「裁判員」参加、消極的な人増える…内閣府調査

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度で、約65%の人が裁判員として参加する意思を持っていることが1日、内閣府が発表した「裁判員制度に関する特別世論調査」の結果で分かった。
 ただし、「義務なら参加せざるを得ない」とした約44%を含んでおり、「義務でも参加したくない」も約34%だった。2009年の制度開始を前に、国民の多くが参加に消極的である実態が浮かび上がった。
 調査は昨年12月、全国の成人3000人を対象に行い、1795人が回答した。
 「裁判員制度に参加したいと思うか」の問いでは、「参加したい」、「参加してもよい」が合わせて約21%で、05年2月の前回調査からは約5ポイント下がった。前回は「あまり参加したくない」、「参加したくない」が計約70%。今回の調査は回答項目が異なり単純比較できないが、「義務なら参加せざるを得ない」、「参加したくない」を足すと約78%で、参加に消極的な人は増えていた。
 「裁判員制度を知っているか」の問いでは、「知っている」が約81%で前回よりも約9ポイント上がった。不安に感じる点(複数回答)では、「被告の運命が決まるため、責任が重い」(約65%)、「冷静に判断できるか自信がない」(約45%)が多かった。
(2007年2月1日19時49分 読売新聞)


読売新聞より。
 この数字をどのように評価するかはともかくとして…裁判員制度に関する周知や報道を見ていると、「決まったことなのだから、それに負担もできるだけ軽くするので、とにかく参加してください」という方向性のみで裁判員が説明されているようにも思えます。国民が司法に参加することにどのような意義があるのか、そして裁判員は具体的にどのような意義を持ているのか、より明確かつ説得的に伝えることが重要なのではないかと思うのですが… 
 「できるだけ負担を軽くするので、我慢して参加・協力してください」という方向性だけでは、「刑事裁判への国家総動員」といわれても仕方ないような気がします。
 このような裁判員制度の性格は、今回の司法改革のいろいろな点に現れているように思います。
 例えば、今回の裁判員制度は、「国民の司法に対する理解を深める」ことにあるとされています。しかし、「司法への理解の促進」という副次的効果が直接の目的としてあげられていることに問題はないのでしょうか。関心がなくてもいいから、とりあえず刑事裁判に参加してもらって、その中で刑事裁判への理解が深まれば、なおいいですね、というのは被告人だけでなく被害者などの運命をも左右する刑事裁判という制度を考えるとあまりに無責任という気がしますし、単なる動員とどう違うのかという疑問もあります。
 また、今回の司法改革では、基本的に現在までの刑事裁判制度には問題はないけれども、今後の日本という国のあり方も考えて、裁判員を導入しましょうという考えが根強いものです。この点も、見かけの「刑事裁判制度の正当性」根拠づけるために国民を刑事裁判に参加させようとしているのでは、という考えも成り立つように思います。そして、現在の刑事裁判を具体的に見ると、まだまだ問題が多いことは、今話題の「それでもボクはやっていない」においても明らかなような気がするのですが…
 まだまだ課題は多そうです。

 それでもボクはやってない公式HP
 

県警の違法捜査認定 鹿児島・選挙違反 地裁が賠償命令

 2003年の鹿児島県議選の選挙違反事件で、公選法違反(現金買収)容疑で逮捕され、起訴猶予処分となった同県志布志市のホテル経営川畑幸夫さん(61)が、親族の名前などが書かれた紙を踏ませるなど県警の違法捜査で精神的苦痛を受けたとして、県に慰謝料など200万円を求めた国家賠償請求訴訟の判決が18日、鹿児島地裁であった。高野裕裁判官は違法捜査を認定し、県に60万円の賠償を命じる判決を言い渡した。
 「たたき割り」と呼ばれる強引な捜査手法が指摘され、刑事裁判では12被告全員が無罪を主張している同事件をめぐり、司法判断が示されたのは今回が初めて。
 判決によると、川畑さんは03年4月、3日間にわたって黙秘権や供述拒否権を告知されない違法な取り調べを受けた、と主張。
 また、担当の警部補(44)が川畑さんの亡父や孫らの名前と、メッセージに見立て「早く優しいじいちゃんになってね」などと書いた紙3枚を床に置き、川畑さんの足首をつかんで無理やり踏ませるなどしてうその自白を強要した、と訴えていた。
 警部補は証人尋問で「黙秘権は取り調べ初日に告知した」などと反論。紙を踏ませた行為については「1回だけやった」と認めたが、「無理やりではなく、黙秘を続ける態度が親族の気持ちを踏みにじることになる、と分からせるためだった」と主張、県側は違法性を否定し争っていた。

