ぽっと 〜Rondo for Dears〜

ぽっと ~Rondo for Dears~

ぽっと ~Rondo for Dears~

ファミリーレストラントリアノン」北橋店は、この夏を最後に店を閉じるよう本部から命ぜられた。主人公城島一誠は、マネージャーとして店を管理しスタッフの中から残す者を選ばなければならないという、とんでもなく重い役目を負う。

要するに、汚れ役。この業務が済めば本部でそれなりの地位が約束されているし、希望するなら新店舗の店長にもなれるという。パッケージを見た限りでは、「どうせ憎まれ役なのだからせいぜい楽しませてもらおうじゃないか……」という、どちらかというとエロ主人公がやりたい放題系のお話を想像していたんですよね。旅の恥かき捨てといいますし。
しかし主人公の城島は僕のよこしまな期待をほぼ見事に裏切りやがります。何ヶ月か前から経営改善のために常駐してきた彼は、「トリアノン」北橋店を自身の理想とする店と信奉するようになり、この店を守りきれなかった自分を悔いていさえ。そして彼は本部の数値主義に嫌気が差し、すでに退職する心積もり。おいおいパッケージ裏の文句はいったい何だったのかといいたくなります。
アホみたいに誠実で、理想を妥協できない青二才、女子高生バイトにタメ口で話されても平然としていられる人当たりのよい人柄と、若くしてエリアマネージャーという要職についている有能さは、主人公城島一誠という男性を「女性に好かれてしかるべき像」としてプレイヤーに認識されます。やはり仕事ができて性格のいいヤツは女にモテるんだ、という常識は、学園モノでありがちな「口ばっかりでロクな役に立たない」、多くのヒロインから好かれる理由がまるで見当たらないような主人公とは、一線を画している。もちろん恋に落ちるのに理由はいらないのでしょうが、あるに越したことはないわけで。何せプレイヤーは「読む」しかないんですからね。読めない理由は、理由があるにせよないにせよわかりませんから。
恋愛ゲームをプレイするのに、主人公について安心できるというのは、プレイヤーにとって結構重要なことだと思うんですね。共感とは違う、人間性の認定というか。好きになるのも好かれるのも認定された範囲内で厳かにゆるやかに為されて欲しいというのが僕の本望で、だから安心できる主人公を据えた本作品はそれだけでうれしいのです。人間らしくないとか、意外性というのも、それはそれで良いものだけれど。
しかしまあ、一女子高生バイトのことが気にかかり仕事が手につかなくなる程度で、有能なエリアマネージャーとやらを設定できるものなのかという、致命的な疑問を抱かせる場面もあります。

