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土取利行・音楽略記

2016-07-01

郡上八幡音楽祭2016/トルコ・スーフィー音楽の祭典

19:50

郡上八幡音楽祭2016/トルコスーフィー音楽の祭典

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 今年で三回目を迎える郡上八幡音楽祭。2014年に開始した音楽祭のプログラム韓国のキム・ジュホン率いるサムルノリのグループ「ノルムマチ」と土取利行の打楽器アンサンブル。そして昨2015年は「超フリージャズ」、イギリスよりサックスエヴァン・パーカーアメリカよりベースのウィリアム・パーカーを招聘し、土取利行のドラムとのトリオで即興演奏の醍醐味を、郡上のみならず東京京都でも体感していただいた。そして今年のテーマは「トルコスーフィー音楽の祭典」。現在、トルコ古典音楽のネイ奏者として最高峰のクツィ・エルグネルと彼のアンサンブルが初来日、しかも郡上独占公演の運びとなった。

 クツィのアンサンブルで同行してくるのは二人の音楽家で、一人はヴォーカルのベキル・ビュユックバッシ、そしてもう一人はトルコの古典楽器タンブール奏者のムラット・アイデミル。ネイ、タンブール、ヴォーカルの三人に私がベンディル(枠太鼓)やその他のパーカッションで彼らと合奏することになる。彼らの演目はトルコオスマン帝国時代(1299~1922)に発展した古典音楽、とりわけその根幹を築いたスーフィー音楽が主軸となる。

 ここではその音楽を紹介する前に個々の音楽家のプロフィールを以下に紹介しておこう。


 クツィ・エルグネル(ネイ奏者)

1952年生まれ。祖父トルコの高名なネイ奏者スレイマン・エルグネル・デデ、父ウルヴィ・エルグネル。幼少より彼らから直伝でネイを習い、三代にわたってスーフィー伝統音楽を受け継いできた。青年時代にイスタンブールラジオ局のネイ奏者となり、そこで多くの卓越した演奏家と共演する。1973年から建築と音楽学を学ぶ為にパリに留学。以来、ヨーロッパアメリカトルコスーフィー音楽を紹介し、多くのコンサートやレコーディングを行う。またパリではスーフィーの音楽や思想を教える教室を開設。ネイ奏者としてトルコ古典音楽の紹介だけに留まらず、世界各地でピーター・ブルックモーリス・ベジャールなど他のジャンルのアーティストともコラボし、ブルックの『マハーバーラタ』では土取利行と共演した。

*ネイ/葦製の縦笛。普通八つの節のついた葦を用い、前に六つ、後に一つの指孔を持つ。象牙や硬質の木で円錐形作られた歌口が最上部に付けられる。長さの異なるものが数種あり、メヴレヴィー教団の合奏団では、ネイ奏者が指揮者の役割も果たす。

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ムラット・アイデミル(タンブール奏者)

1971年ドイツ、ハノヴァー生まれ。1982年イスタンブール工科大学のトルコ国立音楽院で音楽を習い始める。10年間にわたる音楽学校の学習期間に、タンブールをネシップ・ギュルセスに学び、1992年に器楽教育部を卒業。1989年には文化省のイスタンブール政府トルコ古典音楽合奏団の一員として活躍。1997年ケマンチェ奏者のデリャ・トゥルカンと一緒に演奏した作曲ならび即興曲のCD「トルコ古典音楽Ahenk」第一集を発表。2008年、CD「Ahenk」第二発表。現在、クツィ・エルグネルをはじめ、多くの古典奏者と演奏を続ける一方、タンブール音楽の可能性を開くために、新たな音楽活動も展開。トルコ古典音楽の次代を担う期待の演奏家である。

*タンブール/24のフレットを持つ細長いネックのリュート。半球形の共鳴体はすべて薄い板で造られ、八本のダブル弦が張られている

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ベキル・ビュユックバッシ(歌手)

1956年コニアで生まれる。イマム・ハティップ高校卒業後、宗教事業部でムエッジン(詠唱者)として努めだす。最初の音楽の手ほどきをネイゼン・サドレッティン・オズチェイミとハーフィーズ・フェヴジ・オズチェイミから受ける。1984年イスタンブールのラレリモスクのムエッジンとして三年間努め、1987年にファティーフモスクからの任命で23年間にわたってムエッジンを努める。彼はかつてのカニ・カラカ、ケマル・テゼルギル、ベキール・シトゥキ・セズギンのような大家から賞賛を得ている。トルコや各国のフェスティヴァルやコンサートに、コーラン詠唱者とし参加。2010年、ファティーフモスクの努めから引退。トルコのアラトュルカ・レコードによるコンサートを開催し、数々のレコードを発表。現在は音楽家として幅広い活動を続けている。

