allgemein

[当面、単なる読書メモです]

An Universal History (London, 1736-1744) を Siegmund Jacob Baumgarten が独訳したときの題は、Uebersetzung der Allgemeinen Welthistorie (Halle, 1744) であるらしい。

一方、Charles Burney の有名な音楽史のタイトルは、A General History of Music (London, 1776-1789)で、John Hawkins に A General History of the Science and Practice of Music (1776) という本があるらしい。

Johann Nicolaus Forkel の Allgemeine Geschichte der Musik (Leipzig, 1788-1801) がこれらと同じ時代思潮のなかで書かれたのだとすると、

Universal History と General History と Allgemeine Historie/Geschichte、3者を互換性のある概念だとみなしうるのだと思われるが、この3つの言葉に「普遍史」という同じ訳語を当てるのは妥当なのかどうか。

また一方で、ライプチヒのBreitkopf社の Allgemeine Musikalische Zeitung が「一般音楽時報」と訳され、なおかつここでの「アルゲマイン」は、教養市民向け(ハーバーマス風に言えば「読書する公衆」に開かれている)、の意味であると解説されている。

訳し分ける理由、既出の単語をAMZのところで遅ればせに説明する叙述の意図が読んでいてよくわからなかったのですが、Forkelの allgemein は英国由来の18世紀啓蒙主義的な語義、AMZの allgemein は来たるべき19世紀ドイツ教養主義を予見する19世紀的な語義という理解になるのだろうか?

  • allgemein の啓蒙主義的語義と教養主義的語義を識別する指標は何なのか?(そういう区別が本当にドイツ語の文脈にあるのか、バーニー/フォルケルが日本に紹介された文脈と、AMZが日本で論じられた文脈が異なるがゆえの日本独自の訳し分けである懸念はないか。もしくは、18世紀の歴史書の allgemein は記述される対象の範囲を指すに過ぎず、一方 AMZ の allgemein は寄稿者・読者の範囲を指すので、水準の違う用法だ、という解釈なのでしょうか。)
  • allgemein に啓蒙主義的語義を読み込む際に、訳語に universal を連想させる「普遍」を選び、general を連想させる「一般」(あるいは「総合」?)を選ばなかった理由は? (たとえばカントの Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht, 1784 は、世界公民的見地における一般史の構想、の訳題で知られているようですが……。)

以上2点が気になった。

allgemein は英仏啓蒙主義とドイツ教養主義の入り組んだ関係を読み解くキーワードだと思われるので……。

注があるかと探したのだが見つからなかった。先行する巻で既に言及されているのであれば失礼。これから確認します。

(端的に言えば、渡辺裕がかつて公開コンサート(アカデミー)の曲目に見いだしたような「ごちゃまぜ」が、18/19世紀転換期の allgemein の実体だと思うのですが……。allgemain な歴史では、記述の対象を(従来よりも)広い範囲に開いて一見「ごちゃまぜ」にすることが売りで、allgemein なジャーナリズムでは、寄稿者・読者を(従来よりも)広い範囲に開いて一見「ごちゃまぜ」な議論百出を演出するのがセールスポイントであった、というような……。

そしてこの享楽的な社交性に眉をしかめたシリアス派が、バッハ/ベートーヴェンを思い出せ、フィヒテ/ヘルダーを読み直せ、と急進的な求心力を発揮したのが1830年代のNZ創刊(allgemein に替えて、neu 新しさを誌名で打ち出す)だったのではないかしら。これだと、小岩信治さんのピアノ協奏曲史ともうまく話がかみ合うのですが……。)

[つづく → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150316/p2 ]