僕と、僕らの夏


 主人公の失恋がハッピーエンドになるということ、そして、こんなにも眩しく満たされた気持ちになるということ。
 「僕と、僕らの夏」という作品は、最後の夏、田舎の純朴すぎる少年少女たち、ダムに沈む集落、子どもの頃の思い出、これらありきたりのイメージを、そのじれったさやどん臭さまでも含めた愚直ともいえる誠実さをもって、純度高く紡ぎだした清涼でノスタルジックな恋愛物語です。
 しかしそれだけではなく、その世界を複数キャラクターの視点から描くことで、基本的に狭い世界と短い物語であるそれに複雑さと広がりを持たせています。さらに興味深いのは、視点を担うキャラクターをただ少年少女のうちの別のひとり、いわゆる世界本来の住人にするのではなく、その世界を外れたキャラクターも据えたことで、その世界と物語をプレイヤーサイドにぐっと近づけることにも成功しています。
 王道的な世界設定でありながら野心的なゲームデザイン、実に僕好みの良い恋愛ゲーム作品でした。ありがとうございます。
 システム周りはまぁいただけませんでしたけれどね。なにぶん昔の作品なのであまりとやかく言いたくはないのですけど(なんか毎度そんなようなこと言ってる気がする)、BGMと音声の音量を別々に設定できなかったり、ページめくりをクリックでしかできなかったり(僕は大抵enterキーを使ってゲームを進めるもので)といった、ごく初歩的な部分での不行き届き。
 プレイヤーが自分にとって一番寛いでプレイできるシステム環境を設定しようとするのは、結局は作品をより良く味わおう、理解しようとする意思、作品に対するプレイヤーの誠意であるといえるのですから、その気持ちに制作者はできる限り応えていかなければなりません。それはクリエイターとしての責務ですぞ。
 音楽については、ある意味この作品で一番びっくりした部分でした。民族音楽ケルト音楽?バグパイプでしたっけ)をフィーチャーした音色がふんだんに盛り込まれているBGMは、最初こそちょっとだけ違和感がありましたが、慣れくると途端に広がってきたのは、自然と集落の人々が生活を通してひとつとなっている風景であり、匂ってきたのは、温かみのある情感。
 電子音に満たされたゲーム音楽の、きらびやかで美しいその旋律に時として薄ら寒い温度を感じたりすることがあるけれども、この作品の音楽は、薪火のけむりに咽んでしまっているような、生活に密着した音楽。
 「風を切って」「踊る鶏」あるいは「懐かしい故郷」「木漏れ日の中で」など、まず暮らしがあって、そして想いがあるということをしっかりと感じさせてくれる、地に足の着いた眼差しで奏でられる音楽世界であるからこそ、「ブリキ箱の中に」ときめいて、「慕情」にしっとりとして、「たゆたう流れ」の哀切あるバイオリンの響きにありえないくらいの絶望を感じてしまうのです。
 生きた音楽だからこそ、生きる感情。土まみれだけれどほっとする日常のなかで、きゅるきゅるとくすぐったく転がっているガラス玉の情感。
 まぁ、ベッドシーン用のBGM「想いを添える刻」はさすがにどうかと思いましたけれどね。人類史上のSEX!新世紀の濡れ場!って感じで、そんなにすごいのかと。

 「好きだ……」
 脳裏で、もう一度、昨夜聞いた恭生の言葉を繰り返してみる。わたしは、川面を見つめた。光る川面は、まぶしかった。まるで、恭生たちのように。汚れを知らない、あの子たちの輝きに、ずっと目を奪われていた。その中に、わたしが入ってもいいのだろうか。わたしも、あの子たちと同じように、やり直せるのだろうか。

 「裏ルート」の視点となるキャラクターは、いわばプレイヤーのシンボル。
 既に少年の頃の純朴さを失った、恋愛に瑞々しさや純粋さを見出すことに非常な困難さを伴う現実の、意図的に誇張したメッセージを帯びて彼女は登場しています。
 (表)物語の主人公である、青春真っ盛りの純朴な少年少女たちに懐かしさや親しみを感じつつも、冷めた、皮肉的に眺め、ときには悪意をもって行動する彼女は、どこか僕たちプレイヤーに通じているところがあると思いませんか。
 恥ずかしくなるくらい美しい青春、どきどきするくらい純情な恋愛、裏表のないきれいな人間関係。それら恋愛ゲームで描かれる物語は、もちろん僕らプレイヤーが求めている世界だけれども、確かに僕らは、心のどこかで、「そんなのありえねーよ」「そんな女いねーよ」「頭おかしーんじゃねーかお前ら」といった根本的な不信感を払拭することができないでいます。
 そんなプレイヤーの矛盾に満ちた本当のありようを映し出したのが彼女なのだと、僕には思えてなりません。

 綺麗なだけの、青く美しい思い出なんて、あたし大嫌い

 ダムに沈む集落。しかしダムは決して悪いことばかりではありません。集落は決して美しい思い出ばかりではありません。
 汚れていない少年少女と汚れている彼女。しかし少年少女はいつまでも青春の中で無邪気に遊んでいるわけではありません。本当に汚れている人は、自分の汚れを気にするとも思えません。
 成長するということは、いわば思い出の詰まった集落をダムの水で沈めていくようなものなのかもしれません。ダムの水はやがて濁っていくように、世間にもまれていくなか自らの思い出に触れる機会は減っていきます。そういうものなのかもしれません。
 しかし彼女は思い出に失恋します。彼女は思い出から本当の自分を見つけます。2つあってしかし本当はひとつのやさしい希望(ハッピーエンド)。
 恭生が埋めた宝物によって彼女が救われたように、和典がある決意を込めて宝物を埋めたように、人は未来に向けて思い出を耕していく。希望ってやつはなにも未来の専売特許ではありません(臭っ。
 制作者がパッケージに埋めた、「僕と、僕らの夏」という作品のなかできゅるきゅるとくすぐったく転がっているガラス玉は、主人公の失恋がハッピーエンドになるということ、そして、こんなにも眩しく満たされた気持ちになるということ。
 僕らプレイヤーに直にフィードバックされるその鮮やかなきらめきに、だからこそ僕は、未来に向けて”この割と素敵な思い出”を、こうして感想を書くことで耕しているのですよ。もう3年以上も前に発売された作品だっていうのにね…。