字幕のある自画像

[十文字孝夫がオペラ字幕が日本に導入される顛末を書いた本の紹介を追記]

モロッコ《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

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私には「カサブランカ」より断然面白かった。

映画がトーキーになって、日本で初めて字幕を入れて上映されたのは「モロッコ」(1930)なのだとか。ウィキペディアによると日本での封切りは1931年2月25日。

日本語字幕付きで映画を見る習慣は、ほぼトーキー映画と同じだけの歴史があって、トーキー映画を字幕も弁士もなしで見るような時期は国内にはなかったことになる。

一方、オペラで全幕に日本語字幕を入れたのは藤原歌劇団の1986年の「仮面舞踏会」が最初みたい。それまでは、海外からの来日公演や日本人の原語上演へのチャレンジは、外国語をむき出しで受け止めなければならなかった。

ただし、

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日本オペラ史1953〜

日本オペラ史1953〜

『日本オペラ史』の記述によると、当時、藤原歌劇団は外国人歌手を招いて原語上演をやることがあったので字幕の導入に好意的で、二期会のほうは、原語上演をあまりやっていなかったから、字幕より前に、まず原語で歌えるのが先だ、ということだったらしい。

ほぼ80年間、むしろ日本人が日本でやるオペラは日本語が当たり前だったということですね。

(日本の舞台で日本人が日本の観客に英語でシェークスピアを上演するのは、ちょっと考えにくい光景で、オペラも、長い間、お客さんにわかる母国語で上演していた。明治のお雇い外人の時代には学校の授業をロシア語や英語でやるしかなかったけれど、その流れを汲むインテリでなければ、何らかの形で日本語をかぶせることなく外国語を直接浴びる芝居をわざわざ金払って見たりはしない。)

関東関西の二期会、藤原、関西歌劇団などの上演記録をみていると、1986年以後も原語上演と訳詞上演が混在していて、原語上演(『日本オペラ史』に字幕使用の有無の記載はないけれど、ほぼ字幕使用と考えられる)が主流になるのは90年代の半ばあたり。大阪音大のカレッジ・オペラハウスは、1989年の開館時から字幕設備があってヴェルディを原語上演したり、初期にはモーツァルトを原語上演と日本語上演のダブル・キャストでやっている。そして日本語字幕が定着したのち、1997年にオープンしたびわ湖ホールは最初から原語上演が標準。

オペラ歌手は、既に20年くらい前から、原語で歌うのが当たり前の「グローバル人材」です(笑)。そしてそうなるより前から、可能ならば訳詞ではなく原語で歌うほうがいいと考える人はいたでしょうが、実際の興行が原語上演の標準化へ動き出したのは字幕装置が使えるし、お客さんに受け入れてもらえるとわかったからで、「原語主義」という理念が現実を動かしたわけではない。

しかも『日本オペラ史』の関根先生の記述を信じるなら、字幕装置を入れてはどうかと日本のオペラ関係者に提案したのは、ニューヨーク・シティ・オペラで字幕が入っているのを観て、これは使えると思った文化庁の役人さんだったのだとか。

当時、文化庁文化部長だった十文字孝夫は、新国立劇場開設準備のために欧米の各オペラ劇場を視察中、たまたまニューヨーク・シティ・オペラで字幕つきオペラを体験して、これを日本にも導入したいと考えた。(関根礼子著、昭和音楽大学オペラ研究所編『日本オペラ史(下)1953〜』、106頁)

導入の経緯をここまではっきり個人に帰着させられるのか、慎重に調べないといけないとことだとは思いますが、現場が自ら動いているというより、動かされてこうなった面がありそう。

(ちなみに、ここでも1960年前後生まれが分水嶺になり、それより前に生まれた歌手は訳詞上演が普通だった時代を経験しているが、それより後の歌手たちは、学生だった頃から「オペラは原語で歌うもの」として育っていることになる。)

オペラの幕は永遠に上がる

オペラの幕は永遠に上がる

その十文字氏自身がメトの支配人ルドルフ・ビングについて書いた本(「音楽現代」の連載をまとめたもの)のなかで、ニューヨークでの字幕装置との出会い以下の顛末を書いているのを見つけました(72頁から)。

