現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

一週間分をドン!

高坂勝『減速して自由に生きる ダウン

24日(木)
晴れましたが、ちょっと風が強かったでしょうか。午前中は田植え。午後も田植え二枚して、その後は「尻踏み」。
午後の二枚の田植えは無農薬有機栽培の「みどり豊」の田植え。


25日(金)
よい天気。暑い。
朝一番に精米。
その後は終日、田植え。


26日(土)
日の出とともに田んぼに行き、日の入りとともに家に帰る。
終日、田植え。


27日(日)
地域の運動会。
ゲートボーリングと防災リレーに出場する。暑い一日でビールをいただいて、あれこれいろいろお話もし、日焼けもしました。


28日(月)
午前中は、僕が精米しているうちに長男がロータリーの爪の交換をしてくれる。
午後は爪を交換したロータリーで「こなし」作業。ええ、荒起しから時間が経っているので、草がずいぶん生えてしまっていますが、新品の爪なので、ええ、うまく草を土に埋めてくれています。ま、でも田植えした後、還元障害が出るかもしれないので、気をつけなくては。


29日(火)
今日も「こなし」作業。蒸し暑い。九州も四国も梅雨入りしたらしい。
ま、でもトラクタにはエアコンがついているので、ありがたい。


30日(水)
朝から雨。雨なので最初ちょっと事務仕事を、と思ったのだが、最初ちょっとが、ちょっとで終わらずぐだぐだうだうだしてしまう。やれやれ。



うーむ。なんだか疲労困憊(ひろうこんぱい)というと、大げさな感じがするが、じりじりと疲労は蓄積されてきていて、夜、なにかクリエイティブな仕事(クリエイティブな仕事とは何か?30秒ほど考えたが笑えてきた。(笑))など、とてもできない状況になってきていて、ビールも飲むし、あっと言う間に眠りに落ちてしまっているのだが、まあ、僕の肉体がビールと睡眠を欲しているのだろうなぁ。(他に肉体が欲していることは、なにかないのか?と30秒ほど考えたが笑えてきた。)


前回のブログでもうすぐ読了と書いていた伊藤比呂美『父の生きる』(光文社文庫)読了。遠距離介護とか看取りとかの話なのですが、元気で、破壊的で、いてまえ打線的な伊藤比呂美ではなくて、なんだかちょっとしっとりしていて、しみじみとする。ま、父親の介護ですからね。会話をそのまま書き取っているのがミソで読ませます。いい本でした。


高坂勝『減速して自由に生きる ダウンシフターズ』(ちくま文庫)も読了。もともとは2010年に幻冬舎から出た『減速して生きる ダウンシフターズ』が文庫化されたんですね。幻冬舎の単行本が出たときにも、どこかの書評で読んで、気にはなっていたのだが、すっかり忘れていた。それが先日ふいに高坂氏の声がラジオから流れてきて思わず聴いてしまいました。思いのほか若々しい声。
給料取りから自営業の農業、百姓になるときには、家族をはじめ、友人、知人、ご近所から、いろいろ心配していただいて、声もかけていただいたのですが、「ちゃんと働いて得た収入の中で暮らしていきますわ。」といささか自嘲気味に返事していたのを思い出しました。冷ややかな笑いが返ってきていましたが、不遜で生意気でやせ我慢している言葉でしたなぁ。当時はダウンシフターズという言葉は知らなかったのですが、・・・。初心忘るべからず。
しかし、よくわからないのだが、際限なく経済は成長していくものなのか?地球のサイズは決っているのに、人口はどこまで増えつづけるのだろうか?そんなはずはないですよね。地球に負荷をかけ過ぎれば、地球環境が変わってしまって、生き物が暮らしにくくなるのは自明のことような気がするのだが。
いつかどこかで折り合いをつけねばならない。暮らし方の価値観は変わらねばなりませんわな。ま、ちょっとづつ変わっていくのかもしれませんが。


