ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

現代田んぼ生活 辻井農園 このページをアンテナに追加 RSSフィード

30年産の新米!完全無農薬有機栽培米「コシヒカリ」「秋の詩」「みどり豊」の好評販売中です。

2018-05-15 直播きをやってみたこととイソップ物語

14日(月)

明日は農協の直播きの機械が借りられる日なので、「尻踏み」をして準備をする。昨日の大雨で水位が上がっているので、ちょっと難儀するところもあったが、なんとか均平に仕上げる。(おおむね均平のつもり。なかなか均平にするというのも難しいんだなぁ。)

朝と夕方の田回りで、あちこち畦畔の穴を埋める。ネズミかモグラか・・・。

畦畔に穴を開けられてしまうと、水を入れても、隣の田んぼに水が流れてしまって自分の田んぼにさっぱり水が溜まらなくて、隣の田んぼが満水状態になってしまう。ええ、そういうこと、よくあります(笑)。今朝は昨日の雨にもかかわらず、あまり水位が変わっていない田んぼの畦畔をじっくりと観て歩いて、穴をいくつも発見する。いやはや。


夜、次女が「お父さん、古典教えて!」と言ってきた。どうやら明日、中間試験で古典があるらしい。うーむ。むふふふ。ちょっとは父親としてわずかしかない学を見せねばならんわい。何を習っているのかと思ったら、司馬遷の『史記 呂不韋列伝』と清少納言の『枕草子』の「うつくしきもの」だった。史記の「呂不韋」は読み方がわからないというので、教科書をもってこさせて、ひととおり音読してやって、ざっと現代語になおしてストーリーを説明する。次女は授業中に書き込んだプリントのメモを見ながら訓読の仕方と話のスジを確認している。「うつくしきもの」は次女がノートを見ながら、本文を読み、現代語訳していくので、僕は教科書を見ながら、妙な日本語になっているのを指摘したりしてやる。

しかしなんだな、「どこがテストに出ると思う?」と訊いてきたりするのだが、教科書に丁寧に問題がついているし、文法のポイントも書いてあるし、注意すべき語句も出ているし、「ここが出ます。」ってちゃんと教科書に書いてありますがな(笑)。でも高校生の頃って、そういうことになぜか気がつかないんだなぁ(笑)。


15日(火)

今日は農協の直播きの機械が借りられる日。ま、普通は苗箱に播種して苗代で苗を作り、それを田んぼに植える、という作業なのですが、「直播き」というのは、字の通り、直接、田んぼに播種して、苗代をつくらない省力農法なのです。直接田んぼに種まきをするわけですから、苗を運んでくる必要もありませんし、反当たりの作業時間も短くなります。苗代をつくらないわけですから、大きな省力になります。

でも、いいことばかりではなくて、種を播くということは、田んぼの土の中の雑草の種も同時に生えてきます。苗を植えると、苗が生長してきた20日分ほどのアドバンテージがありますが、種を播くと、ヨーイドンで雑草の種とも競争しなくてはいけません。当然、雑草の方が強くて早いので、除草剤で、雑草を抑えることが必要になってきます。直播きというのは、基本的に除草剤を必要とする技術なんです。基本的に。

ま、それはともかく、ちょっと水がある状態で播種することになりました。さてさて、うまく芽が出てきてくれるかな?


本当は午前中で播種し終えるかな、って思ったのだが、一枚残ってしまったので、午後も直播き。その後は、長男に「尻踏み」を頼み、僕は畦畔の草刈り


夕方、少し早めに作業を終えて、散髪にいく。言うまでもなく、僕は散髪好き。床屋さんとあれこれ世間話も楽しいし、短く刈ってもらうのも気持ちいいし。「早くも日焼してますねぇ」と言われる。実はここ数日のうちに何度か散髪屋さんの前を通ったのだが、クルマが何台も停まっていて、混んでいるようなのでパスしたのでした。「繁盛してますなぁ。」と言うと「だんだん暑くなってきてますからね。暑くなってくると切りたくなりますよね。みんな考えることは同じで。」という返事でした。


次女に試験のことを訊いたが、多くを語らず(笑)。


イソップ物語の中にはいろいろタメになる(?)、おもしろい、辛辣で、また残酷な、でもって笑える話がたくさん入っていますね。昔、絵本であれこれ読んだお話が後からイソップの話だと知ったのもたくさんありました。「アリとキリギリス」は幼稚園の時、紙芝居を先生がしてくださったのをよく覚えているなぁ。夏に鳴いていたキリギリス(なぜかバイオリンを弾いている絵だった。)が、冬になってアリに助けを断られて泣いている姿が印象的だったなぁ(笑)。

まあ、今は、別にキリギリスはアリに食べ物をお願いしなくても、ちゃんと子々孫々繁栄する術を心得ていることを知っている。ひょっとすると人間以上に子々孫々の繁栄を保障するシステムになっているのではないかと思うほど(笑)。

百姓になってから、妙にこの「アリとキリギリス」の話を思い出すようになりました。アリの勤勉と計画性と集団としての規律。キリギリスの享楽自由と奔放と刹那的な生き方。どちらかを選択しなければならないとなるとシンドイですな。でも百姓には、どちらもあるんですな(笑)。アリとキリギリスの共存。ええ、どちらもある。どちらもなければならない。ありがたいことですわな。うーん、ほんまか?


下の一見、耕作放棄地にも見える田んぼは、荒起しをしたあと、ほおっておいたら、草が生えてきたので、畦畔の草刈りをした、という図です。