2007/01/18付 西日本新聞夕刊より

当然の判断といえるでしょう。しかし、最高裁自身は黙秘権の告知がない取調べが必ずしも違法になるという態度はとっていません。そうなると、今回の取調べは、黙秘権の告知がなかったことに加え、あまりに精神的打撃が大きい取調べがなされたと評価されたのでしょう。その意味では、黙秘権やその告知の意味はまだ高くはないといえるのでしょうか。この黙秘権やその告知の意味や位置づけについて、裁判官や捜査機関の方々はもう一度考え直す必要があると思うのですが…
 それにしても、警察側の証言については大きな疑問があります。黙秘権の告知があったとしても、「無理やりではなく、黙秘を続ける態度が親族の気持ちを踏みにじることになる、と分からせるためだった」という証言はどういう意図でなされたのでしょうか。無理矢理ではなく「わからせるため」に紙を踏ませるというのが、いまいち想像できないのですが… また、この証言を聞いても、警察官が認識している、警察や取調べの役割がわかってきそうです。真相の解明というだけならまだしも、「親族の気持ちを踏みにじることになる、とわからせるため」とは… 取調べの可視化に対する反対論として、取調べによる被疑者の反省・更生という役割が低下するという意見がありますが、このような効果について実証的な研究があるわけでもありません。そして、そのような効果があるとしても、警察官の自由な判断で何をやってもいいわけでもないでしょう。
 無罪推定という観点からも大きな疑問があることは言うまでもありません。被疑者・被告人が有罪か無罪かという判断は、裁判所でなされるべきことはいうまでもありません。しかし、このような捜査機関の態度は、まさに被疑者・被告人が有罪であることを前提に被疑者・被告人の反省を求めるものであり、まさに違憲の取調というほかないでしょう。このような事態で、取調の可視化に反対する意味はもう少ないのではないでしょうか…
 さらにこちらも参照。 「中山事件」の闇

「体感治安」向上目指し、積極的な対策へ 警察庁1月5日8時53分配信 毎日新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070105-00000013-mai-soci

