ルールに照らし個々人の判断で動く人々

日曜は母のいる八尾に泊まったのでテレビを視ることができて、ブロムシュテットのあとにホグウッド(京都でも東フィル(だったと思う)で20世紀プロやりましたよね、かなり前に)の追悼という順番は、偶然とはいえ、いいのか?と思ったあと、阪神巨人師匠がナイナイの岡村と、なるみと、4人でフリートークする深夜の関西ならではの番組で、ワールドクラスのサッカーにも似た会話のキャッチボールを堪能して、それなりに満足できたのですが(なるみはホンマ賢いよねえ)、一夜明けると、あのすさまじい台風報道ですよ。

「大変なんです」という雰囲気以外を伝えてくれない映像の連打をかいくぐって、どうやら関西では各種警報が朝の内に解除され、この分だと午後から大学の授業はありそうだということが判明。

(窓の外は明らかに天気が急速に回復しているのに、テレビの中は未曾有の天変地異でこの世の終わりか、みたいな切迫感で、落差がスゴイ。)

大学にも確認して出勤したわけですが……、最寄り駅に到着するとすでに晴天で、真昼の光のなか、ちょうど今朝辛坊さんが現地取材していた香港のデモ?と思うくらいたくさんの学生さんが学校への道を埋めていて、ちょっと感動してしまいました。

当節は、リアルな暴風雨をかいくぐるよりも、メディアスクラム的な防災情報の暴風雨をかいくぐって外へ出てオノレの身体を移動させることのほうが、はるかに精神的・肉体的に負担を強いる難事業なのかもしれぬ。この難事をそれぞれに成し遂げて、これだけの学生たちが、今こうして歩いている、みたいに、アホな感動なのでした。

「何時までに警報が解除されたら午後から授業再開」

という学生手帳の隅っこなどに書いてある条項が、誰に何を忖度されるわけでもなく、素直に実行されたわけですね。

シンプルな話。防災って要はそれだけのこと、というか、とりあえず、それでいかないとしょうがないのよ。

(そしてこのシンプルなことをシンプルに実現するだけでも、バックグランドで色々な人・ものが動く。それなりに大変ではあるけれど、ルールがシンプルで目指すところがクリアだから、それぞれが動けるわけですよね。)

教室では、「読書の秋、芸術の秋」ということで、今期は小細工せずに、「これを読む、これを観る」と決めたら学生と一緒にちゃんと順番に最後まで読む/観る、という方針でいこうと決めておりまして、シューマンのピアノコンチェルト(小岩本ですね)は、格好の課題で、なかなか集中した授業になりました。(美しいアラベスクのように仕組まれた提示部の勘所をつかんでくれて、分析って面白いかも、という手応えを感じてくれたら、それでいい。)

幸先の良さそうな、でも普通のことを普通にやったらこうなっただけともいえる週明け。