あれから2年経ったので、将来のことを考えてみた

骨巨細胞腫の手術から2年経った

2013年11月1日から2年経った。
その日は俺が骨巨細胞腫を手術した日なので、再発率20%〜50%で再発した人の80%が2年以内といわれる腫瘍の手術をしてから、2年が経ったという事になる。


手術した日から決めていた事が一つある。
「2015年11月1日まで将来のことは考えない」。


以前50歳までのロードマップを引いていたんだが、病気ひとつで瓦解した脆いロードマップだった。
割と細部まで考えてたロードマップだったんだが、条件の一つが今でいうミニマリストだったので、生活費の下限が上がる病気持ちだと瓦解は仕方ない面はあったと思う。


病気にかかった今でも、死んだらどうしようとか、病気にかかったらどうしようとか、考えすぎるのはやっぱりよくないと思ってる。
そういうの考え始めると、どんどん身重になってくる。
身重になりすぎないためには、ある程度のリスクを考慮した上で、それらのケアを最低限しつつも、やりたい事をやれることを最も優先するという信念を持って決める方がいい。


だから、以前の俺の計画は、それはそれでよかったのだ。
イレギュラー因子によって失敗したけど、その失敗は仕方がない。
また失敗するかもしれないけど、失敗を恐れずもう一度同じロジックで計画を立てよう。
そのために、リスクが最小化する2年間おとなしく待とう。


ということで、ひたすらこの日を待った。
実に長かったが、ついに来たぞ。


骨巨細胞腫の状態

計画を立てる前に、病気の状態に触れておきたい。


俺の体の中に入っているセメントの状態は安定。腫瘍は再発すると、このセメントを溶かして浸食してくるんだが、そういう気配もない。
今のところ、再発の気配はない。
20%-50%の再発率で、再発した人の80%が2年以内に再発していることを考えると、4%-10%に落ちたということだ。


ただ左足はサッカーが出来る状態になっているというわけではなく、とても健常者のそれと同じとは言い難い。
走れば痛いので小走りが限界。
移動速度が病気前に比べるとずいぶん落ちた。
手術したのは左足で、手術直後は左足が右足よりずいぶん小さかったんだが、今はほぼ同じくらい。筋力量は戻っているのにそんな状態なので、このままかな、と諦めつつある。


それ以外に、原因不明の皮膚系の病気をよく患う。
最近も謎の感染症にかかって今も服薬と通院をしている。次の検診は本来6か月後でいいんだが、お医者さんも理由わからない謎病気なので、また2か月後に行かないといけない。
まあ足が弱っている事の証左みたいなものなのかということで、こういう小さい問題は続くと思った方がよさそうだ。


2年経ったら再発しないって訳でもないし、こまい問題は出るし、足のケアはしないといけないっぽい。
ということで、医療機関が発達していないところでミニマリストやるには、やってもいいがリスクが大きい状態、といえると思う。


計画の立て方

このBlogで何度か書いたと思うが、とりあえず俺の計画の立て方を軽く。


計画を立てる時、今の状態というのはいったん綺麗さっぱりゼロでリセットする。
会社がどうとか、家族がどうとか、そういうのは忘れる。
まあ忘れられるわけはないんだが、可能な限り忘れる。


出来る限り空っぽにした状態で、今何がやりたいか、何をやっていきたいのかを一度突き詰めて考える。
ここで残るものが、コア。いわゆる一番やりたいもの。


まずこれを見つけて、これをベースに考える。
そっから諸々の現実と調整して、出来るか出来ないかを決めるってのが一点。


それに付随して、「変えない」という選択は「変えない」ではなく、「○○にした」と定義するようにする。
だから例えば俺が今いる会社をやめないのであれば、それは会社にいるという状態を変えないんじゃなくて、会社に居続ける事を決めた、という事になる。


おおよそこの二つだけが決め方で、後は決める範囲なんだが、これは想像がつくまで、としている。
老化については想像がつかないが、50くらいまではなんとなくやれるだろうと思うので、50くらいまでで考える。
子供もいるのでそれ以後をまったく考えないって訳にはいかないんだが、あまり想像がつかないところまで考えすぎても仕方ないので、今回も50くらいまでが妥当な範囲だと思う。


やりたい事と現状の分析

やりたい事ってのはあんまり変わってなくて、作りたい。
それも、作ったものを一人で恍惚と眺めるより、出来れば作ったものを発信していきたいという欲求がある。
作りたいものってのは、まあ山ほどある。


それをベースに考えるんだが。


とりあえず、一つの結論としては以前と変わらず、会社というものでやりたいことは、本当の意味では出来ない。
俺がやりたいと強く思っている事であっても、組織でやる以上いろんな人と調整しないといけないし、その結果出来たものが俺が作ったものだと胸を張って言えるかというとそうではない。