 犯罪の発生状況を表す全刑法犯認知件数がここ2〜3年減少し、「治安回復は曙光(しょこう)からさらに少し光が増した状況」(漆間巌警察庁長官)になった。しかし、殺人、強盗、放火などの重要犯罪の検挙率は59.7%と、80%台をキープしていた10年前と比べると遠く及ばない状況だ。国民が安心できる「体感治安」を向上させるため、警察当局は07年、子ども被害の匿名通報制度や、初の公費懸賞金制度の導入など、積極的な対策に乗り出す。【遠山和彦】
 ◇「懸賞金」「子供被害に通報」導入
 子どもたちが被害者になる事件の捜査に役立てるため、匿名で情報を受け付ける「子ども等を守るための匿名通報モデル事業」(仮称)を今年秋をめどに導入する。女の子を売春させたり、風俗業で働かせたり、女性を狙う性犯罪などに関する情報に限定して情報を受け付ける。成果を見極めたうえ、薬物犯罪や窃盗などの情報へ範囲拡大も検討する予定だ。
 事業は防犯ボランティアのNPO(非営利組織)など民間団体に委託。その事務所に設置した電話で全国から匿名の情報を受け付け、関係警察本部に通報してもらう。捜査に役立った情報には上限10万円程度の報奨金が支払われる。潜在化する情報を風評レベルの段階から受け付け、捜査に少しでも役立てるのが狙いだ。
 また、これとは別に、重要犯罪の犯人逮捕に結びつく有力情報を得るため、公費での懸賞金制度を今年4月にも導入する。これまでも被害者の遺族や警察関係団体が懸賞金を出すケースはあったが、公費支出は初めてになる。過去に懸賞金がかけられた事件は33件あり、松山市のホステス殺人事件(82年)など逮捕に結びつき、懸賞金が支払われたケースは5件に上っている。
 一方、今年度47都道府県の地方警察官3000人が増員される。増えた警察官は街頭犯罪対策のパトロールなどの要員に重点的に配置して、対策を充実させる予定だ。地方警察官は01年度から連続して増員しており、07年度定員は24万6761人。警察官1人当たりの負担人口は現在の513人から増員後は511人になるという。 
 ◇「聞き込み」難しく 技の伝授と科学力で補強 
 確かに警察捜査を取り巻く環境も変わってきた。「この20年の間、年々捜査しづらくなってきた」。刑事局幹部はそう指摘する。
 警察庁が04年に行った調査では、89年当時は殺人などの凶悪犯事件のうち12.7%が捜査員の聞き込みがきっかけとなり検挙につなげていた。ところが、04年には聞き込みをきっかけとした検挙が4.5%にまで落ち込んだ。近隣に対する関心が薄れたうえ、住民意識が変化し、刑事の聞き込みも昔のようにはいかなくなってきたためだ。
 このため、DNAデータベースの充実など科学捜査力の強化を図るとともに、団塊世代の大量退職にそなえ、ベテラン捜査員による聞き込み捜査手法などの若手への伝承にも力点を置いていく方針だ。
 さらに、同庁が期待を寄せているのが、住民による防犯ボランティア活動。全国で約2万6000団体(昨年10月現在)にまで広がっている。同庁幹部は「民間ボランティアの枠組みは、同時に捜査の協力ネットワークの確保にもつながる」と指摘する。
 ▽前野育三・大阪経済法科大教授(刑事政策)の話 公的懸賞金制度の活用などで重要事件が市民の協力で解決したという実績が重なれば、それ自体が、体感治安のアップにつながる。犯罪追放には社会の連帯感を強めることが必要で、地域の防犯という共通目的を持った防犯ボランティアは、そうした連帯感を強める働きも担っている。
 ◇強制わいせつ対策 課題
 警察が重点的な取り締まりを指示しているのは「重要犯罪」と「街頭犯罪」だ。特に殺人、強盗、放火などの6罪種の重要犯の検挙率は、98年当時の80%台から低下を続け、02年には過去最悪の50.2%まで落ち込んだ。03年以降は上昇に転じたが昨年(1〜11月)も60%を割り込んでいる。
 罪種別では、▽殺人96.8%▽強盗60.1%▽放火77.0%▽強姦(ごうかん)75.1%▽略取・誘拐90.7%▽強制わいせつ45.7%。
 検挙率を押し下げているのは、5割を割り込んだ強制わいせつ。98年の82.3%が、02年はわずか35.5%になった。認知件数が98年の4251件から06年の8751件と、この約10年で倍増したことも大きく影響している。女性の届け出件数が増えた事情があるとはいえ、急増する事件に対し検挙が追いついていない現状が浮かぶ。
 一方、街頭犯罪は昨年(1〜11月)、▽路上強盗1639件(前年同期比18.9%減)▽ひったくり2万4601件(同17.9%減)▽自動販売機狙い5万1966件(同37.3%減)▽自動車盗3万3464件(同22.9%減)といずれも減少した。だが、街頭での暴行だけが、1万7271件(同16.2%増)と増えている。相手がけがをすれば傷害となるため、それに至らない「肩が触れた」程度のいさかいからけんかに発展する事件が多発している。

