中黒(・)のない「シンフォニックバンド」:兼田敏の悲願?

欧文で分かち書きされている言葉をカタカナ表記するときは、英語のスペース相当の切れ目を「・」(中黒)でつなぐのが一般的ですが、日本の吹奏楽には、Symphonic Bandの語を「シンフォニックバンド」と一続きに表記する慣行があるようです。

1980年代末にバンドジャーナル誌から出た別冊『ザ・シンフォニックバンド』の何かまがまがしい感じ(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140914/p2)は、中黒を省略した表記が一因かもしれない……。

で、調べてみましたよ、どこで中黒が消えたのか。

1. Symphonic Band は1960年代末、おそらく英語圏から伝わった?

『ザ・シンフォニックバンド』が出る4年前、1984年にはバンドジャーナル別冊で『日本の吹奏楽'84』というのが出ていまして、その巻末には、「吹奏楽作品(邦人)総目録」というのがあります。もとはといえば、先日来「吹奏楽の民主化」運動があったらしいと書いていますが、その発信源のひとつは日本吹奏楽指導者協会という団体であるらしく、ここが70年代後半からこつこつまとめたデータを整理したのが、この「総目録」のようです。

「吹奏楽作品(邦人)総目録/協力 日本吹奏楽指導者協会開発委員会/監修 吉田友紀」

とクレジットされています。

約300曲がリストアップされており、曲名の英語表記・日本語表記をざっと見ますと、英語表記で for Symphonic Band を用いているのは23曲(それ以外は for Band が多く、わずかに for Concert Band)。作曲家でいうと、英語表記で Symphonic Band を使っているのは浦田健次郎(1941- )、兼田敏(1935-2002)、川崎優(1924- )、名取吾朗(1922-1999)、平井哲三郎(1927- )、平吉毅州(1936-1998)、保科洋(1936- )の7人だけです。

(「交響的○○」のように Symphonic の語を使う例はいくつもありますが、それはここではカウントしていません。それから、少なくともこの「総目録」では、日本語タイトルとアルファベット表記のタイトルを併記しますが、後者はすべて英語です。戦後の吹奏楽では、タイトルは日本語と英語というのが一般的で、オーケストラ作品や室内楽と違って、フランス語等で吹奏楽曲にタイトルをつける人はいないですね。)

そして23曲の成立年代をみると、ほぼ1960年代末以後で、それ以前の使用例はありません。おそらくこの頃までに英語圏で「Symphonic Band」の語が使われるようになっていて、それに賛同する人たちが追随したのではないかと思われます。

2. Symphonic Band は「吹奏楽」と言い換えるのが一般的だった

ただし、曲名の英語表記に Symphonic Band を使っている23曲のうち19曲は日本語表記を「吹奏楽のための」としています。

例:Warabe-uta for Symphonic Band 川崎優 吹奏楽のためのわらべうた 1969年

for Symphonic Band の語を使い、なおかつ、それを日本語で「シンフォニックバンドのための」と表記するのはわずか4曲です。

  • 兼田敏 Ouverture for Symphonic Band シンフォニックバンドのための序曲 1970年
  • 兼田敏 Passacaglia for Symphonic Band シンフォニックバンドのためのパッサカリア 1971年
  • 平吉毅州 Rhapsody for Symphonic Band シンフォニックバンドのためのラプソディー 1977年
  • 浦田健次郎 Ode for Symphonic Band シンフォニックバンドのためのオード 1983年

なかでも、兼田敏の曲名の付け方が興味深いので、年代順に見てみましょう。

3. 兼田敏は「シンフォニックバンド」から「吹奏楽」に撤退した

兼田敏の1984年以前の作品のうち、曲名の英語表記に for Symphonic Band を含むのは以下の8曲。日本語表記は、このうち最初の2曲だけが「シンフォニックバンドのための」で、あとは「吹奏楽のための」となっています。

  • 兼田敏 Ouverture for Symphonic Band シンフォニックバンドのための序曲 1970年
  • 兼田敏 Passacaglia for Symphonic Band シンフォニックバンドのためのパッサカリア 1971年
  • 兼田敏 Thema and Variations for Symphonic Band 吹奏楽のための主題と変奏 1972年
  • 兼田敏 Elegy for Symphonic Band 吹奏楽のための哀歌 1974年
  • 兼田敏 Symphonic Moment for Symphonic Band 吹奏楽のための交響的瞬間 1975年
  • 兼田敏 Ballade I for Symphonic Band 吹奏楽のためのバラード I 1981年
  • 兼田敏 Ballade II for Symphonic Band 吹奏楽のためのバラード II 1982年
  • 兼田敏 Symphonic Ondo for Symphonic Band 吹奏楽のための交響的音頭 1984

興味深いのは、「交響的瞬間」と「交響的音頭」で、英語表記に Symphonic の語が2回ずつ出てくるのですが、for Symphonic Band のところだけ「吹奏楽」になって Symphonic が消えています。

