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BLUEBERRY GARDEN〜虹色空園〜

2015-05-27

[]びっくりした 23:52 びっくりしたを含むブックマーク びっくりしたのブックマークコメント


予期しない、がんばれよ、の一言が

すごくすごくうれしかった。

これはがんばらなきゃいけない。

それだけでがんばる理由ができた。



いやなこともいっぱいあるけど、ちょっとがんばろうと思えた。

うれしかった。

2015-05-24

[]姉が結婚しましたpart.2 20:22 姉が結婚しましたpart.2を含むブックマーク 姉が結婚しましたpart.2のブックマークコメント

姉が結婚式を終え、一週間が経過しました。

いや、なんだ、あれだ、早いもんだ。

なんかもうすっげぇ昔のことみたい。

でも幸せ気持ちが続いているので、結婚式参列効果は偉大なものである。



さて、前回たぶん続くと書いて終わったわけだが、意外とあれ以上続く話もないように思えてきた。

というか誰かに聞かせたいってわけでもないし、自分の中の一区切りとして書いているわけなので、

私の女性に対するスタンスを形成した前回の話を書いてしまえばそれで終わりみたいなものだが。





でもまぁ、なんだ、つらつら書いていこう。

何を回想しようか。





そうだ、あれは僕が小学5年生のときだった。



姉とは2つ年が離れている。

つまり僕が小学5年生ということは、姉は中学校入学したての、ぴかぴかの中学1年生だった。

偶然、僕の担任が、姉も小学5年、6年と担任をしてもらった先生になった。

運命だと思った。

変な意味ではない。

姉が小学5・6年とお世話になり、卒業

その後続いて小学5年生になった私の担任は、ついこの前姉を卒業させたばかりの先生だった。

小学校校内人事ルールはわからないが、卒業させたと思ったらまた同じローテーションで5・6年と担任するというのはどうなのか。

結果的にこの先生は私と姉の小学校5・6年の担任をしてくれた。)