だって、お金が全てに優先するんだからさ。お金がないと家族とさえ、いっしょに住めなくなるんだよ。そんな事、あたしだって知ってるのに。

緒方希美果が劇中で語るとおり、この歴然とした現実を前にして主人公は苦悩してみせるものの、同じ文脈である本部の数値主義に嫌気が差したという理由で退職してしまい、エンディングは思い描いてきた新店舗開店、しかも好調な滑り出しという、それまでそこはかとなく語られてきた、あるべき苦労ものしかかるべき数値もまるで欄外においやった安易な理想主義に陥っています。
彼は、努力してもどうにもならなかったトリアノン北橋店の経営について、うじうじと悩みながら、悔いながらも、どうにもならないことだと諦めることすらできず、結局のところ恋愛に逃げて、SEXにかまけて、ほとんど勢いでメルヘンなエンディングを"夢想した"。そんな甘い抽象が具現化してしまったのは、物語もまた"おばか"になったからだとしか言いようがありませんね。
城島が有能であることは物語中でもそれなりに推し量ることはでき、恋愛についても彼は多くの女性にモテてしかるべき男性でしょう。しかし夢の実現については、それらに類する明白な根拠の見出せなかったことが、残念であり、違和を感じてしまうんですね。なんのバックボーンもいらない中高生が主人公であるなら、青春という夢想に突っ走っても、あまつさえそれが実現してしまったとしてもかわいらしいものですが、大人の男ともなれば、それではあまりにずるいじゃないですか。
現実的な設定、大人の"そぶり"を見せてきた主人公が、ヒロインとの恋愛やエロを通して、現実に躊躇わない、夢に一途な少年へと還っていく。物語もまた大人向けから児童向けにシフトしていく様がありありと見出されます。あのようなエンディングが何の後腐れもなく成立してしまう以上、言い逃れはできないですよね。それが素晴らしいことだと手放しで賞賛できるほど、僕も彼も若くはないのです。羨ましいとは、思いますけどもね……。
主人公がトリアノン北橋店の経営について、努力したけれども成果に結びつかなかったというのなら、言葉だけではなく実際プレイヤーにも操作させてくれればよかったものを。その点、この作品のゲームデザインはあまりに稚拙です。選択肢は午前と午後のシフトを選ぶことと(シフトによって会えるヒロインが異なる)、その日は誰に注意を向けるかという選択(注目するとはイベントを起こすということ)、またヒロインのモノローグシーンを「見る」か「見ない」かの選択など、ゲーム側の都合によって配置された機械的な選択肢が多く、ヒロインとの恋愛を決定的に左右する情緒的な選択肢が皆無です。ヒロイン5人のおっぱい選択肢は斬新過ぎて時代も僕の感性も追いつきません。
城島が悩んでいることを、プレイヤーにも同じように悩ませるための装置が何にもないわけですね。トリアノン北橋店の経営についても、イベント開催や情報収集、客層分析などにプレイヤーの意思を挟むことができれば、成績の芳しくない部分について共感(共犯)することができるじゃないですか。本社を退職するしないについても主人公の独断であって、新店舗開店もゲームがまるで介入していない。
もっといえば、主人公の夢についても、どうしてそういった夢を抱くに至ったのかの描写もないわけで。だからプレイヤーとしては、彼の夢を共感できない。現状が不満だから違うものにしたいというだけでは、夢を構築しきれない。これは結構致命的だと思うんですね。設定負けしているというか、自信のある設定に安穏としてしまっている印象で、だから物語で驚かされたり、意外な展開にぐいぐい引っ張っていかれるというような作品ではない。そうじゃないからダメだというつもりはありませんけど。
ヒロイン別ストーリーはほぼ分岐しないし、ゆえにバッドエンドも存在しない。それはそれでいっそ潔いともいえるけれど。主人公の懐の深さとは相容れないとても窮屈な物語(デザイン)と未来(エンディング)が、彼にある種の憧れのような感慨を抱いていた僕としては、物足りないなぁ、なんか違うんじゃないかなぁと思ってしまいます。もっといろんな未来があって欲しかったんですね。規定された新店舗の、店員構成や主人公の地位がちょっと変わる程度ではなくて。例えばヒロインとともに本部に乗り込んで改革派のヤリ手として頭角を現していくとか、あるイベントをきっかけとして北橋店がマスコミに注目され大繁盛、奇跡的に閉店を免れるとか。どうせメルヘンなんだからなんでもありでしょ。
至言ですね
まあ、わかってはいるんです。そういうゲーム性について論じても仕方がないということなんて。恋愛が楽しめて、濡れ場が愉しめればそれで十分なのであって、そういう観点ではこの作品は十分良作だということも、認めます。エロシーンは多いし頑張ってるし、輪廻かわいいし、三角関係や未亡人を織り込んでの恋愛はけっこう萌えるし(ヒロイン視点に立ったシーン/モノローグが絶妙のタイミングで挿入されるのも吉)、ゆらたまかわいいし、主題歌も良いしね。ただバロディネタがやや鼻についたのと、音楽(BGM)はイマイチだったかな。
グラフィックで印象的だったのは、頬の染まり方が品があって良かったということですね。あからさまじゃなくて、よく見るとかすかに朱に染まっているという文章表現を的確にビジュアル化しているな、というか(↑の珠萌も実は頬を赤らめています)。キャラクターデザインについては、明日葉と希美果の区別がつかないので察してくださいとしか。