TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

11/28ソワレ、30ソワレ『ALTAR BOYZ』

日比谷と歌舞伎町で二兎を追いかけているせいで、12月前から気分は師走だったのですが、なんととうとう本番がやってきてしまいました。\ひえー怖っ!/

ダブルトリプルクワトロキャストでいろいろな組み合わせがあるよ、というミュージカルでなくて、ひとかたまりのペアないしチームがいくつかあって、それぞれの組によってそれぞれ固有のカラーがある、という経験をしたのが、いまのところアルターボーイズとスリル・ミーと、あとテニミュ(1st全国氷帝でもあったけど、四天4A5Bがたぶん前のふたつの状態に近い)だけで、だからまあそれぞれをそれぞれに当てはめて、勝手にいろいろ考えたり、たとえ話をしてしまう今日この頃です。

今回新生REDが初アルターだよ!という友人が周囲にぱらぱらといて、彼女らが、まさにあの子たちがわたしのアルターボーイズなんです、というはまり方をしているのをみて、2010年に初めて私が、私のアルターボーイズと出会った時を思い出して、とてもあまずっぱいような息苦しいような気持ちになりました。あまずっぱい、って言い方がなんだかもうこそばゆいけど、それ以外に適切な言葉があまり浮かばない。もうたぶんほんとのほんとうの意味では、頭をなぐって記憶を消去しない限り、味わえない気持ち。どんな作品であっても初めの一回ってひとりにひとつだから。ワンチャンスしかない!これは持ってたらいいことがあるやつです。なんでいまさらアルターボーイズにハマってるんだろう私でも本当に出会えてよかった!みたいなことを、ずっと前、それこそ2010年のときはすでにお互い知っていた友人に言われて、タイミングってそれぞれだよなとニヤついてしまったり。彼女のボーイズは新生REDだけれど、一番好きなチームが違っても、ぎゅっと詰まったみたいな好き、は共有できるものじゃないかな、と思っているので、この作品の芯の部分について、こんなに時を経てこのひとと話しているなんて!といううれしい驚きと出会えた2014年でした。まだ終わってないです。

この作品、もうちょっとおかしいくらいリピーターが多い作品で、私もそのおかしいひとたちの端っこあたりにいるのですけど、今までボーイズとして見たことがない彼らがボーイズとして、あのそらんじれるほど記憶に濃い台詞を口にすると、刻まれているひとたちのそれとはまたリズム感やイントネーションが違って、とても新鮮な気持ちで観劇できるのだなあと、前回2012年にオレンジやグリーンの彼らをみたときもこんなだったかな、と。すごく楽しみながら、そんなことを考えていました。新生REDの彼らもとてもかわいかったです。しょおんアブちゃんはよく跳ねる小動物みたいに目じりがきゅっと跳ね上がったマンガみたいなくりくりおめめで小柄でカワうつくしいお顔立ちなのに、腕とか手とかあごのラインとかがっしりしてるアンバランスさがたまらない魅力で箱に詰めて持って帰りたかったし、まさしマシューはなまじすごく包容力があるだけに最後の裏切りがお父さんなぜ家を出ていくの…!?という驚きとイライラを味わったし(※マシューに魅力を感じるほどラストでマシューにイーッとなる傾向)、法月マークは大きなお口のファニーフェイスと身振り手振りがキュートでエルモみたいだったし(マシュマクセサミストリート…って言ったらフルハウスでしょ!と言われた)、大久保くんのフアンちゃんはお芝居も歌も演技もこのボーイズの要だなと思える安心感で、一馬ルークはあの\ちゃんとやろ!/の子だってのを忘れるくらいキレ具合がどうしようもなくも、あらあらこの子ったら!って身を乗り出してるところを腕引っ張ってたしなめたくなる、若者ゆえに更生の余地ありそうなルークだった。