権力手に入れて優秀な人材使って自分が船頭だけやろうと、お偉いさんと交渉しつつ自身も手を動かしていようと、お偉いさんの描いた絵の一部を描けるよう手を動かす事に集中していようと、立場がどうあれグループワークで得られる自身の達成感なんて、血反吐吐く思いで全部を一人でくみ上げる事に比べれば劣る。


誰にも邪魔されず、誰のせいにも出来ないものを、一人で作り上げてこそmade in 俺だろう。
それ以外でmade in 俺なんてありえない。
だから会社でやる以上、満たせないものではある。


作りたいものをすべてmade in 俺、一人で全部作れると一番いいということだ。


しかし一人でやって思い知らされたこともあり、一人でやることの限界ってのも当たり前だがある。
大変悩ましいのだが、グループではじめて出来る事、一人で出来ること、いずれも確実に存在している。made in 俺に固執すれば、作れなかったという結果を招く事がありえる。


現状はひたすら会社の作業だけをやっているので、グループで出来る事に特化している状態。
この状態だとmade in 俺を作りたいという欲求は満たせないが、グループでしか出来ない事はやりやすい。
made in 俺の方はまったく出来ていないが、作りたいものの内難しいものが出来る可能性はある。


グループでしか出来ない事をやれる環境と現状を照らし合わせると、これ以上の環境も探せばあるかもしれないが、今一から会社を選び直しても必ず候補に入るであろう会社で、それなりにおいしいポジションでやれてはいる。

どっちをとるか

グループで出来ることを優先するのか。
made in 俺を優先するのか。


このテーマは未来永劫残りそうで、どちらを選んでもどちらかに未練が残りそう。
両方選ぶと両方ぼやけそう。
さすがに両方選ばないってのはないかなと思うので、3択。


今決めなければ。


これを決めなければ何も決まらない。


決めてみる

文にすると一瞬なのだが、よし決めた。


両方。


両方やる、に、決めた。


両方ぼやけそうってのは普通にやるとそうなると確信しているので、工夫が必要だが、工夫すればぼやけないという可能性はあると思った。
ということで「いったん」両方やることに決めた。
いったん、なので、まずは3年。




グループでやるのは、もうちょっと今の会社でやってみるのでいい。
作りたいものを考えた時に間違いなく候補に入る会社で、作りたいものの一つをベースで選び直す事をシミュレーションしてみると、動きの速さを見越してベンチャー系でやってみたい感も少しはあるが、あのレベルのプラットフォームを一から作るのは途方もない手間がかかる。
3年という期間を考えれば、土台がある今の会社がファーストチョイスだろう。


現状はそれなりにおいしいポジションではあるものの理想的かといえばそうではないんだが、過渡期にあるので全力投球しつつもう少し様子を見たい。
この会社でやることに、あと3年ほどグループワークの方で成果が出るか賭ける価値はある。


現状理想的なポジションではなく、理想的なプロダクトに昇華出来ないのは俺の力不足が一因とみて、謙虚に勉強し、貪欲に進めていくのをあと3年続ければ、在籍期間も合計5年。会社の状況も、もうちょっとやりやすい形になりそうな流れはある。
個人の努力と、環境の整理を期待しつつ全力でやってみて、それでも3年後にろくな成果が出ていなければ、さすがに何かしら問題あるんじゃないのということで、環境変えるのを考えていいと思う。


3年後には俺も37。35は超えるが、40には達していないし、まだぎりぎり手は動くだろう。
最悪の場合はそれからなんとかすればいい。




次に、一人でやる方。
これはもう結局のところ、手を動かすしかないが、以前分析した通り俺は一人でやるとさぼるし、会社とプライベートを両立させられるほど器用ではない。
だがmade in 俺が必要で、それがグループで出来ない事はわかりきっているので、器用じゃないなりにやるしかない。


ということで、一つだけ変えてみようと思う。


仮面をかぶる。


俺はネットの世界ではひたすら実名路線だったのだが、やめる。
実名の俺はグループワークの方に閉じ込めて、仮面の俺がプライベートの作業をする。
実名の俺は今の会社に勤めてる2児のパパ。
仮面の俺にそういうのはいらなくて、○○を作ってる俺。あるいは△△を作りたい俺。会社とか、家庭とか、そういうのはない。


別にそれほど隠すつもりはないんだが、まずは使い分けてみる。
隠すつもりはなくてもそんなにペラペラ喋るメリットもないので、実名の俺が仮面の俺を宣伝することは当面ない予定。


