奥さんに聞いてみた。「こんな俺だけど、魅力って何かな。」
そしたら「分かんないケド、分からないから魅力が無くなる事が無いょ」


面白かった(・∀・)ニヤニヤ
前にも聞いたんだけどね。


でも最近某ブログ「3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている」http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060809/1155111327を見たときと重ねて、この感想と近いかもッ!!と軽く思ったのはおこがましいかもしれない。

3億円あっても楽しくなれないのは、楽しさというものの本質が、子供の遊びの中にしかないからだ。

子供たちが、砂場の世界を心から楽しめるのは、それが、子供にとって世界の全てだからだ。

つまり、大人は、知識の実を食べたために楽園を追放されてしまったアダムとイブなのだ。

大人の喜びも、本質的には、これと何ら変わらない。子供が積み木や砂山やトンネルを作るような無邪気さで、気の向くまま、思うさま、縦横無尽に企画を作り、構想をまとめ上げて、あちこちのキーパーソンを説得し、根回しをしまくって組織の意思決定メカニズムを操作し、利害関係を調整し、プロジェクトを推進し、それを世の中で実現していくこと。

それらを、気の合う仲間たちと力を合わせてやる楽しさ。仲間たちと一喜一憂し、喜びと悲しみと怒りと高揚を分かち合うこと。



そうしたことは、3億円では、買えないのである。

自分が子供の時、砂場で仲間たちと無心に遊んでいるとき、何が楽しかったのかを思い出せば、人生を楽しくするために必要なことが見えてくるはずだ。

大人になっても、これらは、本質的に、なにも変わらないのです。


とても省略してしまったけど、↑のような感じ。


俺が彼女と過ごしたい理由は具体的に挙げれる気がするが、その逆は冒頭の通り「分からない」。
彼女が俺に感じている魅力とは、↑↑の感覚に近いものがあるのかも知れない。



うーん恥かしいな・・・