この作品はLIVEという形式上、客席からお客さんが見ているということが暗黙の了解ではなく、上演中も公然の事実としてある。そしてそれは客席にいる私たちも、あの作品の一部分である、という意味なんだと思います。言葉の意味通り、お客さんが入って、反応を返して初めて成り立つ作品。見る/見られるというよりも、双方から視線は注がれている。だからこの作品が終わると、私たちもつれてって!と追いすがりたくなるくらい、じぶんのなかの何かがごそっと持ってゆかれるようなさみしさをおぼえるのだと思います。引き離されたくない。彼らのおっかけという立場でいつもいたい。
彼らはあの舞台上にしかいないアルターボーイズだけど、2010年に彼らを知ってからは、公演が上演していない空白期間もさみしくなるといつも、ボーイズはどこかの国でいまも世界ツアー中なんだ、と思い込んでいました。そう考えることは、彼らに会えないさみしさを紛らわすのと同時に、どこかであの魂の救済コンサートが開催されている!という救いにもつながっていました。サンタさんは本当にいるんだ!というような。信仰する神はいないけど、アルターボーイズはいつも私たちの心の中にいる!と、それだけでたくさんの困難を乗り越えられる気がしてくる。そんな苦しくも幸せな時間をすごして、今5度目の冬がやってきたのだなあと、しみじみと考えています。すごく近くなったり遠くなったり、心の距離はその時々だったけど、たぶんいつも彼らと共にあった4年間だった。なんていったら調子が良すぎる発言かもしれないけど。誰かの好きの大きさと比べたりできないし、勝ち負けじゃないけど、私は私の身の丈分、彼らがとても好きです。

そして11/30(日)二度目のLEGENDを観てきました。
終演後友人とも話していたのですが、この日のLa Vida Eternal、EpiphanyI Believeの流れがとても好きでした。もちろんあのフアンちゃんのくだりから、段取りが壊れて、みんなが生の言葉で語りだすくだりだから、というのもあるのだろうけれど、でも見ていて、ああやっぱり彼らはマシューで、フアンちゃんで、ルークで、マークで、アブちゃんだ、と改めて思えた日でした。
最前にいらした男性のお客さんをちょっと過剰にいじりまわしてたのは(中の人たちの関係者ならまた違う意味合いでてきてしまうけど、一般のお客さんみたいだった)あのボーイズならボーイズとして男性客がいたら悪ノリしてしまうだろうなあと私には納得がいくもので、だからグルーピーのひとりとして、今日のボーイズちょっと特定のお客さんいじりすぎよ!くらいの気持ちです。そしてフィナーレは本編ではなくフィナーレなので(宝塚で手に入れた脳)。

○La Vida Eternal
人生は続くんやからな!にしびれたマイ初日を経て、この日はフアンちゃんの、さあさあ!今日は僕らのツアー最終日でんがな!からの盛り返し具合に、なんだかとてもやられてしまった。フアンちゃんの、なんとかこの場のしんみりした空気と自分の気持ちを立て直そう、というプロ意識のような、気迫がひしひし伝わってきて、でもやっぱり笑えなくなってしまうその、今目の前で起こっている出来事としての、感情の波の激しさに飲み込まれてしまいそうだった。
La Vida Eternalって、Epiphanyを歌ってるマークみたいな、歌詞に込められてる感情にじぶんを沿わせるべく、歌う前に語りを入れるような曲じゃない。そういうふうにつくられてる曲ではない、という前提。それなのに、たまたま偶然、このツアーの最終公演に、フアンちゃんの誕生日をみんなでお祝いしよう、という心からの思いやりから出た行為があんなふうに裏目に出てしまって、そして皮肉にも、彼の状況が曲の歌詞とあまりにも沿ってしまった。みんなの気持ちがダメになってしまったことにもしょげてしまうし、いま、ここで、その歌詞を彼に歌わせる!?という。茶化したりは絶対できない場面だけど、ほんと、ショック療法にもほどがある。どこかにじぶんを愛してくれているひとがいる、と思えることは絶対に心の支えになって、だから目の前にいないのと、もう二度と会えない、この世に存在しないのは全く別のことだと思うから、彼自身もそれをわかってるのに、虚勢を張るしかなくての「最初からおらんかったのと〜」だな、と。
そういうことを本当に今更、いちいち考えてしまうようなLa Vida Eternalでした。一曲の中で心情が移り変わってゆくドラマチックな(というのはほんとうに皮肉だけど)曲がとても好きで、だからこの曲が、というよりここからの各ボーイズの持ち歌がどれも大好きです。

