一本足の蛸 このページをアンテナに追加 RSSフィード

「なぜなら彼女は一本足の蛸です。彼女の足は他の誰にも繋がっていません。人として生まれながら人類や他の生命体の何とも共有する部分を持たないのです。真の孤独とは、彼女のために用意された言葉ですよ」

谷川流『絶望系 閉じられた世界』電撃文庫(2005),p.243

2015-01-01

[]年の初めに 13:47 年の初めにを含むブックマーク 年の初めにのブックマークコメント

昨年はどうやら1月1日に日記を書かなかったようだ。何か事情があったのか、それとも単に気が向かなかっただけなのかは、今となってはもう思い出すことができない。

では一昨年はどうだったかといえば、こんな文章を書いている。

今さら言うまでもないが、一年の始まりとか終わりとかいう区切りは人間が勝手に決めたもので、客観的に実在するようなものではない。また、人間社会の中でも暦法によっても一年の区切りは異なるし、同じ暦法を採用していても、国や地域によって異なることがある。

そうすると、一年が始まった瞬間に「あけましておめでとう」と言うのは、実は新年の訪れを言祝いでいるというよりも、自分が属する地域社会が採用している暦法や標準時へのコミットを改めて表明するという意味合いのほうが強いのかもしれない。

それはともかく、昨年「あけましておめでとう」と言ってから、今年「あけましておめでとう」と言うまでの間におよそ一年の月日が流れているのは間違いない。それは暦法や標準時に関係ない歴然とした事実だ。そして、一年の時間の経過は余命が一年短くなった証でもある。

門松は一里塚 - 一本足の蛸

2年前にもうゴールに到着していたという感じがする。もはや付け加えることは何もない。

ただ、件の文章の後の方で、バッハま「クリスマスオラトリオ」に含まれる「受難コラール」に言及しているのだが、それについて少し補足しておくと、キリストの誕生を祝う音楽にその死を暗示する要素を含めるのはバッハに限ったことではない。2年前は知らなかったのだが、その後、グラウプナーのクリスマス用のカンタータのCDを入手して聴いてみると、やはり「受難コラール」の旋律が入っていた。もしかすると当時のドイツプロテスタント音楽ではさほど異例のことではなかったのかもしれない。

さて、その前年、2012年の1月1日には今年の読書の目標 - 一本足の蛸という記事を書いていた。今年も目標を立てたいところだが、あまり冊数にこだわっても仕方がない。かといって冊数以外に目標数値をあげるのは難しい。

昨年は総計126冊の本を読んだが、マンガが大半を占めている。今年はもう少し小説にシフトすることにしたい。だいたい50冊程度。無理かなぁ。

もう一つ目標を立てておこう。これまでに1冊も読んだことがない小説家の本を10冊以上読むというものだ。とりあえず、新年初読みはこれにしようと思っている。

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)

「なぜ今、獅子文六?」

「今ここに本があるからだ!」