 市民ボランティア等による「コミュニティによる犯罪予防」が日本でも展開されてきました。このような市民の努力は、十分評価・尊重されるべきです。
 しかし、注意を要すると思われるのが、このような「コミュニティによる犯罪予防」がいい側面ばかりを持つのかという点です。
 第一に、このような「コミュニティによる犯罪予防」が、犯罪予防を目的としつつ、その効果が測定されていないという点です。外国では、コミュニティによる犯罪予防プロジェクトはすべてでないにしろ、その結果は示されています。
 第二に、効果があるとして、この「コミュニティによる犯罪予防」がもたらす弊害はないのかという点です。この犯罪予防の動きは、一般の「市民」と「危険そうな不審者」および「犯罪者」の間に大きな溝を作る可能性をもっているのではないでしょうか。市民ボランティアは、安全な社会を作るため、徹底してコミュニティを「監視」するでしょう。これはボランティアの目的からいっても、当然のことでしょう。しかし、その「不審者」の基準は非常に曖昧です。そのような曖昧かつ主観的な基準によって「監視」そして最終的には「排除」が行われる問題性は注意すべきでしょう。
 第三に、このような問題点の結果です。市民ボランティアによって「不審者」と判断された者は、程度の差はあるにしても「排除」されることになります。その結果、この「不審者」と判断された者は、どこのコミュニティにも属することができないということになり得ます。「コミュニティの再生」が犯罪予防に不可欠なのであれば、この「コミュニティから排除された者」は結局犯罪に走ることになるのではないでしょうか。不純物のないあまりにクリーンなコミュニティ作りは、かえって犯罪を増やすことになりはしないでしょうか。そもそも「コミュニティ」は犯罪予防のためだけに存在しているわけではないはずです。あくまで副次的効果にすぎない「犯罪予防」を主目的として「コミュニティ」を再構成することは、上にあげたようなひずみを生むことになるのではないでしょうか。
 「犯罪予防」のための努力自体は非常に重要ですが、大きな視点というものが必要な気がします。

さらに、以下の文献も非常に参考になります。
浜井浩一=芹沢一也『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』(光文社、2006)

名張毒ぶどう酒事件再審請求が棄却

http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY200612260218.html

名張毒ブドウ酒事件」の異議審で26日に名古屋高裁が出した再審請求棄却決定の理由の要旨は次の通り。(呼称一部略)

 61年3月28日、生活改善グループ「三奈の会」の年次総会の懇親会が公民館で開催された際、何者かがブドウ酒に毒物を混入した。

 自白を除く新旧証拠を検討すると、毒物が混入されたのは公民館囲炉裏の間付近であると認められるが、奥西勝死刑囚以外の者にはブドウ酒に農薬を混入する機会がなく実行は不可能だった▽奥西はニッカリンTを入手・保管し、ブドウ酒を公民館に自ら運び込んでから女性会員らが集まってくるまで、1人でいた間に犯行を行うことが実際に可能だった――という事実が認められる。

 そのほかにも、奥西には妻と愛人を殺害する動機となり得る状況があったこと、犯行を自白する前には明らかに虚偽の供述で亡くなった自分の妻を犯人に仕立て上げようとしていることが認められる。総合すると、奥西が犯行を行ったことは明らかで、状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ。

 原決定(名古屋高裁の再審開始決定)は、薬物に関する新証拠(鑑定など)に基づき、ニッカリンTであれば当然検出されるはずの物質(トリエチルピロホスフェート)が飲み残しのブドウ酒から検出されておらず、犯行に使用された農薬はニッカリンTではない可能性が高いとする。

 だが、新証拠の鑑定内容を詳細に検討すると、混入されたのがニッカリンTであってもトリエチルピロホスフェートが検出されないこともあり得ると判断され、使用された農薬がニッカリンTでないとはいえない。

