建築批評②

以下の短文は、建築専門誌『GA JAPAN 61 03-04/2003』に初出したものであるが、10年の区切りでもあり、ここに再録することとした。加筆修正の必要はだんじてかんじてない。

◆個人的には、千年ぶりに「建築の時代」がやって来たという予感があるだけに、新年号の座談会「建築二〇〇二/二〇〇三[総括と展望]」には、がっかりしました。
話題は、伊東豊雄さんの海外でのパヴィリオンの仕事にうつり、「『建築を変えたい』とか『フラストレーション』とか、そういう気持ちは多々あるけれど……。」(伊東)と、いよいよ議論が深化されるという大事な局面に、どういうわけか話はいなかの川に流れついたアザラシの話題にすりかわってしまいます。
あるいは、「ブルージュ柄のTシャツや靴下」ファッションで一般誌に登場することについても、伊東さんからは何の倫理的な説明もない。
一体、こうした「余裕」はどこからくるのでしょうか。本当に都市がひどいと言うなら、この程度の面白いおしゃべりを重ねているひまはどこにもないはずです。もしかして、伊東さんや小嶋さんは、学生、いや、のみならず人類をどこかでバカにしておられるのでしょうか。
また、「横浜大さん橋国際旅船ターミナル」や「国立国会図書館関西館」の評価には、ほぼ完璧に賛成できるものの、磯崎新さんに関してはあんまり淡白だと感じました。「セラミックパークMINO」は「ピロティ」でなく「並進振り子免震システム」という新しい構造形式でキューブを浮かせたという点において、やはりエポックだと思う。
でも、こうしたことには一切触れず、スーパーブランドに気を取られたり、いまをときめくクライン・ダイサムや遠藤秀平をナイーブに持ち上げてしまうあたり、「八〇年代的」というか……。単純に「古い」と思いました。
これ以上、いじわるな粗さがしをするつもりはないので、もうやめにしますが、少なくとも、いま、ぼくは、「さようなら伊東豊雄 さようなら小嶋一浩」とつぶやきたい衝動を抑えられないでいるのです。
◎「折本邸」(原広司)、対談/「総括と展望」 世界編」、座談会/「建築二〇〇二/二〇〇三[総括と展望]」、特集/「[変わりつつある建築のスケール]六人の日本人建築家が考えていること」(磯崎新黒川紀章槇文彦原広司伊東豊雄隈研吾)
(◎印欄は他に関心をもった作品・記事)