  

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 真正トルコ古典音楽の伝統を受け継ぐ、ネイ奏者クツィ・エルグネルと私の出会いは1970年代中頃に遡る。私が海外に出て翌年の1976年にパリで国際劇団を作り活動を始めていたピーター・ブルックから劇団での演奏を依頼され、演劇の仕事に着手して間もない頃だった。ブルックはその頃、演劇と同時に神秘思想家グルジェフの映画「注目すべき人々との出会い」を製作中で、その映画にはクツィも出演していた。ある時、劇団の役者の結婚式があり、その家に私も招待され、式場で演奏していたのがクツィとネズィ・ウゼルというベンディル(枠太鼓)奏者だった。この時、初めて聴いたネイの響きとベンディルのリズムがとても印象的で、トルコ音楽への関心が一気に高まった。以来、ブルック劇団の仕事でパリに居るときは、当時留学でパリに住んでいたクツィのアパートを訪ねてはトルコ音楽、とりわけスーフィー音楽について教えてもらっていた。

 ピーター・ブルック劇団で本格的な劇場音楽を担当する様になったのは、77年に創作したアルフレッド・ジャリの『ユビュ王』からで、おそらくこの頃すでにブルックは超大作となったインド叙事詩マハーバーラタ」の劇化構想を始めていたと思う。80年のアヴィニオン演劇祭でこの『マハーバーラタ』上演を予定していたものの、世界最大の叙事詩を学ぶにつれ、ブルックは当初予定していた断片の劇化を止め、全物語の演劇化という途方もない方向にスイッチを切り替えた。これによって予定していたアヴィニオンでの『マハーバーラタ』公演は延期となり、代わりに演出したのがイラン詩人アッタールの作品『鳥の言葉』だった。『マハーバーラタ』に『鳥の言葉』、ヒンドゥー教の教えとイスラームスーフィズムの教えが、一気に私の中で交差しだした。そして、スーフィズム、とりわけジャラールディーン・ルーミーが開祖となるメヴラーナー教団とその教えに強い関心を持つ様になった。

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 メヴラーナー・ジャラールッディーン・ルーミーは13世紀イスラーム最大のスーフィー詩人かつ神秘思想家で、ペルシャ語コーランといわれる詩集『マスナヴィー』や『ル−ミー語録』は時を越えて世界中で今も広く読み継がれている。また彼は旋回舞踊教団として知られるメウレヴィー教団の祖だが、イスラーム教では本来典礼の音楽や舞踊は用いず、イスラーム法学者によってこれらは一切禁止されていた。しかし、ルーミーが活躍した中世オスマン・トルコの時代には貴族階級は娯楽として古典音楽を享受し、一般民衆は民俗音楽に親しんでいた。こうした状況下で、イスラーム宗教生活に音楽を取り入れたのが、スーフィー達(イスラーム神秘主義者)だった。彼らは律法中心主義法学神学者に対し、音楽や舞踊は自我の消滅を導き、陶酔的境地に入って神の直接的体験を得る手段となりうるとし、これらをサマー(集会で特定の章句や詩を唱え忘我の境地へと入る勤行)の形で発展させ、その最たるものがルーミーを祖とするメヴレヴィー教団の典礼となった。

 ある昼下がり、最愛の精神的、宗教的同朋シャムスを亡くしたルーミーは放心状態でコニアの市場街を彷徨っていた。何も目に入らないまま歩いているうちに、宝石商の前に立ち止まり、カーンカーンと打ち付ける金細工師の鎚音がに耳に入り、その音をじっと聴き続けているうちに、やがて身体が不思議な衝動を感じ始めた。右手があがり、目がふさがり、頭が右肩に垂れる。右足が上がったかと思うと、おもむろに旋回を始めだした。ルーミーの恍惚となった踊りを見んと街の者が集まってくる。宝石商は金細工師に打ち続けろと命じ、自らもいたたまれなくなりルーミーと共に旋回をはじめる。宝石商セラ八ッディンは、その後ルーミーに帰依し、彼の最愛の友となる。

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 こうしてルーミーはこの舞踊を典礼に取り入れはじめた。音楽は当初自由だったようだが、どんな楽器が用いられていたかは分からない。その後、ルーミーの息子でメヴレヴィー教団の後継者となったスルタン・ヴェレッドがルバーヴという擦弦楽器を演奏していたことから、この楽器が最初に典礼で使われたのではないかともいわれている。またルーミー自身は『精神的マスナヴィー』の冒頭で葦笛(ネイ)を象徴的に用いた<葦笛の望郷のうた>という詩を記しているように、この楽器の愛好者であったことが伺える。