兼田敏は「Symphonic」という理念にこだわりがあるようで、Symphonic Band という語を知った当初は、Symphonic の理念と関連づける思いを込めて「シンフォニックバンド」という日本語を使っていたのだけれど、少なくとも1970年代初頭の日本ではこの言葉が定着せず、他の作曲家たちにならって、Symphonic Band を「吹奏楽」と対応させるようになった。どうも、そういうことだったように思われます。

そしてこの兼田敏の2つの作品の段階で既に「・」(中黒)はありません。とはいえ、外来語の表記・約物の扱いを厳密に言うようになったのはそれほど古いことではありませんし、「・」のない「シンフォニックバンド」という文字の並び自体は、1970年の段階では、ちょっと古めかしいかもしれないけれど、それほど変ではなかったのかもしれませんね。

4. パッサカリアの呪い

さて、しかし当人が「吹奏楽のための」を使うようになったあとになっても、「パッサカリア」は演奏され続けて、日本の吹奏楽の定番・古典のような位置づけになっていきます。そしてこの作品とともに、「シンフォニックバンドのための」という言葉遣いは、他の「吹奏楽のための」作品から浮き上がったニュアンスを身にまといながら伝わっていく。

それにしても、英語圏の楽譜には普通に「for Symphonic Band」と書いてあるのに、どうして日本では「吹奏楽のための」と呼び続けられたのでしょう?

残念ながら、上記「総目録」をざっと眺めただけですから、すぐにはそんな大きな疑問の答えは見つかりませんが、たぶん、日本の吹奏楽の1970年代の現状(平均的な楽器編成や演奏水準など)は、まだ、「シンフォニック」の語がしっくりする状態ではなかったのでしょう。

もしそうだとしたら、ひょっとすると、1970/71年の段階で堂々と自作を「シンフォニックバンドのための」と表記した兼田敏は、約束の地を指し示す預言者のように思われたのかもしれない。なんといっても、「パッサカリア」は、新しい曲が徐々に出てくるなかで、10年以上現役のレパートリーであり続けましたから、ますます預言者めいた雰囲気になっていったのかもしれない。(ちょっと言いすぎ、誉めすぎかなあ、とは思いますが、十二音の定旋律を繰り返すシリアスな曲調は、「怨念」とか「決して諦めない強い思い」と親和性がありますよねえ。おそらく、戦争をくぐりぬけて戦後の復興・成長を果たした自分自身や音楽之友社、我がニッポンを意識して書かれた曲だと思いますし。)

5. 音楽之友社創立30周年記念委嘱が撒いた種

そしてもうひとつ確認しておきたいのは、パッサカリアが音楽之友社創立30周年記念の委嘱作品だったということです。

このときの記念委嘱作品は2つあります。ひとつは兼田敏のパッサカリアで、もうひとつは、川崎優の幻想曲です。

  • 兼田敏 Passacaglia for Symphonic Band シンフォニックバンドのためのパッサカリア 1971年
  • 川崎優 Fantasy for Symphonic Band 民謡風の主題による吹奏楽のための幻想曲 1973年

兼田作品のほうが一足先に完成していますが、川崎作品の完成を待って1973年に音楽之友社から同時に出版されました。

こうして並べるとはっきりしますが、英語表記は、どちらも「for Symphonic Band」なんですね。おそらく音楽之友社としては、吹奏楽が将来有望なジャンルだと当たりをつけて、2人の作曲家に英語圏の Symphonic Band の最新作に負けない内容の作品を書いて欲しいと要望したんじゃないでしょうか。

ちなみに、兼田敏と川崎優は、どちらも既に名前を出していますが、この音楽之友社委嘱作の前にそれぞれ1曲ずつ、「for Symphonic Band」と銘打つ作品を書いています。

  • 川崎優 Warabe-uta for Symphonic Band 吹奏楽のためのわらべうた 1969年
  • 兼田敏 Ouverture for Symphonic Band シンフォニックバンドのための序曲 1970年

川崎の「わらべうた」は Belwin Mills の委嘱で同社から出版された米国向けの作品。兼田の序曲は、ヤマハ吹奏楽団の委嘱作品で米ラドヴィック社から出版されたらしいので、for Symphonic Band は米国を意識して特別なニュアンスを込めた言葉遣いだったと解釈してよさそうです。音楽之友社は、既に Symphonic Band について一定の見識・経験がある人物と見込んで川崎・兼田を起用したのでしょう。

……そしてそれから15年。音楽之友社が「ザ・シンフォニックバンド」を打ち上げたのは、そろそろいけるんじゃないか、と考えた。十数年前に種を撒き、着々と育てた作物をここで一気に収穫しようとしたのかもしれませんね。

だとしたら、兼田敏のかつての表記を引きずって、中黒なしの「シンフォニックバンド」としたのは、理由のないことではないかもしれない。

(これはあくまで推測・想像で、ちょっと話ができすぎているかもしれませんが。)