究極のハイテク仮象としての静寂、ラドゥ・ルプー

日経の20日に出た批評でも書きましたが、私はラドゥ・ルプーのピアノ、遠くから決して止むことのない伴奏が(工場音のように)響き続けるなかでの静寂に、新左翼革命の夢に破れた人々が郊外で静かな私生活を営むようになった1970年代を思います。呪術・妖術のない清潔な静寂。

そしてそのような静かな郊外の人々は、都会の喧噪を不気味なものとして嫌い、この種の議論・書物が周期的な発作のように定期的に出現しますが、

うるさい日本の私 (新潮文庫)

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初出は1996年、洋泉社。でも、この種の議論は前にもあった。静寂を夢見る人々を襲う反復強迫みたいなものです。

人工的に統制された静寂は過ぎた贅沢である、というのが私の生活信条です。

ONTOMO MOOK [完全カラー保存版] 吉田秀和―音楽を心の友と

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吉田秀和もデビュー直後のルプーをハイテク・ピアニストと認識していたことが、当時のコメントの再録でわかる。

そして吉田秀和は、ポリーニに「(硬質の)優しさ」を聴く。これが20世紀の耳だと私は思う。

(アンドラーシュ・シフって誰だ。器用なマイナー・ポエットがそんなに偉いか?)