葦笛を聴け、それが奏でる物語を、 別離を悲しむその音色を。

葦笛は語る、慣れ親しんだ葦の茂みより刈り取られてのち。

私の悲嘆の調べには 男も女も涙する。               

別離の悲しみに私の胸は引き裂かれ。                

愛を求めて痛みは隠しようもなくこぼれ落ちる。            

誰であれ遠く切り離された者は乞い願う。                

かつてひとつであった頃に戻りたいと。

上の詩はWeb に紹介された『精神的マスナヴィー』より引用。

詳しくはこちらのページから→http://levha.net/mathnawi/

 スルタンヴィレッドによってコニアに教団としての基礎固めが行われたメヴレヴィー教団は、この得意な旋回舞踊と音楽によってイスラーム教徒の耳目を集め、歴代スルタン寄進による数々の施設を各地に誕生させていったが、オスマン帝国の衰退、崩壊と運命を共にし、1925年トルコ共和国近代国家への改革過程の中で、組織は解体され、教団の典礼も禁止された。

 しかし、ルーミーの追悼集会がもたれた1942年を機にメヴラーナーの信奉者達がひそかに典礼の再興に努め、50年から60年にかけて音楽家と舞踊家全員が集まってその復興に拍車がかかった。現在はルーミーの命日、12月17日に追悼記念会としてコニアに世界各地から人々が参加しての典礼が開催されている。この宗教弾圧にも等しい、近代化への転換期に苦境を乗り越えて音楽を続けてきたのが、クツィ・エルグネルの祖父スレイマン・エルグネル・デデや 父のウルヴィ・エルグネルなど、ルーミーの信奉者たちである。

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1960年代、復活したメヴレーヴィ教団の典礼でネイの演奏をするクツィ・エルグネルの父、ウルヴィ・エルグネル(左より三人目、四人目がマスター、アカ>

 クツィ・エルグネルが生まれたのは、再びメヴラーナーの典礼再考され音楽家と舞踊家が活動を始めた素晴らしい時代で、彼は父からネイを伝授されるだけではなく、復活したメヴラーナー楽士の長老達の演奏を聴き、共に演奏してこれら巨匠の技を学んでいったのである。彼はもちろんコニアやイスタンブールのメヴレヴィー教団の典礼で演奏もしているが、それだけに留まらず、メヴラーナーの時代に始まり、やはり禁止されてきたベクタッシュ教団やハルヴァーティー教団の典礼にも楽士として参加し、スーフィー音楽家として活躍する一方、これらスーフィーの思想や哲学研究にも力を注ぎ、パリでは自らの教室を持ち、ルーミーやベクタッシュの音楽や思想を教えてもいた。

 ブルックの『鳥の言葉』を演劇化するにあたって、増々スーフィーの音楽に興味をもった私は、ちょうどクツィがトルコ帰国する日に合わせて、メヴラーナーの拠点コニアやイスタンブールなどを訪ね、スーフィー教団の重要な人物と会い、話しを聴き音楽を聴き、さらにハルヴァーティー教団を訪ねた際にはテッケ(寺院)でズィクル(行)にも参加させていただく幸運も得た。これらの旅は自著『螺旋の腕』に記したので省略するが、この旅は『マハーバーラタ』の音楽製作に携わりインド音楽に没頭する前でもあり、トルコスーフィー音楽の深さを実感した貴重な旅であった。

 さて今回、郡上八幡音楽祭にクツィ・エルグネルが二人のトルコ古典音楽の精鋭を率いて来てくれる。彼は88年の『マハーバーラタ』で日本に来たが、本格的スーフィー音楽の公演はこれが初めてで、他の二人は初来日となる。今回は一日目がスーフィー、メヴラーナーの典礼音楽、二日目がスーフィー達がその発展に寄与したオスマン・トルコの古典音楽が演奏され、私も打楽器で参加する。二日間のコンサートは、いずれもクツィ・エルグネルの体験と博識ゆえに実現するコンサートであり、是非ともこのまたとない機会をお見逃しなく。

 来たれ、来たれ 汝いかなる者であろうと 異教徒であれ、偶像崇拝者であれ 来たれ、われらが宿は 望みなきところにあらず たとえ汝、誓に背こうとも 来たれ、幾たびとなく。<ルーミー>

 

郡上八幡音楽祭2016『トルコスーフィー音楽の祭典』

■『スーフィー・メヴラナの伝統音楽/神秘の楽奏』

7月17日(日)17時開館 18時開演

郡上市総合文化センター2F 文化ホール

前売:4000円 当日:4500円

■『オスマン・トルコ古典音楽/珠玉の楽奏』

7月18日(月祝)18時開館 19時開演

安養寺

前売:5000円 当日:5500円

詳細:http://gmf2016.wix.com/sufi