 毒物は有機燐(りん)テップ製剤であることが判明しており、有機燐テップ製剤であるニッカリンTが使用された可能性は十分に存する。

 原決定は、新証拠(鑑定など)に基づき、証拠物の四つ足替栓は本件ブドウ酒瓶のものではない可能性があるというが、本件の瓶に装着されていたものに間違いない。

 また、原決定は新証拠(開栓実験など)に基づき、公民館でブドウ酒が開栓される前に会長宅で封緘(ふうかん)紙を破らない偽装的な開栓が行われ、そこで毒物が混入された可能性があるという。だが証拠物の状況からは公民館での開栓が間違いなく最初の開栓で、偽装的な開栓があったとは認められない。

 さらに、原決定は奥西の自白の信用性を否定するが、自白は事件直後の任意取り調べの過程で行われたもので、自白を始めた当初から詳細かつ具体性に富む。勝手に創作したような内容とは到底思われず、証拠物や客観的事実に裏打ちされて信用性が高い。原決定は、自白には変遷があり迫真性に欠けるというが、判断は一面的である。

朝日新聞より。
この名張事件の問題点、さらには裁判員制度を見据えた問題点を指摘する社説が多く見られます。
それらに社説については、
http://d.hatena.ne.jp/grafvonzeppelin/20061227
を。

まさかとは思っていましたが・・・
再審に関する「逆流」の流れを決定付けるものなのでしょうか。

再審を認めるかどうかについては、かつては「孤立評価説」という考えが支配的でした。つまり、再審を請求する際に提出された「新証拠」が、それ自体で再審請求人の「無罪」を証明することが要求されていたのです。
しかし、これでは有罪とされた被告人のみが無罪を求めて再審を請求することを認めた刑事訴訟法の精神との矛盾が出てしまいます。なぜなら、「誤って有罪とされた者」を救済することだけが刑事訴訟法の精神であるはずなのに、「孤立評価説」ではほとんど救済されないからです。再審制度が「開かずの門」といわれたゆえんです。
このような問題点をふまえて、再審理論は展開されます。最高裁の白鳥・財田川決定などを前提に、確定された事実認定の基礎となった証拠を分析し、さらに再審を請求する際に提出された「新証拠」をあわせて、確定された事実認定が「揺らぐかどうか」を再審請求のテーマとする「証拠構造論」という理論が有力に主張されています。
つまり、再審請求における最大の論点は、「請求人は本当に無罪だったのか」というものではなく、「確定された事実認定は正当なものだったのか」ということになるのです。請求人は、確定された事実認定が「揺らぐ」ことを「新証拠」で示せばよい、とされたのです。
このような考えは、「誤って有罪とされたものの救済」という再審制度の理念を具体化したものといえるでしょう。ここでのポイントの一つは、「請求人は自分の無罪を積極的に証明する必要はない」ということだろうと思います。
しかし、判例の流れを見ると、この精神が十分に実現されているとは言いがたいところがあります。
名張事件の(今回棄却された)再審開始決定が出されたのは、弁護団の大きな努力が実り、「事実認定は揺らいだ」ということ以上に、「請求人は無罪だ」ということを証明するにまで至ったという評価も可能なくらい重大な新証拠が出されたことが理由だと思います。なにしろ、「自白」にあった毒物と、事件で用いられた毒物は違うというのですから。これは「請求人は無罪だ」ということを証明するに等しいものだったといえるでしょう。請求人側は、「事実認定が揺らいだ」というと同時に「請求人は無罪だ」ということを主張したことになるのです。
しかし、今回の棄却決定は、この点について、「まだ自白にいう毒物である可能性がある。」というのです。このように「・・・の可能性がある」としながら、被告人の有罪を確認する方法を「可能性論」といいますが、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則との関係で問題のある方法です。それ以上に、それでは今回の棄却決定は、再審請求人に「完全に請求人は無罪である」ことを示すような証拠を出せと要求していると思われる点に問題を感じます。先ほど言ったように「孤立評価説」は大昔に克服された見解でした。それは現在の法の精神に合致しないからでした。しかし、今回の棄却決定は、裁判官に「・・・の可能性もある」ということを思わせないような完全明白な無罪の証拠をだせと要求しているに等しいものではないでしょうか。そして、「・・・可能性がある」という裁判官の完全な主観的な思いで、再審開始決定が認められたり、認められなかったりするなかで、請求人は何をすればいいのでしょうか?まったく見えない状態であるといわざるを得ないでしょう。これが「誤って無罪とされた者を救済する制度」のありかたなのでしょうか?
再審の理念とは何だったのか、刑事裁判とは何なのか。改めて考えさせられます。

