タクシードライバー

 浜松の耳鼻科へ行ってきました。名古屋から新幹線(こだま)で浜松まで行き、そこから病院まではタクシーを使いました。浜松という街は自家用車の所有割合が高いらしく、何故かというと地下鉄も無く、路線バス網もそれほど発達しているわけではないので、自分で車を運転する人が多くなったのだそうです。従って、私のようによそからやって来た者の移動手段は、タクシーに頼らざるを得ません。

 浜松のタクシーはこれまでに何度か利用しているのですが、行き先を告げた後は運転手と話すことが特に無い場合もありますが、話しかけてこられて目的地に到着するまで会話が続くことが、他の地域(岐阜や名古屋や東京など)のタクシーと比べて多いような気がします。今回は、診察が終わって病院から浜松駅まで戻ってくる際のタクシーの運転手が「話しかけてくるタイプ」の人でした。見たところ、結構高齢の運転手でした(後で訊いたら70歳とのこと)。どこから来たのか尋ねられたので岐阜だと答えると、「俺も昔、岐阜に住んでたことがあるんだよなぁ〜」と少し遠くの方を見つめるような目をして、彼の岐阜での思いで話が始まりました。浜松で生まれた彼は、高校を卒業すると、秋田から連れてきた三つ年上の女性と岐阜へ移り住みました。取り敢えず住む場所は決まったものの、仕事がありません。「元手がいらなくて、体ひとつで始められる商売は何だと思う? トルコや。ホステスだとドレスやアクセサリーに金がかかるが、トルコなら水着ひとつですむからな」と彼は言いました。トルコというのは今で言うところのソープなのでしょうか。良い子の私はそういう世界の詳しい事情は全く知らないのですが、どうやら現代のソープとは違うような感じでした。一方の彼は何をしていたのかというと、お昼過ぎまで寝ていて、夕方に彼女を車でお店へ送り、真夜中に迎えに行くという毎日で、定職があったわけではなく、経済的には彼女の稼ぎに依存していたようです。要するにこの運転手は「ヒモ」だったわけで、サイテーだよなと心の中では思いつつも「そういう生活は羨ましいですなぁ」と当たり障りの無いことを言っておきました。
 そういういわゆる「髪結いの亭主」的な生活を送っていた彼ですが、やがて飽きてきて、彼女には何も告げずに突如ひとりで浜松へ帰ってきたのだそうです。そして地元の運送会社に就職し、ドライバーとして働きはじめました。
 一方、岐阜へ置き去りにした彼女の方は、風俗のお店でナンバー2にまでのし上がり、ひと月に90万円稼ぐまでになったのだそうです。50年前の90万円は今のどのくらいの金額に相当するのかわかりませんが、かなりの大金であることは間違いありません。そうやって貯めたお金を資金にして彼女は喫茶店を開きました。
 ある日、浜松の運送会社のドライバーをしていた彼に岐阜へ荷物を運ぶ仕事が割り当てれらました。そして到着した先は、何と彼女の喫茶店のすぐ隣で、荷下ろし作業をしているときに彼女に見つかってしまったのだそうです。やべぇ、と思っていると彼女が近づいてきて「戻ってきてとは言わないけど、岐阜へ来たときは顔を見せなよ」と言いました。彼はバツが悪くて、彼女の方を見ることが出来ず、そそくさとその場を去ったのだそうです。

 なんだかこういう小説かドラマのようなことが実際にもあるんだなぁ。その彼女がどんな人なのか見てみたい気もします。