現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

遺伝子組み換えの作物や種のことと『ゲット スマート』

『ゲット スマート』(2008)

6日(金)  晴れ
午前中は、先日小麦の播種で使ったシーダーを掃除する。残っていた種や肥料を取りだして、水洗いしたり,エアであれこれ吹き飛ばしたり乾かしたり。
午後も掃除の続きと車庫の整理など。


7日(土)
朝、大豆の水分を計ってみたら、13%台で、乾いていそうなので、大豆の選別をする。
午後、三時過ぎまでかかる。


先日播種した空豆の様子を見にいったのだが、うーむ、どうも、キツネかハクビシンか、タヌキか、何者かが土を掘り返しているなぁ。空豆の種もいくつか被害を受けている。うーむ。そういえば、サツマイモのあとに空豆を播種したのだが、サツマイモの時も、母が、なんか掘り返されている、などと言っていたのを思い出す。ま、無事に残っているのもいくつかありそうなので、我慢するしかない(笑)。


そういえば、「国際有機農業映画祭」というのがあるようなのです。今年で第九回になるそうですが、今まで「国際有機農業映画祭」を知りませんでした。有機農業や自然環境問題に関心を持っている方々が、運営委員になったりして、活動している非営利の市民グループなんだそうです。うーむ。
その映画祭でM. シーン・カミンスキー監督のドキュメンタリー映画『Open Sesame』(2014)が上映されるそうです(開けゴマ!ですな)。邦題は『種をつぐ人びと』。




”この100年で90%の在来種が絶滅したという。食の工業化や大量生産に伴い、種の多くは大量生産に適するといわれる遺伝子組換え種子(GM)や一代雑種(F1)になり、大量生産に向かない在来種をつなぐ人たちが減ったからだ。一代雑種は、種を採り蒔いたとしても親と同じ特性の種にならないため、農家は毎年種を買い続けなくてはならない。遺伝子組換え種子もまた、巨大企業の契約に縛られているため農家が自由に種を採り、蒔くことはできない。
種は誰のものか。巨大企業を相手に、種の主権は自分たちにあると有機の種農家が訴える。そして絶滅の危機にあった在来種を蘇らせ、再び世に広める様々な取り組みを描いた作品。
原題の『Open Sesame』は直訳すると「開けゴマ!」。アリババが盗賊に盗まれた財宝を市民に取り戻すために宝が隠されていた洞窟を開ける呪文。作品の中で出てくる「開けゴマ」の運動は、巨大種子会社に独占された種を市民に取り戻す運動。”


ということらしいです。僕は予告編だけでぐっときてしまっています(笑)。でもこれだけだと、あまりよくわからないような気もするので、こちらも。こちらは25分ほどのドキュメンタリービデオですが。フィリピンのトウモロコシ農家が語っています。



TPP交渉の中でも少し話題になっているようですし、ISD条項のことでも話題になっていますが、・・・遺伝子組み換え食物のことです。
簡単に説明すると、って、簡単に的確に説明する自信はないのですが。
たとえば。
今の農業生産の中で、大きな問題の一つは、って、昔からですが、作物を育てるときの、除草問題です。雑草が生えるんですね。ええ、必ず生えてきます。雑草が生えてくると、その分だけ肥料分、栄養分がとられてしまいますから、育てたい作物に栄養分がいきません。病気や虫の被害にも遭いやすくなります(たぶん)。
そこで草むしりをしたり、草を刈ったりするのですが、一番お手軽なのは、除草剤です。除草剤をかけると草は枯れますからね。かければ植物が枯れる薬。でも育てたい作物にかかってしまうと、肝心の作物が枯れてしまいますから、作物にはかからないようにしなくてはいけません。もしくは作物以外の雑草だけ枯れるような除草剤を使うことになります。ま、しかし、その作物は枯らさないけど、その他の雑草はきれいに枯らせます、というような薬は開発が難しいし、使い方も難しいことになります。効果のある時期が短かったり、希釈倍率とか、散布時期とか。薬の成分が作物に残っては大変ですから。
そこで登場してきたのが、遺伝子組換食物です。要するに、遺伝子を組み換えて、除草剤がかかっても枯れない作物にすればいいわけです。そういう遺伝子をもった種を作るわけです。
そうすると心置きなく、除草剤を振りかけることが出来ますね。除草剤がかかると雑草はみんな枯れてしまいますが、除草剤がかかってもその遺伝子組換作物は枯れずに生長していくわけですから。こうなると、飛行機やヘリコプターで、広い面積に、思う存分薬を空から散布できます。すばらしい!ワンダホー!エキサイティング!ソークール!というわけです。
でも、あーた、そんなふうに除草剤がたくさんふりかった作物を収穫して、食べる気になりますか?
病害虫についても同様です。害虫がやってきて、その作物を食べると、害虫が死んでしまうように遺伝子の一部が組み換えられます。そうするともうその害虫に対する農薬をまかずにすみます。でもできた作物は、食べると虫が死んでしまう作物でなんです。
それから、もちろんこういう便利で使いやすい遺伝子組換作物の種の開発には、多額の研究費用がかかっていますから、企業は特許をとるわけです。その種に特許権!。するとどうなるか。農家はたいてい収穫したら、その一部を来年の種として残します。ところが特許があるわけですから、種取りを許されないわけです。あるいは種ができないようになっていたり、種をとって播いても、同じものができないようになっているわけです。こうなると毎年種を買わねばなりません。毎年種を買わなければ作物が作れない、ということは、その作物を実質上支配されていることになります。最初は安くても、だんだん価格も上がっていくことでしょう。しかも、種を残すと、特許侵害で訴えられたりするわけです。
もちろん企業は、「安全です。何の問題もない」とおっしゃっていますが。