よって私も姉も、この先生の思想を強く受けたといっても過言ではない。

年齢的もちょうど働き盛りの、捌けた女性の先生だった。

姉はこの先生が好きだった。

無論、私も好きだった。

というか、クラス中から慕われる先生だった。




そんな小学5年生を謳歌していた5月、姉が死ぬ気で勉強を始めた。

人生で初めての定期考査である。いわゆる中間テストってやつだった。

田舎の小さな小学校で育った僕たちは、学力云々より、人間的な指導が多かったと思う。

競い合う人間が多いわけでもないので、ことに勉強においてはあいつよりいい点数を取ろうとか、

私立の中学校に行ってやろうとかいうこともなく、わりとのびのび、

悪く言えばだらだら学校生活を満喫していた。

だから姉が必死に勉強を始めた姿は、今でも当時の姿のまま記憶している。

あぁ、中学校になると勉強が大変なんだな。

それはまぁ良いとして、問題は冬だった。



当時一応自分の部屋を与えられていた姉は、部屋にこもって勉強するのが常だった。

テスト前に限ったことだったが、その期間は冬、かなり過酷なものだった。

もうそろそろ築100年に到達しそうな我が家は当時から隙間風の吹き込む家で、

ことに新潟の冬なのでその寒さはすごい。

布団に包まって寝るのであれば問題ないが、鉛筆を握る指と頭を長時間酷使するこの時期、

姉はストーブのない自分の部屋で、もこもこ着込みながら、手袋を装備して勉強していた。

ストーブのある居間で勉強しないの、と聞いたら、

いや、いい、

一点張り。姉のことなので、勉強をサボって漫画とかを読むタイプでもなく、一心不乱に勉強していた。

長女だったため、親の期待もそれなりにあったし、厳格な祖父からは特にプレッシャーをかけられていた。

よって、うるさいうるさくない関係なく、親や祖父の見ているところでは勉強する気になれなかったのだろう。

その努力のかいあって、姉の成績は常に上位だった。

子供ながらにすごいと思ったし、自慢の姉だったことは間違いない。



そんな折、姉が小学校時代の担任、つまり当時の僕の担任に手紙を書きたいと言い出した。

もちろん了解した。

といっても僕の仕事はその手紙を担任に渡し、おそらくかかれるだろう返信を姉に届けるという推察がついて。

はたしてそのとおりだった。



ただ一点予想しなかったことは、担任から、お姉ちゃん、がんばりすぎかな、といわれたことだった。

手紙に何が書いてあったかはわからないが、今思えばあのころ姉が友人と遊んでいた記憶はない。

学校から一緒に帰ってくる友人がいたり、一応所属していた部活(ほぼ幽霊部員だったらしいが)に気の合う友人がいることは会話の中から知っていたが、

いわゆる家を行き来して遊ぶ、みたいな機会は、ただでさえ少なかった小学校のときと比べても激減、

皆無に等しかった。

何に遠慮していたかわからないが、そういえば僕が中学校に上がるまで、兄弟3人(僕の下には妹がいる)で遊んだ記憶がとても多い。

僕自身は日がくれるまで小学校の友達と遊ぶことが多かったが、家にいるときは、よく暇そうにしている姉と妹にちょっかいを出し、遊んでくれとねだった。

そして姉は本当に暇だったのか自分のことを二の次にしてか、断りもせずよく遊んでくれた。

おそらく姉自身は全然興味もなかったのだろうが、キャッチボールをしたりスーパーファミコンをしたり、いずれにしても僕が勝ってしまうのだが(あるいは勝ちを譲ってくれていたのか)、しっかりと遊んでくれた。


だからそんな姉が寒い中必死で勉強している姿は、特に鮮明に記憶しているのである。



ちなみにそんな姉の姿を見て育った僕ではあったが、テスト勉強なんてほとんどせず、つまり中学校時代は全然勉強せずにすごした。

姉とは大違いである。

よって、よりいっそう姉を尊敬した。

ただ、腑に落ちなかったことは、姉は地域で1番の進学校には行かず、その1つしたの高校に入学したことである。

いわゆる推薦入試ってやつで、学力テストを受けずして早々に高校を決めてしまった。

姉は「そこまで必死に勉強したくないから」とだけ言った。

あれだけ勉強していた姉だっただけに、少し驚いた。

(ちなみに僕は地域で一番の底辺校に進んだ。)

