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現代田んぼ生活 辻井農園 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-10-05 今年の稲刈り終了と吉野弘の「茶の花おぼえがき」

ありがたいことに、本日、今期の稲刈りをすべて終了しました!むふふふ。


午前中、少し籾擦りをして、お米を出荷して、その後稲刈りに。残りは田んぼ二枚。面積は合計で35aである。三反半ですね。

雑草もなくきれいな田んぼになったので、ギュンギュンと刈る。うれしい。

もちろんまだ刈っただけで、これから乾燥調整していくわけだが、とりあえず刈取ってしまえば、天気のことをあれこれ心配する状態から、ほんの少し解放されるような気がして、ちょっとホッとします(笑)。


遅い昼食のあとはお米の発送準備と発送。ここ数日は万年筆インクパイロット色彩雫「月夜」にしています。少しグレーがかったようなブルーブラックが一番の好みです。


先日、農協の広報担当の方のインタビューを受けました。それが広報紙の記事になり、印刷があがったと連絡を受け、早速持ってきてもらいました。なるほど。なるほど。雨の日だったので、質問されるままに一時間以上もしゃべったことが、きちんと1ページの記事になっています。スバラシイ。私なら一時間以上もしゃべられたら、何をどうまとめたらいいのかわからなくなりそうです(笑)。こういうのは最初から記事にする文章のイメージがあってそのイメージにそって質問するのでしょうね、たぶん。まあ、でも昔から私の話は脱線しますからね。だんだん思い出してきましたが、インタビューでは、吉野弘の「茶の花おぼえがき」という散文詩の話をたくさんしたのでした。ええ、そのことはまったく記事にはなっていませんが(笑)。というか、そんなことは1ページの記事には載せられませんね。それに稲作農家のインタビューなのに、吉野弘のお茶の詩の話をされても、広報担当としても困りますね。


吉野弘の「茶の花おぼえがき」は、百姓になる前から読んでいたのですが、百姓になって読んでみると、これが、あーた、しみじみ感じるところがおおい詩で、私は何度も繰り返し、繰り返し、繰り返し読んでいます。ここには農業の極意があるような気がしているのです。大げさですが(笑)。「花」とは何か、「生命」とはなにか。そういうことが感じられるし、そういうことを感じたあとに作物と向き合うと、また別の景色が見えるような気がしたものです。もっとも「極意」だの「奥義」だの、そういう言葉を使う男を信用してはいけませんが。


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  茶の花おぼえがき    吉野 弘


 井戸端園の若旦那が、或る日、私に話してくれました。「施肥が充分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません。」

 花は言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子を作る器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態をが内部に生じるからでしょうか。

 死を超えることのできない生命が、超えようとするいとなみ―それが繁殖ですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の充溢を、肥料が植物の内部に注ぎこむことは驚きです。幸か不幸かは、別にして。

 施肥を打ち切って放置すると、茶の木は再び花を咲かせるそうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、天与の栄養状態に戻るのでしょう。

 茶はもともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で栽培されている茶の木のほとんどは挿し木もしくは取り木という方法でふやされています。

 井戸端園の若旦那から、こんな話を聞くことなったのは、私が茶所狭山に引っ越した翌年の春、彼岸ごろ、たまたま、取り木という苗木づくりの作業を、家の近くで見たのがきっかけです。

 取り木は、挿し木と、ほぼ同じ原理の繁殖法ですが、挿し木が、枝を親木から切り離して土に挿しこむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に挿しこむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけでです。

 茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて成長しますから、かもぼこ型に仕上げられた茶の木の畝を縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるで扇でもひろげたようにひろがり、縁が、密生した葉で覆われています。取り木はその枝の主要なものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に挿し込み、地面に這った部分は、根もとへ引き戻されないよう、逆U字型の割竹で上から押さえ、固定します。土の中の枝の基部に根が生えた頃、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した苗木になる訳ですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の揃っている広い茶畑が、みるみる、地面に這いつくばってゆくという光景です。

 もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種が生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による繁殖を繰り返している過程で、元の品種のいずれか一方の性質に戻る傾向があるからです。

 これでは茶の品質を一定に保つ上に不都合がある。そこで試みられたのが、取り木挿し木という繁殖法でした。この方法でふやされた苗木は、遺伝的に、親木の特性をそのまま受け継ぐことが判り、昭和初期以後、急速に普及し現在に至っているそうです。

 話を本筋に戻しますと―充分な肥料を施された茶の木が花を咲かせなくなるということは、茶園を経営する上で、何等の不都合もないどころか、かえって好都合なのです。新品種を作り出す場合のほか、種子は不要なのです。

 また、花は、植物の栄養を大量に消費するものだそうで、花を咲かせるにまかせておくと、それだけ、葉にまわる栄養が減るわけです。ここでも、花は、咲かないに越したことはないのです。

「随分、人間本位な木に作り変えられているわけです」若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている」と付け加えてくれました。

 外からの間断ない栄養攻め、その苦渋が、内部でいつのまにか安息とうたた寝に変わっているような、けだるい生長―そんな状態を私は、栄養成長という言葉に感じました。

 で、私は聞きました。

「花を咲かせて種子をつくる、そういう、普通の生長は、何と言うのですか?」

「成熟生長と言っています」

 成熟が死ぬことであったとは!

