もしもショパンが還暦まで生きたら

少し前まで、大澤壽人(ボストン時代の「富士山」と帰国後に恩人ジルマルシェックスの演奏会のために書いた「丁丑春三題」)の前後にラヴェル(「前奏曲」と「シャブリエ風に」、いずれも1913年の曲)とバルトークのソナタを置いて、後半はプロコフィエフのロメジュリ抜粋とソナタ第3番と第7番という目の覚めるような選曲のピアノリサイタルの解説にかかりきりで、もうこれでモダニズムは恐くない、という感じにいい勉強をさせていただきましたが(11/19、フェニックスホールです、よろしければ是非)、

これからしばらく、室内楽の調べ物が続く。

「大公」トリオのことを調べなければいけないので、イザベル・ファウスト、ゲラス、アンスネス(フォルテピアノ)をNAXOSで聴いてみたら、思い切ったピリオド・アプローチなんですね。

http://ml.naxos.jp/album/HMC902125

こういう演奏を聴くと、いわゆる「後期様式」は、ナポレオン戦争後の不景気で不遇をかこっていたのではなくて、大音響生成マシンとしてのシンフォニーでやりたいことをやり尽くしたから、今度はミニマルだ、と方向転換しただけで、耳は聞こえなくなっても、やる気満々だったんじゃないかと思わせられる。

世紀転換期の飽食のあとにウェーベルンへ至る新ウィーン楽派が来る、とか、ホットジャズのあとにクールやモードやボサノヴァやフュージョンが来る、とか、そんな感じですね。

(展開部のピチカートをめちゃくちゃ嬉しそうに弾いているし、フォルテピアノとガット弦のノン・ビブラートだと、音楽が一挙にフラットになる。)

で、ショパンのチェロソナタの楽譜も読んでいるのですが、

なんだかピアノの書法や弦楽器との組み合わせ方がブラームスやフォーレみたいになるところがあっちこっちにありますね。話は逆で、ブラームスやフォーレのほうがこういうのを何らかの参考にしたのでしょうが……。

大ハ長調交響曲や未完のニ長調を踏まえて、「シューベルトが長生きしたらブルックナーは必要なかったんじゃないか」とドイツやオーストリアの学者が捻った言い方をすることがありますが、ショパンが還暦まで生きたら、後半生は世間に背を向けてせっせと室内楽ばっかり書いて、サン=サーンスの国民音楽協会に合流していたかもしれませんよねえ。

そうなると、フランクやラロは出る幕はなかったかもしれない。

(ショパンのソナタ形式は基本的に「二部分」なので、のちの教科書的な三部構成のように退屈なお約束の部分が少ない。ショパンがパリで長生きして、ドイツのような三部構成のダサいのではなく、前古典派以来の由緒正しい二部構成のソナタ形式をフランスの主流にしてくれていたら、ソナタや室内楽のその後の歴史も大きく変わっていたことでしょう。本当に惜しい人を亡くしたものです。)

あるいは、ボードレールやヴェルレーヌがカフェで昼間から酒飲んでると、変なオーラのある爺さんが近寄ってきて、実はそれが、サロンのスターであったことなど遠い昔で、パリの一等地の部屋をとっくの昔に引き払って卒塔婆小町状態のショパンだった。パリ暮らしが長いのにポーランド訛りが抜けなくて、妙に偏屈で、でも、そこが若い詩人たちに歓迎される。相変わらず女好きで、そこもまた若い者と話が合う(笑)。

こうなるとフォーレの登場も困難か? 老いの手慰みに60歳過ぎてからフランス象徴派の詩にショパンが作曲しはじめる、なんていうのもアリかもしれず、19世紀末フランスの色々なものが必要なくなってしまいそうだ。

[金澤攝さんには、次は「ショパンが70歳まで生きたら作曲したであろうような歌曲と室内楽」を作曲してほしいかも……。]