>>刑法犯:4年連続で減少、検挙率7年ぶりに30%台に

 全国の警察が今年1〜11月に認知した刑法犯件数は189万4677件(前年同期比9.9%減)で、4年連続で減少したことが警察庁のまとめで分かった。検挙率は31.5%(前年同期比2.1ポイント増)で99年以来7年ぶりに30%台に戻った。同庁は「減少は政府全体の犯罪抑止対策の効果だが、さらに抑止に取り組みたい」としている。
 犯罪罪種別では、凶悪犯9345件(同10.9%減)▽知能犯7万7115件(同14.3%減)▽窃盗犯141万7311件(同11.4%減)で、いずれも前年より減少したが、暴行などの粗暴犯は7万108件で3.7%増加した。
 暴行事件では、街頭での事件が約6割を占め、96.3%は凶器を使っていなかった。検挙者は30代が目立っているといい、同庁は「ささいなことでキレる大人が増えている」と分析する。
 また、知能犯のうち詐欺は4年連続で増加していたが、振り込め詐欺対策の効果などで6万8201件で前年より13.5%減少した。談合・競売入札妨害事件の摘発も全国で相次ぎ、検挙件数は35件で、昨年の17件を上回った。
 一方、殺人、強盗、放火などの重要犯罪の認知件数は1万7283件で前年より8.9%減少したが、検挙率は59.7%にとどまった。同庁の漆間巌長官は「国民の体感治安のアップには重要犯罪の検挙率を上げていくことが必要。重要犯罪の検挙に一層力を入れたい」と話している。【遠山和彦】


 毎日新聞より。
 最近、犯罪統計ばかりについてコメントしていますが… 認知件数や検挙などの「警察の動向」をベースに「治安」を語れるのか疑問に思っています。これらの数字から、「治安」を語るのであれば、警察の犯罪検挙や犯罪のカテゴリーに関する方針を詳細に説明するしかないのではないでしょうか…
 また、「体感治安にアップには重要犯罪の検挙率を上げていくことが必要」という方針には、何か根拠はあるのでしょうか。「体感治安」とはそもそも実態のないものでしょう。体感治安が改善されたとか、悪くなったとかそういう概念があるかも疑問です。また、検挙率の増減が「体感治安」に影響しているかどうかについても、実証的な根拠があるようには思えないのですが…
 背景について十分な説明のない「数字」、合理的な根拠や検証のしようのないポリシーで、昨今の「厳罰化」などの効果が評価されることについては疑問があります。さらには、「犯罪抑止」のために何が犠牲にされているのかという面の検証も必要でしょう。「治安のためには何を犠牲にしてもいい」ということにはならないでしょうから。特に、その「治安」の内容が不明確な現在では…

治安は回復?悪化? 犯罪白書と学者が論争

http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200611070368.html

日本の治安は回復に向かっているのかを巡って論争が起きている。法務省は7日、06年版犯罪白書を公表。白書は犯罪認知件数の減少など指標面での好転を認めつつ、なお「治安は改善したとはいえない」と逡巡(しゅんじゅん)する。一方「そもそも治安悪化そのものが幻想だ」との見方も有力で、「治安」の概念自体が揺らぎ始めたと言えそうだ。

 白書によると、交通関係を除く「一般刑法犯」の認知件数は96年以降、毎年「戦後最多」を更新。「日本の安全神話の崩壊」の象徴として使われてきた。ところが失業率と軌を一にして、02年にピークを迎えた後、03年から3年連続で改善。05年は226万9572件と前年より11.4%減った。検挙率も28.6%と4年連続で改善した。