Epiphany
今回レジェンドはマサマクたんの見た目がトータルバランス的に一番好きで、マークちゃんめっちゃカワイイ!!って叫んでお手振りもらいたい気持ちが日々(まだ2回だけど)芽生えているのですが、この日聴いていてマサマークのこの曲があまりにも胸にスコーンとストライクしたので、誰に恥じることーもーーなーーーいーーーーー\ジャン!/の直後に、エピファニーってまじいい歌ですね?!と隣にいる人の肩を揺さぶりたくなりました。そしてここまで記して気づいたことは、La Vida Eternal、Epiphany、そしてI Believeは彼らの関係性がここ一番(みっつあるけど)あらわになる曲だなと。信頼関係がきちんと、強く結ばれていることを何度も固く結びなおす曲たち。もうひとりぼっちじゃない、秘め事、の晴れやかさ。いつもならこれでゼロになるのに!という言葉は、これが彼らの定番ソングであることを示すもので、そしてこの曲を定番にできるくらい何度も歌えること、それこそがボーイズとマークの信頼の証でもある。
この日、マサマークのEpiphany前の語りもEpiphany自体にもとてもぐっときていたのだけど、どうしてぼくだけ違うんだろう、がはっとするくらいのトーンの落とし方で、でもそのあとの、天使ってのは!がちょっと噴き出すくらいの面白い声音だったんです。でもそれはお客さんの反応を見ながら、あっこのままの語りだとあまりにも深刻に聞こえてしまう(もう彼は乗り越えているし、あれはきいている側を勇気付ける歌だから)から、ここはちょっとだけくだけて客席を和ませよう!とマークとして思ってやったものに私には見えました。でも、実際に生で見たり、あるいはこの感想だけを見て、ああ彼はふざけてたのね役からはみ出して、って思う人もいるかもしれないし、受け取り手に委ねられてる部分って本当に大きいと、改めて思った日でもありました。なにが見たいか、彼らにどんなアルターボーイズを求めているか。

完全に余談ですが、この回を見ていてなんだかレジェンドのマシュマクはトップ男役とトップ娘役的な、プライベートはもう彼氏がいるマクたんだけど、ぼくの一番はマシューだよ❤️(舞台上のつがいとして)みたいな空気を勝手に感じていました。マシューは永遠のおほしさまで、マークのガーディアンエンジェルで、もしマークが別の大事な人を見つけても、そこは絶対揺るがないんです。そんな印象。もちろん現在進行形でマシューしか愛してないマークverもいる!

I Believe
ぼくたちはひとりひとり、違う人間だって知ってるけど!で、お客さんの顔をひとりひとり!とぐるり視線を投げかけるようにするらちアブちゃんをみながら、みんなだいじょうぶを彼が書いた意味について、もう幾度目からわからないくらいなのに、また考えてしまいました。段取りじゃなくて、いま彼が感じている苦しさが伝わってくるみたいなI Believe。エルトンジョンとも(レディガガから戻ってることに、たったいま5秒前くらいに気づいて叫んだ)バージンレコードとも、ソニーの人たちとも、取引できない、そのかけがえのない関係は、いまもここにありますよね、という祈り。
らちアブちゃんが今回I Believeで十字を切るところ、どういう意味なんだろう?と前回引っかかっていたのですが、今回、今初めてなにをしたらいいか気づいた人の顔をしてる彼の姿はきっと「覚えていますか、最初に神の声が私たちに告げたことを」と呼応していて、あの場面で初めて膝を折って手を組んだ頃に立ち返ったのかな、と思いました。この曲もまた、La Vida Eternalと同じく、歌詞が書かれた当初とは言葉に乗ってくる想いがまったく違ってきている曲だな、と。

最後裏切るときのマシューの矢継ぎ早な罪の告白に、毎回身勝手だなあと思い続けた日々を経て、この回初めてくらいに、ああこのひともこのひとなりに悩み続けて夜中に飛び起きたりしてたのかな、となぜかふと思ってしまった。みんな適当にやってくれ!って言えなかった、の声音がすごく苦しげにきこえたからか、はたまたここまでの流れがすごくよくてこちら側の心情がひゅっと引き寄せられたのか、どちらかはわからないけど、マシューも私たちと同じ人間だったのだ、みたいな気持ちになって、いまさら意表を突かれた。

○その他あれこれ
・ぼくの、パパさん、ママさん……の後のルクマクの無神経発言をきいて、シャー!って歯剥いて威嚇するの、いままでみた4フアンちゃんのなかでうえきフアンちゃんだけなのはなぜだろう。
・ルークソロの、愛の言葉を届けるために!の両腕をわっと広げて後ろ向く振りがなぜかとても好きなのだけど、あの曲の列車ごっこのように連結して動くところ、ボーイズの共同作業みたいな振り付けが全体的にちりばめられていて、かわいくて大好きなBODY, MIND AND SOUL!!
・創世記でビエーンて嘘泣きしてる目の中に入れても痛くないかわいいアブちゃんが、マサマクたんに手を引かれて輪の中に入ってくところのかわいさ。
・今回良い意味でらちアブちゃん一点集中でなく、全体を見て楽しめているので、ひつじパペット動かしてるマシューとか反則すぎるだろう!とか思ってしまった。原点回帰にもほどがあった。