栄養成長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は、二つの成長を瞬時に体験してしまった一株の茶の木でもありました。それを私は、こんな風に思い出すことができます。

 ―過度な栄養が残りなく私の体の外に抜け落ち、重苦しい脂肪のマントを脱いだように私は身軽になり、快い空腹をおぼえる。脱ぎ捨てたものと入れ替わりに、長く忘れていた鋭い死の予感が、土の中の私の足先から、膕(ひかがみ)から、皮膚のくまぐまから、清水のようにしみこみ、刻々、満ちてくる。満ちるより早く、それは私の胸へ咽喉へ駆けのぼり、私の睫に、眉に、頭髪に、振り上げた手の指先に、、白い無数の花となってはじける。まるで、私自身の終わりを眺める快活な明るい末期の瞳のように―

 その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那から聞いたこういう話がありました。

 ―長い間、肥料を吸収し続けた茶の木が老化して、もはや吸収力を失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。

 花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか。

 追而、

 茶畑の茶の木は、肥料を与えられない茶の木、たとえば生け垣代わりのものや、境界代わりのものにくらべて花が少ないことは確かです。しかし、花はやはり咲きます。木の下枝の先に着くため、あまり目立たないというだけです。その花を見て私は思うのです。どんな潤沢な栄養に満たされても、茶の木が死から完全に解放されることなどあり得ない、彼らもまた、死と生の間で揺れ動いて花を咲かせている。生命から死を追い出すなんて、できる筈はないと。

註 井戸端園の若旦那から、あとで聞いたところによると、成熟生長は「生殖生長」とも謂う。

 栄養生長、生殖生長については、、田口亮平氏の著書「植物生理学大要」の中に詳しい説明がある。それによると、この二つの生長は、植物が一生の間に経過する二つの段階であって、種子発芽後、茎、葉、根が生長することを「栄養成長」と謂う。(茎、葉、根が、植物の栄養器官と呼ばれるところからこの名がある)

 栄養生長が進み、植物がある大きさに達すると、それまで葉を形成していた箇所(生長点)に、花芽、もしくは幼穂が形成されるようになり、それが次第に発達し、蕾、花、果実、種子等の生殖器官を形成する。この過程が「生殖生長」である。

 井戸端園の若旦那から当初聞かされた言葉が、かりに「成熟生長」でなくて、「生殖生長」であったら、この「茶の花おぼえがき」は、おそらくは書けなかったろう。成熟は生殖を抱合できるように思えるが、生殖は成熟という概念を包みきれないように思う。また、彼から「栄養生長」という言葉を聞いたときその内容を確かめもせず一人合点したことを「植物生理学大要」を読んで知ったが、理解の不十分だったことが、かえって鮮烈に「成熟」という言葉に出会う結果となったようだ。

 なお、栄養生長、生殖生長の二語は、植物のどの部分を収穫の対象にするかを考えるときに便利な概念である。茎、葉、根を収穫の対象にする場合は、栄養生長を助長すればいいし、花、果実、種子収穫対象とする場合は、生殖生長を助長すればいい。茶の場合は、言うまでもなく前者で、若主人が「茶畑の茶の木はみな栄養生長の状態にある」と言ってくれたのは、葉の収穫を最重点に管理している畑の状態を指していたわけである。

 種子繁殖に対し、葉、茎、根の一部を分離してふやす方法を栄養繁殖と言う。これは前述した通り葉、茎、根が植物の栄養体もしくは栄養器官と呼ばれるところから、その名がある。栄養繁殖は、球根植物やその他の植物の間では自然に行われていることで、サツマイモ、ユリ、タマネギ、クワイなどは、自然に栄養繁殖を行っている例である。茶の木の場合の取り木は、、いわば人為的栄養繁殖である。だがこの作品の中では「栄養生長」との混乱を避けるため、用いなかった。

 因みに、狭山「市の花」はツツジであって、茶の花ではない。「市の木」として「茶の木」が指定されている。茶の花は茶所を代表していないわけだ。


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ずいぶんと気温が下がってきましたね。田んぼには真夏と同じ、冷感・速乾のアンダーシャツにTシャツを被るという格好で出かけていましたが、ここ二日ほど、風が吹くと寒い感じがしてました(笑)。10月なら衣替えですね。

僕はわりとお茶をよく飲むのですが、よく飲んでいるのは鹿児島のお茶のようです。普通の煎茶ですけど、お店の人に訊ねたら、「うちは鹿児島のお茶が多いんです。鹿児島は全国の生産量で静岡に次いで2番目なんですよ。」とおっしゃってました。滋賀には土山信楽、政所という茶どころがあるのですが。全国的には静岡宇治狭山が有名な産地ですね。そういえば狭山のお茶はまだ飲んだことがないような気がする。


大豆の葉が黄色くなってきて落ちはじめました。