1984年9月にニューヨーク・シティ・オペラで最大2行を示すことのできる字幕装置を知り、1985年2月には「ある雑誌」(誌名は書かれていない)にそのことを書き、1986年2月4日の藤原歌劇団「仮面舞踏会」が字幕を採用。

さらにこの「仮面舞踏会」への新聞評が引用されており、それをみると、「歌詞の1行目」(林光、「朝日新聞」)あるいは「簡潔な説明文」(菅野浩和、「読売新聞」)となっているので、現在の字幕のように(そして映画やテレビの字幕もそうであるように)すべての台詞を逐一字幕にだすのではなかったようです。

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ところが、今はその世代が既に50歳になり、ほぼ現役歌手は全員「オペラは原語」のグローバル化が完了していることになるのだけれど、そうなった今頃になって、面白いことに、今度は改めて、歌の「言葉」が問題になりつつあるように見える。

ドイツ流の「演出の劇場」(読み替え)のように演劇面を重視したオペラ上演は、言葉(台詞)が生きていないと成立しないし、古楽系のバロック・オペラも、劇詩を朗唱しているスタイルを復興しようということだし、ピリオド・アプローチでベッリーニを歌う、というような最近の試みは、バロックやロココのレトリックと断絶していないものとしてコロラトゥーラを捉え直そうということであるはず。

歌手の歌い方自体が、最近は「言葉の層」がくっきりするようなスタイルに変わりつつあるように思います。

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おそらく「日本のクラシック音楽」の暗黙の価値観からすると、舞台上で意味が直接わからない言葉をやりとりするのは、どうせ言葉には興味がないからそれでもよくて、とにかく大事なことは、舞台上の出来事が舞台上で完結して、観客は舞台のこちら側からそれを眺めるだけでいい状態になっていること。意味がわかっちゃう日本語は、むしろ「気が散る」(音楽に集中できない)がゆえによろしくないのであって(←すごい考え方だけれど、そういうこと言う人っているんですよ!)、字幕で筋がわかるんだったら、外国語で結構、ということになるんだろうと思いますが、

このあたり、画面の「中」に字幕がスーパーインポーズされる映画とはメディアとしての特性がやっぱり違うのかもしれません。(映画で字幕がオッケーなのは、映画の演劇的側面というより、絵と字が平面上で混ざっているわけだから、漫画に近い側面が関わっている気がします。煎じ詰めれば、映画とは1秒24コマのパラパラ漫画であり、筋立てや芝居は「絵」を面白く見せる因子のひとつに過ぎないし、言葉=文字を「絵」のなかに要素のひとつとして組み入れることはジャンル・メディアの特性に反しないのだと思う。)一方、劇場の字幕は額縁の外にある。積極的に混ぜ合わせるのではなく、ないほうがいいのだけれども排除できない必要悪みたいな扱い……。(字幕=文字は演技力のない無表情で棒立ちの大根役者のようなものなので、舞台に立たれては役者が困るんだと思います。逆に言うと、字幕を補助器具以上の「演技する存在」として演出する方策が見つかれば、字幕を舞台上に組み入れることも不可能ではないのかもしれない。字幕の技術と操作スタッフ力の進化は、うまくいけばそっちへ向かうこともありうるか?))

今の字幕は、訳し方、上演にあわせての見せ方など、ハード・ソフトの両面、機械・人材両面で専門職として進化して、それ自体興味深い展開を見せているようではありますが(舞台進行にスムーズに寄りそうには字幕をどう作り、どういう風に操作するか、「技」があるらしい)、そういった周辺環境の整備を含めて、オペラがこういう「気楽な安心」を実現するようになったのは、せいぜい20年くらいで歴史が浅いというだけでなく、それは「音楽」ではあるけれど、「劇=ドラマ」としての性質が変わってしまったのは否めない。清潔・安全ではあるけれど正体不明の、つかの間の幻かもしれず、少なくとも、何か新しいジャンルが出現して、それを私たちは「オペラ」として眺めているのだと敢えて突き放して言うほうが、事態がはっきりするかもしれません。傀儡と浄瑠璃が一緒になった人形劇を、歌舞伎芝居のような人間の芝居とさほど違わないものとして見ようとすれば見れてしまうように……。

ちょうど時代は世紀末ブームで、捻りや洗練の加わったマニエリズムが喜ばれたりもしたので、この幻はちょうどよかったのかもしれず……、またそれ以上に、LD/DVDの出現がこの幻を支えたように思います。