畑の空豆が食べられるようになってきた。うれしい。塩茹でにして、ビールのつまみにしている。あはははは。うまい。


プロ野球交流戦が始りましたな。カープはいきなりパリーグ首位のライオンズと。やられましたぜ。


コンピュータの調子が、なんともおかしいなぁ。急にひどく重くなったりフリーズするようなことが多くなった。やれやれ。


この一週間のうちに、何度もネット上で紹介されていました。高村薫の「河北新報」に寄せた文章。半月ほど前に載った記事だそうです。怒ってますねぇ、高村薫有権者の自業自得だそうです。選挙が大事ですからね。
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「正義が価値持たぬ世界」(高村薫
 もはや腹を立てるだけ虚しい、それだけの惨状です。一国の首相の配偶者の振る舞いに振り回されている政治の現状も、取り繕うのに必死の内閣も、ひたすら追従するだけの与党や官僚も、そして次元の低さを冷笑するだけの有権者も、すべてが最低・最悪。けれども、これが民主主義国家を標榜する日本の、掛け値なしの実像なのです。
 それでも以前は、不祥事が起きれば、形だけでもトップの首が飛びました。ところが、いまや誰も責任を取らない。組織の長は何かあったときに責任を取るために存在します。組織の体をなしていません。
 先日の自衛官の暴言も、自衛隊法違反に加えて民主主義の大原則を踏みにじるものだから、本来なら即、内閣総辞職でしょう。でも、防衛相も統合幕僚長も責任を取らない。文民統制を無視した防衛相の独善と暴走を危惧すべき事態です。
 もともと官僚が国民の方を向いて仕事をしていたとは思いません。彼らの主眼は、常に組織と省益の防衛だから、情報公開でも、都合が悪ければ当たり前のように黒塗り、そもそも追及されて困る事実は文書に残さない。徹底した文書管理が官僚の本態なのに、今回あちこちでボロが出たのは組織の緩みでしょう。
 しかし、公文書の改ざんは組織の緩みではない。官庁の文書管理に本来「改ざん」の発想はないからです。結局、自分や夫人が関与していれば辞める、と断言した安倍晋三首相の稚拙な国会答弁に合わせるために、改ざんに追い込まれたとしか考えられない。官邸と官僚の異様な関係が浮かび上がりました。
 時代がどんなに変わっても、変えてはならないものを原理原則と言います。公文書の保存はその一つ。それを改ざんしても罪を問われないとなると、歴史の検証ができなくなる。日本がいまだ昭和の戦争の検証と総括ができていないのは、政治家と官僚が公文書を廃棄したからです。戦争の総括ができないことで、戦後の日本人がどれほどの損失を被っているか。過去の検証ができないことの不幸は、若い世代も無縁ではない。国会と行政府から完全に独立した公文書管理機関が絶対に必要です。
 社会の秩序を保つ公共の精神も、政治や統治を行うための理念も、現実には日々の仕事に、欲望に追われて生きる私たち国民が広く共有するものではありません。だから私たちは代表者を選んで政治を託し、あるいは知識人の語る言葉に耳を傾け、新聞を読んで知識を得てきたのが、ネット社会が根本的に変えてしまいました。
 大衆がそれぞれにものを言い、瞬時に多数派を形成して社会を動かすようになったいま、理念や原理原則は後退し、耳を傾けるべき意見、従うべき社会常識、信ずるべき価値観が消え、すべてがフラット化されてしまった。私の世代が政治の現状を憂う一方で、若い世代はなおも肯定的な人が多い。このまとまりのなさが日本を漂流させているのです。
 合理的な若い世代は、国会で証人喚問しても無駄だから、それよりも重要法案を審議しろ、と言う。確かに証人喚問しても何も出てこない可能性は大だが、政治を私物化して公文書の改ざんまで引き起こした上に誰も責任を取らない、こんな政治家に重要法案など審議させてはならない。これが原理原則です。政治の停滞がもたらす不利益は、こんな政治を許してきた私たち有権者の自業自得なのです。
 「忖度」は、一般の社会生活でも日常的にありますが、一線を越えれば当然罰せられる。今回の不祥事では、官邸も官僚も一線をはるかに越えていても、のうのうとしらを切る。この事態を、私たちは心底恐れるべきです。というのも、これは真実や正義が価値を持たなくなった世界の出現を意味するからです。
 かって「お天道様が見ている」と言われたような絶対的な規範は、もう存在しない。いまやうそと分かっていても、フェイクニュースであっても、「いいね」ボタンが多ければOKという社会が出現しているのです。そして、その「いいね」も日々変わっていく。真実や正義や公正が意味をなさない時代になり、原理原則が崩壊した社会に私たちは生きています。文明の終わりの始まりなのかもしれません。
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うわ!なんとカープが10回裏、一挙に4点取って逆転サヨナラだぁ!連敗は3でストップ。遅くまでラジオ中継を聴きつづけた甲斐があった(笑)。