第二百二十七段

■ 原文

六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。


■ 注釈

1 六時礼讃
 ・浄土宗の法要のひとつ。一日を六つに分けて浄土往生の念仏を唱える。

参照:六時礼讃 - Wikipedia

2 法然上人
 ・第三十九段に登場。本名は源空法然房と名乗った。岡山生まれのお坊さん。浄土宗を開いた。

参照:法然 - Wikipedia

3 安楽
 ・法然の弟子。法名は遵西。後鳥羽上皇の留守中に御所の女房を出家させ、上皇の逆鱗に触れ、六条河原で処刑され羅切、及び斬首される。

参照:遵西 - Wikipedia

4 太秦善観房
 ・京都市右京区太秦にある広隆寺の僧か。

参照:広隆寺 - Wikipedia

5 節博士
 ・詞章の隣に調子の高低、長短を記した符号。ネウマ符。

参照:ネウマ譜 - Wikipedia

6 後嵯峨院の御代
 ・後嵯峨天皇の在位期間。一二四二年から一二四六年まで。

参照:後嵯峨天皇 - Wikipedia

7 法事讃
 ・『転経行道願往生浄土法事讃』の略で、浄土転経行道の善行が記された書。

参照:浄土教 - Wikipedia


■ 現代語訳

六時の礼賛は、法然の弟子の安楽という僧が経文を集めて作り、日々の修行にしていたのが起源である。のちに、太秦の善観房という僧がアクシデンタルを追加して楽譜にした。これが一発で昇天できるという「一念の念仏」の始まりである。後嵯峨天皇の時代のことだ。「法事讃」を楽譜にしたのも善観房である。