?)蜜柑花子だけでなく、標準的な読者の推理力以下ですらある。これは何とも哀れだ。
老いた名探偵の衰えをテーマにしたパロディといえば、阿刀田高ショートショート「最後の事件」*9が思い浮かぶが、これが「推理小説のパロディの宿命」からはるか彼方に位置しているのに対して、『名探偵の証明』は「宿命」を引き受けて高みへと到達している。老探偵の苦悩や周囲の人々の葛藤などという「人間ドラマ」を踏み台として、高次のパズルを構築している*10のだ。まさに、謎解き小説ここにあり、という感がある。
手放して褒めたいところだが、一つだけ不満がある。それは、屋敷啓次郎が事件から逃げたせいで蜜柑花子を過労でダウンせしめた人体発火殺人事件の顛末が全く書かれていないということだ。作者は『名探偵の証明』三部作構想を温めているそうなので、是非とも続篇ではこの不可解な事件を解明してもらいたいものだ。

*1:新潮文庫版で321ページから322ページ。

*2:たぶん『発語訓練』に収録されている「サモワール・メモワール」だったのではないかと思うが、もう随分前に図書館で本を借りて1回読んだきりなので、記憶違いがあるかもしれない。なお、この本は文庫化の際に『素晴らしい日本野球』と改題されている。

*3:上の引用文では「チェスタートン」になっているが、昔から馴染んでいる創元推理文庫では「チェスタトン」と表記しているので、そちらを採用することにした。

*4:というのが小林信彦本人を指すのか、それとも別の作家を指すのかは不明。なんとなく井上ひさしのような気がするのだが、特に根拠があるわけではない。ご存じの方はご教示ください。

*5:余談だが、コナン・ドイルのホームズ物の第3短篇集のほかに、ジュリアン・シモンズの長篇にも『シャーロック・ホームズの復活』という小説がある。この作品も『名探偵の証明』とあわせて読んでいただきたいのだが、残念ながら現在では入手がかなり困難になっている。

*6:そのような視点がチェスタトン以前に全くなかったとは断言できないが、少なくとも「ブラウン神父の不信」が極めて初期の作例であることは確かだ。

*7:ミステリーズ! vol.61」に掲載された市川哲也インタビューでは、名探偵そのものの存在がテーマとなっている先例として『名探偵に薔薇を』と『冬のオペラ』に言及しているが、本文で述べた観点では、これらの作品は『名探偵の証明』とあまり似ているわけではない。

*8:もっとも、似たシチュエーションの有名作2作のアイディアの合わせ技であるため、勘のいい読者には気づかれてしまう恐れはあるだろうが。

*9:食べられた男』に収録されている。ちなみに、この小説の主人公の名前は「銀田一探偵」というベタなもの。

*10:このあたりの説明を詳しくしようとするとかなり内容に立ち入ることになる。未読の人に予備知識を与えるという犠牲を払ってまで、わざわざ説明する必要はないと思うので省略。