第百七十九段

■ 原文

入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号す。

その聖の申されしは、那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥の説として言ひ伝えたれど、西域伝・法顕伝などにも見えず、更に所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。


■ 注釈

1 入宋の沙門
 ・中国に渡った僧。「沙門」は仏門に入った僧のこと。

参照:沙門 - Wikipedia

2 道眼上人
 ・元から帰国した禅僧。

3 六波羅
 ・六波羅探題。京都の守護、近畿地方の政治、軍事を総括した役所。

参照:六波羅探題 - Wikipedia

4 やけ野
 ・未詳。

5 首楞厳経
 ・別名を『中印度那蘭陀大道場経』といい、禅法の基本と菩提心の取得を説く。

参照:中国の仏教 - Wikipedia

6 那蘭陀寺
 ・未詳。

参照:ナーランダ - Wikipedia

7 江帥
 ・太宰帥、大江匡房のこと。漢学者、歌人有識者。権中納言、太宰権帥。

参照:大江匡房 - Wikipedia

8 西域伝・法顕伝
 ・『大唐西域記』『大唐西域伝』『西域記』とも呼ばれ、唐代の記録書。法顕伝は、法顕による旅行記

参照:大唐西域記 - Wikipedia
参照:仏国記 - Wikipedia

9 西明寺
 ・唐の都、長安にあった大寺。印度の祇園精舎を真似て造られた。

参照:西明寺 (西安市) - Wikipedia


■ 現代語訳

中国に留学した道眼和尚は、仏教聖典を持ち帰った。六波羅の側にあるヤケノという場所に祭壇を造って保管した。特に座禅の集中講義を行ったので、その寺を「ナーランダ」と名付けた。

その上人が、「インドのナーランダの門は北向きだと、大江匡房の説が伝えられている。しかし、玄奘や法顕のルポルタージュには書かれていない。その他にも書いてある物を読んだことがない。大江匡房は、何を根拠にしたのだろうか。信用ならん。中国にある西明寺の門は、もちろん北向きだ」と言っていた。