現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

苗箱の土入れ作業完了と『清光館哀史』


21日(月)春分の日
もう、昼と夜の時間が同じになったんだ。旧暦では2月17日です。昨日が実は満月で、西行の「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」だったのですが、今年の暦でいうと、このあたりではちと桜には早いです。


終日、苗箱に土を入れる。今日も子どもたちが手伝ってくれて仕事がはかどる。ありがたい。
お昼にお墓参りに子どもたちも連れていく。


22日(火)
今日は学校もあるので、土入れを手伝ってくれたのは小学校を卒業したばかりの次男一人だったのだが、それでも大助かり。
どんどん作業がはかどって、昼前に予定の苗箱の枚数に到達。うれしい。ありがたいことでした。あと、10日ほど種籾を浸種しておいて、苗箱一箱あたり乾燥籾で100gから120gほど播種します。
午後は曇ってきて、風が強くなってきました。夜には雨かも。


さて、ネットを検索していたら、東北文庫というところで柳田國男の『清光館哀史』が読めて、なんだか、ほんとに感激してしまった。『定本柳田國男集』(全31巻別巻5)は持っているのだ。筑摩書房からでている。学生時代にひと夏、三交代のバイトを一月ほどして、お金を貯めて大学生協で購入した。生協の本屋のいつもちょっと怖い顔をしたおばちゃんが「へー、すごい本を注文するんやね、一括払でいいの?」と聞いてくれたことを覚えている。「あったりめーよ、こちとら冷房もない工場の三交代勤務をやってきたんでぇ、頭金なんかなし、一括払でポンよ!」と言わなかったが、心の中で思ったのでした。たぶん(笑)。今から思うとよくもまあこんな本を生協の新本で購入したものだと思うけれども、若気の至りでしょうなぁ。
今はどうか知りませんが、筑摩の国語の教科書の『清光館哀史』は当時の看板教材だったようですね。そんなことは知りもせず、知らされもしていない当時の滋賀の田舎の高校生だったわけですが、僕の友達もみんな「おえ、『清光館哀史』ええやんかいや」と言い合っていたのだ。


1981年、大学二年の初夏にかけて青森のリンゴの花が咲いていた頃なのだが、東北ワイド周遊券を買って、期限めいっぱいの一ヶ月間東北を歩いた。それはテントさえ持たないで、駅の待合室や夜行列車や小学校の体育館や保健室やら(ときにうちへ泊まりにこい、と普通の家へよんでいただいたり)で泊めてもらうという、なんだか妙にハラハラドキドキする旅だったのだが、それは基本的に柳田國男が歩いた東北をあるいてみようという旅でした。だから遠野にもいったし、安比川に沿って歩いたし(ああ、安比小学校でも泊めていただいて、近所の小学生が遊びにきたり、朝、おにぎりを作ってきてくれたりしたのだった。あれ?でも安比小学校って検索しても出てこないなぁ。記憶違いか?)、そしてもちろん陸中八木の駅で降りて、小子内にも行ってみた。陸中八木駅は雨で、傘をさして小子内の村を歩いたのでした。よろず屋のおばあさんに清光館のことを聞くと、昔、えらい人がこのあたりを歩かあったらしい、と場所を教えてもらった。井戸があり畑があった。
浜にも降りてみたけれども、大きなコンクリートの防潮堤ができていて、砂浜はわずかしかなかったのを覚えている。


と、ここまで書いていたら、Facebookで同級生の友人が『清光館哀史』がネットで読める。まごうことなき名文。と書いているではないか!!まあ、なんとも偶然とは恐ろしい。というかびっくり。


東北文庫の『清光館哀史』教科書で習った人も習わなかった人も、どうぞ。


iMacを10.6.7にアップデートする。なにがどうなのか、よくは知らない。