 「専ら窃盗の減少によるもの。ほかの犯罪は必ずしも減ったとはいえず、景気のように回復宣言は出せない」と説くのは同省法務総合研究所の小栗健一総括研究官だ。

 一般刑法犯の76%を占める窃盗は前年比12.9%減。件数で25万6502件減り、全体の数字の減少を牽引(けんいん)している。

 「治安悪化の指摘で地域の防犯活動など治安意識が高まり、監視カメラが普及した」。結果、窃盗のような「人の目に見えやすい犯罪」が減ったという。「いくら数字が改善しても、凶悪犯罪が次々と起きる中、国民の『体感治安』が改善したといえるでしょうか」

 治安は良くなったのか、悪くなったのか、足踏みをしているのか。

 「その、どれにも当てはまらないですね」

 小栗研究官は少し間を置いて、答えた。

 「そもそも悪化しているのは体感治安であって、客観的な犯罪情勢ではない。これまでの白書のデータでも明らかだ」と話すのは龍谷大の浜井浩一教授(犯罪学)。03年まで法務省勤務。白書を執筆したこともある。

 例えば、外国人犯罪。白書は「手荒で組織的な犯罪の増加は国民の警戒心や不安を急速に高めている」と指摘。一般刑法犯の検挙は02年以降増え続け、05年は4万3622件と過去最多だった。

 だが、総検挙人員に占める外国人は3.8%。「外国人すべてを日本から追い出したと仮定しても、どの程度犯罪が減るでしょう」と浜井教授。

 警察が事件を把握した「認知件数」の多少で論じることへの疑問もある。05年まで東京都治安対策担当部長だった久保大(ひろし)さんは「何を取り締まるべきかという市民と警察の意識によって表面化する数字は左右される」と話す。警察庁は99〜00年、ストーカーや夫の暴力など「民事不介入」が原則だった分野に積極対応するよう通達。「届け出のハードルが低くなった。社会の不寛容の態度も影響しているだろう」

 法務省は、逆の方向に目を凝らす。「認知件数の裏には、被害者が届け出をしないまま表に出ない『暗数』がある。本当の治安を考える上では暗数の分析も必要になる」

 成城大の川上善郎(よしろう)教授(社会心理学)は次のように分析する。

 行政の不審者情報の通知サービスや銀行の指認証システムなどを見聞きする市民は「治安対策が盛んなのは、治安が悪いからだ」と不安になる。その不安感をすくい上げた行政が――。「そういったループがものすごい勢いで進んでいる」

 朝日新聞より。 http://d.hatena.ne.jp/grafvonzeppelin/20061111およびそこで挙げられている文献も非常に勉強になります。
 前回の記事と関連して、非常に興味深い記事だといえます。浜井教授や久保氏の指摘、さらに川上教授の指摘は重要でしょう。
 認知件数と検挙率との関係、そしてそれらの数字と「治安」そして「体感治安」の関係については、再度整理して市民に伝えられるべきであるといえるでしょう。
 検挙率は、「検挙数/認知件数×100」で出されるわけですから、必然的に母数である認知件数に左右されます。そしてその認知件数は、久保氏が指摘されるように、「何を取り締まるべきかという市民と警察の意識によって表面化する数字は左右される」わけです。ということは、検挙率とは…、浜井教授が指摘されるように、客観的犯罪情勢ではないということになるでしょう。警察が、「体感治安」を作り上げている実情があるといっても過言ではないように思います。
 この点、川上教授の指摘をあわせると、警察を含めた行政が「不安感」を作り出し、それをすくい上げる形でまた行政が対応するという構図がわが国には存在すると指摘できそうです。この「市民的治安主義」の存在は、かつてから指摘されていましたが、現在も妥当するといえるでしょう。
 予防されるべき「犯罪情勢」の実情を把握することなしには、刑罰の有効性も検証できません。このような現状を国家が作り上げているのに、「犯罪防止」「世界一安全な国の復活」を旗印として過度に刑罰に頼ろうとする姿勢には、大きな疑問があります。