このBlogも時々は実名の俺として更新するかもしれないが、プライベート活動は仮面をかぶるし、Blogはプライベートな活動でしかない以上、メインは別の場所に移すことになる。


この仮面にどれほど俺の手を動かす力があるかはわからないが、仮面をかぶっているときの俺はプライベートで手を動かしている時の俺。
そう決めるので、これでどれだけ変わるかを、3年ほど見てみる。
仮面かぶったところでダメだね、ってなったら、また変える。
様子を見る期間が3年てのは、まあ妥当なところだと思う。


その他、決めなければいけない事

次に、場所だ。


足の事もあるし、昔は結核にもなってるし、生まれつきアトピーっぽいのもあるし、俺はどうも病弱なようなので、場所は日本がよかろう。
ミニマリストブイブイ言わせたい気持ちが0というわけでもないというかまだ未練たらたらではあるが、俺がメッシ以上のサッカー選手になれないのと同じように、鳥山明のような絵が描けないのと同じように、そのようなマッチョな生き方は俺の体には無理なんだろう。


しゃあないので、受け入れる事にした。
負けたよ体君。
そのうちビールやタバコもやめさせられるのかなぁ。
俺も譲歩したからこの辺でご勘弁いただけるとありがたいんですけども。


ということで神様仏様日本様、今後ともこの軟弱人間をよろしくお願いいたします。


長期的な話

3年くらいは決めたけど、なんとなく想像が出来る50まであと13年分くらい空白がある。
ただおおよその指針は、ここで書いた話と変わってないんだよな。
今後の人生的な指針など: http://d.hatena.ne.jp/tsugehara/20110204/1296806476


ってもうじきこれから5年経つのかよ。
そりゃ子供二人出来て奇病くらい患うわけだ。


まあいいや。書いた話の中でこういうのは変わってないし、

  • 最終的な人生の成否は自分が自分を好きになれるかどうか
  • 人生は勝手に4分割くらいかなと思っていて、自我形成をする10歳まで、学ぶ期間としての30歳まで、学んだことを活用する50歳まで、以後余生
  • 器用じゃないので二兎すら得られない


この結論もあんまり変わってない。
> 私がするべき事はものを作る事で、なぜなら自分が自分を好きになるには作りたいものを作りきることが必要で、そのためには金を最低限に抑えてその金を用意し一人で奥地にこもって人生賭けてやるべきで、そうすると虚無と対面して潰れるリスクはあるだろうけど、私はそうするべきだろうと信じます


ただ金を最低限に抑えられる程マッチョではないようなので、そこは体君を尊重してもうちょい安全に倒しましょうと。
また最低限に抑えて作ってた結果、一人の限界みたいなものを感じる事もあったので、二兎すら得られない人間ではあるがグループと個人の二兎を追う事に決めて、グループの方はこれまでと変わらず全力でやりつつ、個人もやるためには自分を変えることが必要だと認識したので仮面をかぶる事にしたと。


長期的な話は指針を踏まえた上で、直近の施策として上記を決めて、3年後にまた指針と照らし合わせて評価して、指針とずれているならまた変えないといけないし、満たせそうなら継続する。
ウォーターフォールモデルの人生はなかなか難しいから、3年しか決めてないけど指針は決めて、あとはイテレーションでやってこうぜというのが今回決める長期計画ということで。
誤魔化してる感もあるけど、それなりに筋は通っている、と思う。


家族の話

両方やると決めたので、直近ではそこまで変化ないのだが、家族とのバランスについては正直整理ついてない。
この「人間の子供について」で書いたように、
http://d.hatena.ne.jp/tsugehara/20120915/1347706700
「子供は重要」とかはわかっている。でも子供重要視しすぎたら俺はなんも出来ず、made in 俺を作るには俺が何かしないといけなくて、俺が何かをすれば家族の時間が犠牲になる。


でもどのくらい家族の時間を犠牲に出来るのか?というのは、整理ついてないんだよね。
だってなぁ、土日くらい子供と遊ぶ時間に充てたい気は俺みたいなしょうもない人間にもあるわけよ。
じゃあ平日の夜を仮面活動にあてられるのかっていったら、そんなにタフな自信がないので、やってみてからじゃないとわからん訳ですよ。


まあやってみて、仮面かぶってる暇なんてあるかボケって状態になったら、考えよう。
最近平日の夜が空いているのでなんとかなりそうな気もしているのだが、正直わからん。
軟弱だしな。


ということで

ちょっと未整理事項もあるけど、まあいったんこれで11月まで考えないとしていたことを考えたので、思考の一区切りとしたい。
前回は失敗したが、今回も失敗を恐れずにやっていきたい。