だがこれも姉の策略で、前回の日記にも書いたが、姉はまたもや推薦で大学入学を決めた。

進学校に行って必死に勉強してセンター試験を受けて大学へ行くより、

そこそこに勉強して常に成績を上位に保ち、推薦資格を得る、これが彼女のシナリオだった。

そしてシナリオどおり、彼女は第1志望の国公立の短大に推薦合格

そんな姉を当時底辺校1年生で過ごしていた僕は、あぁ、なるほどな、と冬にさしかかろうとしていた灰色の空を見て思った。

なるほど、さすがだ、と。

ちなみにこの時期は前回書いたとおり、姉の彼氏をめぐる事件が尾を引いており、僕の今まで続く女性と付き合うことに対する考え方が確立されていたころでもあった。



そんな友達と遊ばない、勉強はがんばる、テスト前でなければ遊んでくれるという、いわゆるしっかり者の誇らしい姉も、中学時代はものすごく好きな漫画があった。


それが「花ざかりの君たちへ」である。


姉は食い入るようにこれを読んでいた。

ついでに、僕も借りて読んだ。

人生で初めて読んだ少女マンガであり、人生で初めて好きになった少女マンガでもあり、

僕の人間形成に大きな影響を与えた漫画でもある(特に萱島くんには影響を受けた)。




やはり僕の人生を語る上で、姉は欠かすことのできない存在である。

まだ続くかも。

2015-05-17

[]*t*兄弟が結婚しました 20:50 *t*兄弟が結婚しましたを含むブックマーク *t*兄弟が結婚しましたのブックマークコメント

3人兄弟の1人が結婚しました。

姉です。長女。

私は2番目(男)で、その下は妹。

この場合、姉妹と書くのが正しいのか、兄弟と書くのが正しいのかわかりませんが、

まぁ女兄弟という言葉があるのでどっちでもよいとしよう。



あのね、不思議感覚だよ。

そりゃ兄弟姉妹が結婚する、というイベント経験した人は星の数ほどいると思うが、

私にとってはたった一人の姉という存在

今までの人生を語る上で、まぁ、一応欠かせない存在であった『姉』。

そんな姉が結婚したのか。





時間をいつまでさかのぼればよいかわからないが、

なんとなく、今書きたいことを書いておこうと思う。自分のために。

一生に一度だからね。メモメモ。






姉のことで一番思い出すのは、姉に初めて彼氏ができたときのことだ。

当時中学生で、付き合うどうこう、彼氏彼女どうこうという話に縁のなかった私は、

高校に入って割りと早い段階で彼氏のできた姉のことを得体の知れないもののように思った。

姉は中学校まで、まぁ、告白されたことがあるかどうかはわからないが、遊ぶのは決まって女友達だったし、

その女友達とも家を頻繁に行き来して遊ぶたちでもなく、

かといってどこかへ遊びに出かけるというたちでもなかった。

だから私の姉に対するイメージは、あまり交友関係の広いほうではなく物静か、

よって彼氏彼女等の浮いた話とは無縁だと思っていた。




私の目から見ても、姉は厳しく育てられていた。

長女という肩書きは、まぁどこに行っても似たようなものだと思うが、

家が専業農家を営む我が家にとって、それはより重大なものだった。

中学校のとき、われわれは一般的な部活所属しなった。

所属したのは3兄弟とも決まって週に1回部活動をするかどうか、というレベルの部活で、

その理由はほかでもない、農作業か家事の手伝いに、放課後の時間の多くを費やした。

そうなると年齢的に、やはり姉の負担は大きくなる。

「お姉ちゃんなんだから」という言葉に、当時どれほど苦しめられたかわからない。

きっとわれわれ年下の兄弟にはないいろんなものを背負っていたのだと思う。

そんな姉の下で、われわれは、まぁ、ぜんぜん手助けしようともせず好き勝手やっていたわけだが…。

話がそれたが、そんな姉にも高校入学しておそらくまもなく、彼氏ができた。

高校に入ってからは、いわゆる普通の部活に所属した。

進学するためには、部活をやっていたほうが何かと都合がよい、ということだったと思う。

地域進学校の2番手校に進学した姉は、最悪推薦で大学へ行く道を考えていたようだった。

その勘は結果的に正しく、姉は国公立大学に推薦で進学した。

彼氏というのは、その部活の先輩だった。





普通の家庭、という表現は非常に難しいが、田舎農家で、厳格な祖父、決して裕福な家庭といえない我が家は、当時の周りの友達の家庭と比べると非常に自由が少なかった。

簡単に言えば厳しい家庭だった。

だから姉は彼氏ができたことをずっと隠していた。

でもいつか、それが親にばれた。

きっかけは電話だった。





当時、高校生といえば入学と同時に携帯電話を買ってもらう、というのが常識になりつつあったころで、まだドコモmovaケータイ最先端

カメラはなく、料金も使えば使っただけ金額がかさむものしかない。

よって姉はケータイで彼氏と連絡を取りたがったのだろうが、料金事情を考えるとまともに通話していては莫大な請求になると考えた。

我が家はケータイ料金を自分で払うことを条件にケータイを持つルールがあった。

そこで姉は考えた。

家の固定電話から彼氏に連絡しようと考えた。

おそらくそれは彼氏も一緒で、1日おきに、かける日、かけてもらう日、を分けていたのだろう。

だからそれである日突然、とんでもない電話の請求書が届いた。





当然父は怒り狂った。

状況を知った母も怒り狂った。

姉は散々怒られた。

来る日も来る日も。





考え方も古い家庭だった。

結婚もできない学生が、何が夫婦の真似事だ。

付き合うとは何事か。彼氏彼女など言語道断。

祖父から罵倒され、父から怒られ、母から責められた。

そんな姿をわれわれ下の兄弟はただ見ていた。

姉が正しいとは思わないが、そこまで責められる姉を見ているのもつらかった。





このことが私の恋愛感に大きく影響を与えている。

私は今年で27歳になるが、家族からはいつ結婚するの?相手は?