えーっと、これは「Seeds of freedom (種の自由)」というGMO種子(遺伝子組み換え種子)に関する無料視聴短編映画です。30分ほどの長さかな。アフリカでのことが取り上げられています。残念ながら日本語吹き替え版というか日本語字幕版もないようなので、僕の英語力では、ほとんど英語は聞き取れていませんが、ま、画面を見ているだけで、おおむねわかるような気がします(笑)。


フィリピンのこと、アフリカでのこと、遠い外国でのこと、と思ってしまいますが、すでに遺伝子組換の作物は日本に入ってきていると言われたりしていますが、今後、不思議なことにそれが遺伝子組換の作物なのかどうか、しっかりと表示しなくてもいいようになる流だそうです。遺伝子組換の作物で儲けようとしている企業にとっては、そういう表示は邪魔ですからね。
こういうドキュメンタリーを観ていて、現地の農家が「ちょっと簡単に騙され過ぎじゃないの?」と思ったりしてしまうのですが、しっかりしたジャーナリズムがなく、まともな情報が得られず、貧しい生活の中でお金をチラつかされると、いとも簡単に言いなりになり騙されてしまうのは、おそらく日本人も、日本の百姓も同じ。というか経験済みのはず。


さて。
えーっと、テレビで『それ行けスマート』を最初に観て笑っていたのは、いつごろだったのだろう?小学生の頃か?ドン・アダムスのやつ。エージェント99はバーバラ・フェルドンでした。などと印象鮮明なのは、学生時代、1980年代前半富山で深夜、このテレビドラマシリーズを再放送をやっていたのだ。深夜の放送でした。当時、富山では民放は二局しかなかったからなぁ。もちろん貧乏下宿生の私としては、テレビなどを部屋に置けるはずもないのですが、友達の下宿にはテレビのある部屋もあって、「そういや、スマートの時間や。」などと、『それ行けスマート』を観て何度も笑った記憶があります。ばかばかしいドラマなのだが、そのおバカ加減がおもしろかったんだなぁ。
映画になった『それ行けスマート 0086笑いの番号』 は後にレンタルショップで借りて観たけれども、ま、洗練されすぎていて、それほどは笑えませんでしたな。
で、今日の『ゲット スマート』である。1ヶ月ほど前のiTunesで100円レンタルになっていたとき、ふと、おもいだしたのだ。富山で一緒に『それ行けスマート』を観てたのは、友人のFなのだが、
「おい、『それ行けスマート』って、原題はなにか知ってるけ?」
「うん?なんやろな?」
「『Get Smart』なんよ。どういう意味?かっこよくやろうぜ?ちゅうことやろか。」
「うーむ。なるほど。」
などとうだうだ飲みながら話したのを憶えていたのだ。


ゲット スマート』って、ひょっとして、『それ行けスマート』?と思って、100円レンタルしてみたのだが・・・。思った通り『それ行けスマート』でした(笑)。アン・ハサウェイがエージェント99になっていて、素敵(笑)。靴電話も登場(これはお約束か!)ま、コメディ映画として楽しませてもらいました。『それ行けスマート 0086笑いの番号』 より、笑えました(笑)。スティーヴ・カレルはドン・アダムスにどことなく風貌も似てますな。


8日(日)
なんだか、降ったりやんだりの天気。雨のせいもあって、朝の犬の散歩道の欅もずいぶんと葉を落としていた。で、ちょっとゆっくり歩いてみた。
終日、事務仕事のようなことをやったが、送られてきた文書の日本語がもうひとつよくわからなくて、大いに弱る。耕作者である僕が読んでもよくわからないので、農業経営をしていない地主さんが、この書類を読んでも、理解するのは難しいんじゃないかな、と思って、また弱る。