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ポピュラー音楽論では音盤(レコード的音楽概念)をライブ主体の音楽概念と分ける考え方が広まっているようですが、クラシック音楽でも、この2つを区別したうえで両者の関係を考えてみるのは何かと有効な思考実験かもしれない。

実際、『日本オペラ史』には、字幕導入とほぼ同時期にLDによるオペラ鑑賞がはじまったという指摘があります。従来のオペラ映画の上映では字幕が入らないことも多かったのだが(一般の映画でも歌には字幕が付かないことがありますね、オペラ映画は全編が歌なので、字幕が一切付かないということだったのでしょうか)、これに対して、LDでは全部字幕が付くようになった、と。

80年代以後の「音楽専用ホール」の出現でライヴ・コンサートのサウンドをCD鑑賞風に聴く作法が広まったように(曲が終わったあとは「無音」で余韻に浸りたい、とか)、日本語字幕付き原語上演は、LD/DVDのように舞台を鑑賞することを促したのかもしれませんね。LD/DVDの字幕は、劇場の字幕と違ってちゃんと画面の「中」にあり、音声と程よく混ざりますから……。

「音楽専用ホール」と字幕上演の出現によって、ライヴ・コンサートや劇場体験が「不完全なCD/不完全なLD」として複製メディア体験に接続されたのが80年代だったのかもしれません。

(字幕を取り替えるだけでワールド・ワイドに展開できるメトの映画館ライブ・ビューイングがこの路線の先にある試みなのは、間違いないですよね。実はあれは、劇場で見るより快適な面があるかもしれないわけで……。)

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

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「魔笛」でザラストロの理性帝国主義を潰したコンヴィチュニーは、「魔弾の射手」(ドイツの音楽劇が「魔笛」のようなジングシュピールから次の一歩を踏み出した一里塚とひとまず言える作品)では、鉄砲持った狩人が領主のお墨付きを得て我が物顔に管理している村を、大企業の社長風の悪魔ザミュエルがモニター画面などのハイテク装備の地下室から操って混乱に陥れて、さらには、「ペドロの人形芝居」のドン・キホーテみたいに客席から出てきて芝居の展開にイチャモンをつけてクレジットカードを歌手たちにばらまく金持ち(隠者)がいる。グローバル経済に飲みこまれた冷戦後の東欧のお話であると同時に、文化のコンテンツがスポンサーの言いなりなのは台本が検閲でがんじがらめだった王政復古期と同じようなものだというわけで、「魔笛」〜「魔弾の射手」〜「リング」というドイツの音楽劇の屋台骨のような作品群は、この人の解釈・演出だと、硬直した東側のかつてのあり方と今のアングロ・サクソンの覇権の両方への異議申し立てという感じになる。舞台はハチャメチャになるけれど、思想はこうやって言葉にするとこっぱずかしいくらい愚直で、到底モニター越しの遠隔コミュニケーションを信じなさそうなところがありますね。その頑固さが「ドイツ的」なのか、「舞台人らしさ」なのか、「彼」の主張なのか、彼がパブリックな場であると信じているに違いないドイツの劇場で醸造された「公論」なのか、両方混ざって分けられないところが善し悪し、好き嫌いの分かれ目かもしれませんが……。劇場は手強いです。

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私は、字幕オペラの行く末がどうなるか、の予測はそれとして、とりあえず「もっと訳詞オペラをやって欲しい」派で、

音楽劇は人が声を張り上げて泣いたり笑ったりする芸能で、かつての訳詞オペラがどこか泥臭く感じられたのは、日本のオペラが発展途上で本場より遅れた「二流」だったから、というだけでなく、オペラには、もともとそういう風に見る者に良い面も悪い面も含めた「自画像」を突き付けて、身につまされる感じをもたらす性質があるんだろう、と思っています。

幻を観たい人には幻が見えるし、今あるものを肯定する人には今あるものが輝いて見えるし、とりあえず根性で体裁を整える人には、とりあえず根性で体裁が整った舞台が見えるし、捻りを加えられるオレってかっこいい、な人には、捻りを加えてカッコイイが見える。

……ということで、結局どうということのない事実を復習したところで、話は先日の記事へ戻ります。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130829/p2