とよく言われるようになったが、中学高校の思春期に付き合うことは悪いこと、

という認識を表向きに植えつけられた私は、決まってこのときのことを思い出し、

自分の交際相手や交際状況を親に言うのは、ものすごい抵抗がある。

というか、まともに言ったことがない。

彼氏彼女についてあそこまで否定的な態度をとった両親家族に、恋愛事情の話をしない、というのは私のひとつの戦いだと思っている。

親の意見はわからないでもないが、むしろ姉を心配して特に厳しく当たっていたのはわかるが、

そのあまりに激しい態度を、たぶん私は一生忘れない。

あなたたちはやりすぎだ、やりすぎだった、と、親に思わせるにはどうしたらよいか。

私は誰とも付き合わない。

結婚はしない。

これが私の回答である。表向きに。

(とかいいつつ彼女はできたことがあるし、今現在いる)





私は姉を尊敬している。

兄弟げんかなんて数え切れない位したし、

今でも姉の考え方に理解を示せない部分も多々ある。

社会人になってからは一時期本当に姉を嫌いになったこともある。

が、やはり、なんと言うか、たった一人の姉なのだ。

姉が仕事の転勤で家を出るまで、25年間同じ家で暮らした。

姉の影響も多く受けた。

迷惑もいっぱいかけた。

困らせた。怒らせた。世話になった。ご飯を作ってくれた。選択を干してくれた。

漫画を貸してくれた。ゲームも一緒にやってくれた。勉強も教えてくれた。

飲み会にも連れて行ってもらった。仕事のことも教えてくれた。

おめでとうじゃすまないよね。





昨日の結婚式で、珍しく、父の泣く姿を見た。

下手したら、人生で初めてかもしれなかった。

姉のスピーチで、父と母はそろって泣いていた。

結婚式のよくある光景だが、その脇で私も妹もそろって泣いた。

祖父は目を閉じていた。祖母はハンカチで涙を拭っていた。

やはり、よくある光景だった。






今朝、姉から教えてもらい、その後好きになって自分で買った本を読んだ。

羽海野チカはちみつクローバー』。






当分は、幸せ気持ちで過ごせると思う。

〜たぶん続く〜

2015-05-14 生活は変わっていく

[] 11:56 を含むブックマーク のブックマークコメント

このブログをはじめたのは大学入学直前だった気がする。

大学時代はまぁまぁ更新していたが、社会人になってからはからっきしである。

生活は変わっていく。

そんな私は現在佐渡で生活している。

第3の職場

ここまでうまくいっていないのは、たぶん社会人生活を始めて以来初になるかもしれない。

ちょっとゆっくり、やっていこうと思っている。

2013-08-04

[]不規則 18:10 不規則を含むブックマーク 不規則のブックマークコメント

とにかく生活が不規則である。

ここまで不規則になる予想はしていなかったのだが、過去の生活を鑑みると、あぁ、ついになってしまったか、と思わざるを得ない。


食事。

一人暮らし当初は自炊7:外食1:中食2くらいだったが、

最近は自炊2:外食2:中食6くらいの割合。

基本的には弁当を買ってきて家で食べる日々。

濃い味が苦手なので、食べたくないときは食べない、という不規則っぷり。

1日3食食べることはなく、だいたい2食か1食。食べないって日は一応ない。意識的に食事は摂る。


生活リズム

仕事から帰宅→ちょっとなんか食べる→寝る(8時くらい)→深夜に1度目が覚め、ま、いいや、寝るかと思って再び睡眠(0時〜2時くらいがメイン)→起床(7時)。

って感じのサイクル。


社会人として非常に不健康かつ不規則な生活を送っているので、どうしようかと思っている。


そうだ、自炊して作ったものを写真でアップして何とか自己責任感を得れば良いんだ。

そうだ、そうしよう。で、その頻度を高めていけばいいや。

早速携帯からアップする練習を兼ねて飯を作ろう。



あとは、アレだな。勉強机買おう。

[]食材処理の夕飯 19:37 食材処理の夕飯を含むブックマーク 食材処理の夕飯のブックマークコメント

ご飯、納豆ワカメスープ、でき損ないオムレツ温野菜たちプラスドレッシング


無事自炊して食べました。


なぜでき損ないオムレツかというと、卵がかなり古いやつだったことを混ぜてる最中に思いだし、急遽半熟を取り止め堅焼きに。

ならいっそ卵焼きにすればよかった。


あともいちょい胡椒すくなくて良かった。


反省。

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