tsasakiの日記

2012-02-06 昭和のこと

 最近朝日新聞で40年前の札幌オリンピックについて特集している。今朝の記事は、恵庭岳の自然破壊について書いていた。

昭和47年2月3日

 ジャンプで金銀銅の表彰台日本人が独占した。その日、家でテレビを見ていたことを記憶している。正確には覚えていないが「飛んだ、決まった!」と言うアナウンサー叫びが印象的だった。

夕方のニュースでもその場面が流れるので、アナウンサーの「飛んだ、決まった!」がますます記憶に刻まれた。

 断片的に覚えていることがいろいろある。

聖火ランナーが走ると聞いて、近くまで見に行ったら日の丸の旗が配られた。前の大人に邪魔されて、見たのはほんの一瞬だったが、トーチから煙が出ていたのを覚えている。

小学校オリンピックに連れて行ってくれた。真駒内アイスアリーナアイスホッケーを見たことを覚えている。激しいぶつかりあい連続だった。黒いゴム製のパックが壁やガラスにぶつかるたびに大きな音がした。

 オリンピックドキュメンタリー映画が作られ、その映画小学校行事として連れて行ってくれた。日本人活躍する場面で、みんな素直に拍手した。丸井の斜め向かいにあった映画館東宝日劇」だ。 

 もし、オリンピック札幌で開催していなかったら、スポーツ施設のいくつかはできていなかったかもしれない。インフラ整備も同じだ。きっと計画に載らなかったか、または遅れた施設がいろいろあるだろう。何と言っても地下鉄だ。当時24条に住んでいた自分にとって、地下鉄画期的な乗り物だった。たいていは大通りあたりで降りる。ごくたまに真駒内までいくことがあると、電車南平岸(当時は霊園駅から地上に上がる。その瞬間とてもわくわくした。今、南区に住んで、毎日のように地下鉄を利用している。真駒内駅近辺は選手村だった。

 もちろん負の側面もいろいろあったのだろうが、「人の心に生き続けるかどうか」という物差しを当てれば、大人も子供も大きな財産を得たと言える。私はいわゆるスポーツ少年ではなかった。それでもこれだけ大きい存在なのだから、当時スポーツに携わっていた人たちには生活、人生に大きく作用したに違いない。生涯かけての競技を選んだ人もいただろう。

 長野でも冬季オリンピックが開催された。もう大人になっていた自分は、札幌オリンピックと重ね合わせて回顧していた。

 こういう古いことを考えるたびに、昭和という区切りが浮かんでくる。自分子供のころ、戦前という言葉をよく耳にした。いつか近い将来か、もしかしたらすでに、「昭和」「昭和生まれ」「昭和の出来事」が、それを体験していない者には想像することさえ困難な響きになっているのかもしれない。

 昭和生まれ自分は、やはり60年代70年代前半、・・・と、10単位自分が生きてきた昭和を区切って考えることが多い。意識の中では70年代は十分なじみがあるから近い存在だが、その70年代はもう40年前なのである。Always3丁目の夕日は、違和感なくすっと感情移入できて、随所で「ああ、これあったあった。作り手の細かい気遣いだ」と思える映画だが、平成生まれ若者には、解説されなければ気にも留めずに見逃してしまうことが多々あるだろう。

 唐突ドラマの話になる。日曜日9時からの「運命の人」は、昭和を描いている。きのう、そのドラマの中に日産パルサーという車が出てきた。懐かしいと思った次の瞬間に、自分大学生の時に裕福な先輩がそれを新車で乗っていたことを思い出した。自分大学生だったころをドラマで描くと、もうこんなに遠い昔の演出になるのか、と思った。

 もうひとつドラマに関して思うことがある。中井貴一小泉今日子が出演しているドラマだ。中井貴一はまさに自分の世代である。若いころ、そんなに演技力のある俳優とは思っていなかったが、いつからか、演じる対象の多様性に興味を持ち始めた。「魅力ある大人」を演じているのが、同世代として興味深い。年齢が増したことの正の証のように、その世代にしか出せない魅力を出す。落ち着きと輝き。時間をかけて練り上げた中身。いろいろな味がある。

2012-02-01 2月

 新年になってあっという間に1ヶ月が過ぎ、もう2月に入った。2月1月より短い。そして、いろいろ忙しいため、あっという間に逃げていく。

 気持ちはもう新年度に向かっている。今年度の締めくくりもしないうちに新年度になっているような気ぜわしさがある。春に向かう気持ちが強くなると、冬の厳しさも苦にならない。最近、最高気温でさえも氷点下であるしかし、時間は着々と過ぎ、春に近づいていると思えば、この寒さは温かさを向かえるための準備期間に思えてくる。今年は、去年と何か違う。去年と同じことの繰り返しにはならない。そう思っている。

2012-01-27 考え方

きのう2年生の授業でもトークセッションを行った。「お酒の影響」と題して話を始めた。ある学生が、インターネット上の「若い人たちが職場関係者と酒を飲むことについて否定的だ」という記事を紹介していた。こういう現象や傾向について、いろいろな立場からいろいろな意見が言えるだろう。一つの考え方しか正しくないという一方的な押しつけは避けなくてはならない。

