GALAXY ANGEL Eternal Lovers

かつてアニメ映画「耳をすませば」で、「『好き』よりももっと強い気持ちを表したかった」がために、ラストシーンがプロポーズになったというような話を監督がされていたけれど、そんなようなことを、この「GALAXY ANGEL Eternal Lovers」をプレイしていて思い出しました。気がつけば愛を語り合う関係ですからね。本当「いつのまに」といったところです。
完結編ともあって、前2作と比べてもストーリーは重厚でシリアス。ヒロインキャラクター用に割り当てられた"付け替え"エピソード領域を挿入しながらも、大筋(テーマ)は譲らない・ぶれないその物語性は、個人的にけっこう楽しめました。ただ、アドベンチャーゲームとして最低限のツールである既読スキップ機能がついに実装されず、画像(紋章機コクピット内絵)の読み込みが遅くてほとんどスキップの体をなしていないことが、ゲームとして致命的。同じ戦闘パートを繰り返しプレイすることよりも、スキップしているのに全然読み飛ばせていないもどかしさが、このゲームの最大にして最悪の欠点でしょうか。
暴走する味方機を追いかけたり、惑星に飛来する大型爆弾を着弾前に破壊したりと、それなりに嗜好を凝らされた作戦と、旗艦(エルシオール)撃破を目指しつつ紋章機の追撃には適宜反撃するという、敵がある程度の知恵をつけてきたことなど、型通りのこじんまりとしたものとはいえ、シミュレーションパート自体はシリーズを通してずいぶん練成されてきた感があります。とはいえ、そのささやかなシミュレーションスケールに徹底して閉じこめられていると、いっそ外に打って出る・紋章機を自分で操作したくてうずうずしてきます。華麗な3Dグラフィックを外側から鑑賞するのではなく、内側から能動的に堪能したいし、そのためにコクピット視点まで持ち込んだのだろうけれど、それは逆に操縦できないものどかしさを上積みするようなものでした。
例えばパートナーに選ばれたヒロインの紋章機はプレイヤーが操作、他のヒロイン紋章機の状況はセリフだけで判別できるようにし、操縦する片手間に指示を出せるようにする、監督と捕手を兼任する古田のような取り組みは、現在のシミュレーションスケールならけっこう可能だと思うんですよね。紋章機に攻撃目標を指示してから、実際に撃破されるまではすることないですから。もしそれが不可能だとしても、エルシオールや他の紋章機を登場させず、紋章機単独の戦闘パートを設定すれば済むことで、やっぱり操縦から攻撃・回避まで操作してみたいですよねえ。

「心とは、しょせんその程度のもの。互いに期待し、それを表に出さぬまま恨みばかりをつのらせていく。つまり、その人のみにくさの結晶が『心』なんだよ!」
「あれが……人の心が生み出した力……。不条理で……バカげた……だが、とてつもない力……。」

今回の物語で素晴らしいと思ったのは、敵とも味方ともいえない異質のキャラクターを登場させ、彼への感情移入をプレイヤーに誘うことで、エンジェル隊紋章機の関係と、彼女達とタクトの関係、いわゆる心というシステムの内と外を鮮やかに照し出し、シリーズを通してわだかまっていたタクトとエンジェル隊の"ひとりよがり"から、僕らを救い出すことに成功した点です。
心の問題。好感度にあらわされるエンジェル隊とタクトの心の結びつき(内)は、紋章機の性能(外)として歴然と反映します。しかしそれはなんてことない、僕たちだって、母親や恋人とケンカすれば勉強がはかどらなかったり仕事の調子が上らなかったりするわけで。心の問題で身体を悪くする心身症という病気もあります。体調が悪ければ気が滅入るということもありますよね。
ゲーム内容やキャラクタに共感したり感情移入したりする、プレイヤーとして生じる意識(内)を自身の身体に仕向けるための装置として用いられたのが、紋章機(外)。精神的で神々しく、繊細なありようとして描写されている機械(無機物)に、ヒロインが乗りこみ宇宙を駆け巡ること(一体化する)で、僕らは(ゲーム上での)自身の身体をかりそめに意識することが叶う。身体というものは意識が宿らなければただの物質であるのと同じように、紋章機の性能は主人公(プレイヤー)の好意(恋愛意識)そのものであって、その限りにおいて僕らは紋章機という"身体"を与えられ、"美しい自意識"を確認することができるのです。
しかし、紋章機の性能をヒロインと主人公の心の問題に落とし込んでしまったがため、美しい自意識を保持するために、タクトとエンジェル隊プラトニックな恋愛を永続的に見せびらかす方法を、この作品は選択することになります。けれど、僕らはプラトニックじゃない恋愛しか体験しようがないという"隙"をもって、至高・永続性の根拠としているのですから、おいそれと進展させるわけにもいきません。「『好き』よりももっと強い気持ちを表したかった」がための「愛してる」ではなく、「『好き』程度の気持ちじゃシステムが成り立たなかった」、しかし実際"愛し合う"ことはできないから、青臭くも声高に「愛してる」を連呼するしかなかったのです。
健全に考えれば、主人公とSEXするように紋章機とヒロインを一体化させればその手の問題は一気に解決しそうなもの(エッチが上手くいかなかった・すれ違いでご無沙汰になると性能ダウン、ああなんて素敵な美少女ロボットモノ!)。それができればプレステ2のコントローラは握っていませんよね。(握るものが違います)
とはいえ、「好き」ではなく「愛してる」でなければ紋章機の性能アップを納得できない、外から内へ逆流し、締め上げてくるジレンマ、その神聖なる結びつきがヒロインに媚びへつらう選択肢を積み上げて達成されたものであることを知るばかりに、そのちぐはぐさ、ひとりよがりの勝手な盛り上がり感もまた否定できません。彼と彼女のプラトニックは慢性的な危機に瀕していた。
3作目に登場したキーパーソン(外)は、第三者的立場でタクトとエンジェル隊の結びつき(心の問題)(内)を捉えることで、彼らをそんなひとりよがりの危機的状況から救い出す。いわれはともかく現状タクトとエンジェル隊との心の結びつきを実験し、反駁し、承認した、その手続きをもってシリーズを締めくくる礼儀正しさには、きちんとした評価を与えるべきですよ。
エターナルなラブを既成事実化しているアバギャルドなギャルゲー、「GALAXY ANGEL Eternal Lovers」。ゲーム開始早々パートナーを選ばせている時点で、入店早々お相手を選ばせる風俗店となんら変わりない、初っ端から終ってる恋愛ゲームにあって、ゲストキャラクターの言動とその生き様こそがこの物語のテーマであり、体現。経緯なんて関係ない、愛し合っていればそれが最強。それを本人たちではなく彼に認めさせたことが、僕にとっては嬉しいのです。だってそれこそシリーズ最初で最後のオチに違いないのですから。