犯罪白書:失業減ると犯罪減少 就労支援で抑止効果−−法務省公表・06年版

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061107dde041040013000c.html

 一般刑法犯の認知件数と完全失業率の推移 法務省は7日、06年版犯罪白書を公表した。失業率の動向が犯罪発生件数の増減に影響を及ぼしていると分析し、「罪を犯した人に対する就労支援などの雇用対策が犯罪抑止のための有効な施策の一つだ」と指摘している。【森本英彦】

 白書によると、交通事故による業務上過失致死傷罪を除いた刑法犯(一般刑法犯)を捜査機関が認知した件数は96年から急増し、02年には戦後最多の約285万件に達した。しかし、03年からは逆に減り始め、05年は約227万件で3年連続減少した。

 また、完全失業率は90年代半ばから上昇し、02年には近年では最も高い5・4%を記録したが、03年以降は低下傾向にあり、05年は4・4%まで改善した。

 一般刑法犯の認知件数と完全失業率の推移はほぼ同じカーブを描いており、白書は「不況の影響による失業率の上昇が窃盗などの財産犯を増加させ、失業率の低下が犯罪を減少させる方向で影響を与えたことがうかがえる」と分析している。

 一方、罪を犯した人に対する就労支援策は緒に就いたばかりだ。法務省厚生労働省は昨年8月、「刑務所出所者等総合的就労支援策」をまとめ、刑務所や保護観察所ハローワーク公共職業安定所)が連携した職業紹介に乗り出した。

 政府の「再チャレンジ推進会議」は今年5月、出所者の自立更生を促すための就労支援体制を設けて雇用を掘り起こし、就労先をあっせんすることなどを提言している。

毎日新聞より

 法務省による分析の詳細は、犯罪白書そのものを読むまではまだよく分かりませんが…
「罪を犯した人に対する就労支援などの雇用対策が犯罪抑止のための有効な施策の一つだ」
という指摘自体は、私も重要だろうと考えます。
かつて、著名な刑法理論家でもあるフランツ・フォン・リストは、「社会政策は、同時に最良の、そして最も有効な刑事政策である」と指摘しました。この指摘は現在でも重要な意味を持つのだろうと私は考えています。つまり、犯罪予防の手段としては刑法以外にもさまざまな社会政策も含まれるべきで、さらに、もっとも重い制裁手段である刑法は「ウルティマラティオ(最後の手段)」でなければならないということなのです。
このような考えからすれば、犯罪白書における指摘は、やはり意味があるものといえます。しかし、気になる点もいくつかあります。

 第1に、「罪を犯した人」に対する社会政策が犯罪抑止のために有効な手段の一つであるとしている点です。つまり、一度刑罰を科した者を対象とする社会政策がここでは想定されているといえます。しかし、リストの指摘からすれば、国民・市民すべてに対する社会政策こそが犯罪予防に資するというべきではないでしょうか。刑罰を第1の、最初の手段として用い、その刑の執行終了後に社会政策を用いる…という方法は、その有効性からしてもやや疑問があります。もちろん、刑の執行終了後における社会政策は重要ですが、それは「特に重要」ということとされるべきであり、犯罪を犯していない者が犯罪を行わないようにする社会政策も重要であるということは踏まえられるべきでしょう。

 第2に、近年みられる社会内処遇の改革動向との整合性です。更生保護に関する有識者会議では、社会内処遇における監視・コントロール強化の視点が多くみられます。これは社会政策などにもとづく「援助」という視点とは正反対のものといえます。このような動きと犯罪白書の指摘をみると、どうも刑の執行終了後における対象者の取扱いについても、二極化が進むのではないか?という気がしてなりません。つまり、重大犯罪を行った危険な者については監視・コントロール重視の取扱いを行い、軽微な犯罪を行った者については就労支援を行っていくという意味での二極化です。しかし、真に援助が必要なのは重大な犯罪を犯した者なのではないでしょうか?これも犯罪予防の有効性という点からも疑問があります。

 まだ詳細な分析をみていませんが、以上の二点について少し疑問だったので、思うままに書いてみました。