 通勤途中、ふと思いついた。ありがたみを忘れてはいけないと。

あくまでも仮定だが、実に割りきった職場があって、そこでは勤務時間が明確で、その時間内だけ、仕事のことだけで人と人とが関わりをもつ。いわゆる余計なことは何も存在しない。個人(主義)が尊重され、仕事プライベートの線引きがとてもクリア。そんな職場があったとする。

このような表現をすると、言葉の上での聞こえはいい。「仕事プライベートのけじめ」

ふと思った。もし個人のスキルだけで仕事をしている(あくまでもそれが可能ならという仮定で)人がいるとしたら、その人には複数の人がいて成り立つ「職場」は必要なのか。

自分職場があることのありがたみ。これは日本人的な企業体質とか、欧米型思考とか、労働形態の変化とかいろいろな理由づけを越えて存在する。

また、思いついた。ある北海道方言だ。

「はんかくさい」

学生インターネット上で見つけた記事へのコメントに使えるだろう。

「はんかくさいんでないかい

考え方考え方 2012/01/28 18:49 そもそも「職場」という言葉の定義が、複数の人がいて成り立つもの。ではないのではないでしょうか。
あくまで、仕事をする場所または自分が給料をもらうために所属している組織の場というのが「職場」であるかと。
その中にたまたまコミニュケーションがあり、自分にとって居心地がよくありがたいという判断になっているだけのように見受けられます。
もし他にそう言った対象があれば、「ありがたい」という感情は他に向かうはずです。
また、「はんかくさい」という表現が、「若い人」に向いているのか、「記事を書いた人」に向いているのか、伝わりません。

コメントコメント 2012/01/29 10:14 コメント力の教材に使えます。

2012-01-24 トークセッション

 3講目に1年生の授業があり、その中でトークセッションを行った。

テーマは、「日本教育を語る」「いまどきの若者について」の2つである。結論からいえば、絶対にやってよかったと言える時間になった。学生の中に、議論が存在していた。

 終わって感想を聞いたら「資料があったらもっと違った議論になった」「まだ話し足りない」「またの機会を楽しみにしている」「楽しかった」「自分にも熱い血が流れていると感じた」と、どのコメントもこれから動き出す気持ちが素直な言葉になっていた。

 個人の考えを出し、それについて他者がコメントをして、言葉言葉を生んでいく。人と人とが、言葉を交わす愉しさ。日本語でも英語でも、あるなあと思う。

難波、田渕、小村、杉谷、畠山小林工藤。みんな自分スタンスで精一杯語っていた。メッセージの発信、受信が機能していた。少なくとも彼らには、「内向き」は当てはまらない。

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2012-01-23 年度末

新しい年が始まって間がない、と思っていたのはついこの前のことだ。冬休み中の除雪のことを書いてからあっという間に時間が過ぎ、もう月末になろうとしているではないか。きのう、久々に家の除雪をした。前回の「氷ひっぱがし」のような、極端にきつい作業ではなかった。録音した音声やラジオを聴きながら作業すると、後で作業中に聞いていた音声がよみがえってくる。そのときに、自分がやっていた作業の断片が視覚的な記憶として音声とオーバーラップする。この音声と映像の合体が後になって思いだすと面白い風呂に入っている時や布団に入っているときに、その日一日を振り返る映像として自分の頭の中のモニターに流れるのだ。

 さて、もうすぐ2月である。1月は「新年」と結びつく始まりの響きがあるが、2月には「年度末の一部」という終わりのイメージがある。気持ちがだんだん新年度に向かう。

 前回のブログに書いたゼミ選びは、まさに来年度のことだ。関心事はメンバーだけではなく、内容にも及ぶ。集まったメンバーな何をしたがるのか、また、そのメンバーで何ができるのか。現在の3年生にとっては、就職活動が「現在進行形である来年度の始まりというより、人生設計、大きい言葉を使うと、自己実現の具体的な取り組み中なのである

 4月にスタートする新年度を、1月から考えている。去年はこんなに早々と未来を見ていなかった。これはもしかすると、2012年を濃く、深くするきっかけになるかもしれない。「現〜」のうちに「新〜」を考える。少なくとも、「今年は着手するのが遅かった」「去年やったことの焼き直しだ」「取り組みが甘くなっている」というありきたりの反省コメント回避できる。

「おおざっぱだったけれど構想を描いておいて良かった」「ずっと惰性でやっていたことを切り捨てて、マンネリ化を防げた」「やはり新しいことには独特の緊張感がある」

こんなコメントが残る方が面白い

 除雪のような作業やバスタブにつかっている最中に何か思いつくことがある。その場でメモできないから、たいていは後で思い出すこともなく消えていく。消えていっていいのかもしれない。消えてもまた考え、考えても消えていく。その繰り返しを頭が欲している状態が大切なのだろう。結果を残さない思考にこそ、自然な頭の活性化がある。