バッハの世界/世界のバッハ

明日(既に今日ですが)は、大阪音大音楽院でバッハの話をやらせていただく予定になっておりますが、「オーケストラの楽しみ教えます」というシリーズで、主役はストコフスキーになる予定。

でも、クイケンやアーノンクールも、シューマンやメンデルスゾーンも、(マーラーとストラヴィンスキーは時間の関係で割愛しますが)シェーンベルクも出てきます。

[シューマンとメンデルスゾーンのバッハ編曲の楽譜は、そういえば渡辺裕先生から教えてもらったのでした。ようやく「学恩を受けた」と言いうる状態になりますですね……。20年越しで使わせていただきます。今では良い演奏の録音もありますし。]

シェルヘンとカラヤンが登場して、最後にあと2人作曲家にご登場いただくと、ぐるっと回ってバッハとストコフスキーがつながる予定なのですが、その鍵になる2人が誰なのかということは、明日のお楽しみでございます。

考えてみたら、フランスのバッハ、ドイツのバッハという風にザクセンの職人さんを西側へ引っ張っていく話はたくさんあるのに、バッハが中東欧にどのように伝播したか、という話は、あまりやられないですよね。

今回はストコフスキーへ一気に飛んでしまいますけれど、バルトークのようなハプスブルク帝国領内(ドイツ化されていたような)だけでなく、ポーランドのバッハ、ルーマニアのバッハ、というのもアリなんじゃないかなあ、という気がします。

西と東両方へ話を広げておくと、南米のバッハ(ヴィラ=ロボス)という話も、ずいぶんやりやすくなるんじゃないだろうか。

フランスのバッハ、というのがあり得るように、バッハは20世紀には(あるいは既に19世紀においても)、もはやプロテスタント圏だけの作曲家ではなくなっているように思うんですよね。

だれか、そういうことを愚直に論じている人はいないのだろうか。