お別れです

やあやあ。廃棄船のごとく放置され錆び付いているこのブログですが、書き手が死んだわけではありません。生きてます。
しかし、大不景気のせいで、生きていくことが難しくなったのは事実です。
横浜の自宅を維持できなくなり、売ることにして、千葉の実家に避難しました。経済的に余裕がないため、ヲタ的な活動は去年から「凍結」していますが、不便な場所に越したという地理的な条件の悪化も重なり、もう芝居やコンサートを見に行ったりする意欲は極めて薄いです。
現在も保田の動向は気にしていて、活動スケジュールを調べたりはしているのですが、それは「ああ、やってるなうむうむ」と安心するために過ぎず、実際に現場へ赴くまでには至りません。生活環境も生活パターンも激変し、テレビのバラエティをほとんど見なくなりましたので、保田はもとより、保田以外のアイドルたちがいまどうなってるのか、誰が光りそうか、なんてことも全然わかりません。このブログに何らかの感想を書こうにも、まったく材料がない状態です。
かかる事情によりまして、このブログはひとまず終了いたします。
保田の「娘」卒業直後から足かけ8年、細々とながら続けてきたので、断腸の思い……というほどではないにせよ、せっかく保田の出身地から館山自動車道京葉道路で一本でつながった場所へ戻ってきたっつうのに、残念な気持ちはありますが、始まったものはいつか終わると、みうなも言っておりました。潮時でしょう。
ではでは。皆様ごきげんよう。どうかお達者で。

梅干し??


久住小春に関するお知らせ
http://www.helloproject.com/news/1004221200_kusumi.html


久しぶりに「目が点になる」思いを味わった。梅干しの研究でもするのかと思ったら、本人のコメントによると、そこまでピンポイントではないようですね。
しかし、この歳でやりたい仕事が具体的にあり、その実現を助けてくれる環境があるのは幸せだ。ぜひとも、くじけずにがんばってほしい。

MとAの話

3月はとうとう一度もエントリーを書かなかったんだな。
だいぶ前の話をする。『いいとも』に現役娘たちが出てきた。どうして彼女たちはあんなにテンパっているのか? デビューしたばかりの新人アイドルのようだった。
いちばんがっかりしたのは、自己紹介の名札を付けてきたこと。いくらグループとしての露出が減っているとはいえ、「腐っても鯛」ではないのか。君らには誇りというものがないのかと言いたい。常に初心を忘れないのは人間としては大切だが、ゼロに戻ることはない。
話術が稚拙なのに奇をてらった話をしようとしすぎるのもやめたほうがいい。見ていて痛々しいわ。道重があのキャラで当たりをとったのは、彼女にセンスがあって研究熱心でもあるからだ。
現役娘は、もう歌だけをやっていなさい。バラエティで顔を売るのは、道重のような適性のあるメンバーだけに絞るべきだ。


ここで突然、話題はAKB48に変わる。
正直な話、ぼくはいままでAKB48をイロモノ視していた。
とりあえずごっそり大量に採用して、そこからモノになりそうな子を選んでトップへ引き上げていくプロ野球のようなシステムは、芸能事務所全体であればともかく、一つのグループの中でメジャーとマイナーの格差を付けるのはどうなんだろうと思っていた。……とか言って、すぐ前でモーニング娘に向けて「適性のある子を絞ってテレビに出せ」みたいなことを書いているから矛盾するようだけれども、それは要するに適材適所ということであって、道重は歌の方では活躍の場を与えにくい代わりにバラエティに生きる場を見つけてやった事務所の方針は正しい。AKBのように、ずっとマイナーでくすぶったままやめていく子も多く出してしまう育成方法は、まあプロの世界なのだからそれくらい冷酷であってもいいのかもしれないが、いつまでも芽の出ないメンバーのファンになった人は完全に置いてきぼりで、さぞやるせないだろう。どちらが正しいとかではなく、好みだけで言うと、芸能界向きでないような子も採用してじっくり育てようとするハロプロの方式の方が好きだ。人間、何か一点は必ず輝くものがあり、それを生かせる場が人生の中できっとあると信じたいではないですか。
そういう感じで、いままでAKBにはまるで興味がなかったのだけれど、『桜の栞』にはつくづく感心したと言うしかない。
アイドルに卒業ソングを歌わせるのも、桜テーマの歌もいまの時期の恒例で、まるで陳腐だ。それを合わせ技に組み上げるのも新しさはない。しかし、合唱曲にしてしまうというアイデアはきわめて秀逸だ。これはコロンブスの卵だね。もちろん、紛れもなく女声合唱団でもあるAKBだからできたことなのだが。つんく流のハネた歌い方に慣れた耳には、『桜の栞』の素直な声の出し方がすごく新鮮。何遍聞いても飽きない。これはおそらく、学校で歌い継がれていく曲になるのではないか。
音楽関係者でも何でもないけど「やられた」と思ったし、企画者としての秋元康の感覚も、これまであまり好きではなかったのだが(ドリームキャストの自己満足的なCMキャンペンもつまらなかったし、美空ひばりに歌わせた『川の流れのように』もどこがいいのかちっともわからない)、『桜の栞』の発想には打ちのめされた。さすがなんだかんだ言っても第一線で活躍している人だな。
これが才能というものなのだろう。企画者としては好きじゃないと前述したけど、企画を生み出すノウハウみたいな話をしているのをたまに見る機会があって、そういうところは「なるほど」と勉強になる部分が多いと思っている、お手本的な人なのでもあった。もっとも、ぼくに企画をまるごとぽんと任せる会社などないから、学んでも生かせる場はないんだけどね。

Bye The Knack


ナックのボーカリスト、ダグ・ファイガーが亡くなったとのこと。
モーニング娘。のサードアルバムに収録されている『愛車ローンで』の元ネタとしても知られる『マイ・シャローナ』の大ヒットは1979年。あたしゃ大学生でしたよ。この曲を耳にしない日はない、という言い方が比喩ではないくらい、どこへ行っても有線放送で流れていた。
当時はレンタルレコード店が普及する前だから、レコードを買わずに音楽タイトルをコレクションしたければ、FM放送をエアチェックするか、友だちに借りるしかない時代だったけれど、その“不自由さ”が逆に熱意を呼ぶのか、気に入った曲は「よし、絶対録音してやる」と、テープデッキをポーズ状態にしてオーディオセットの前で待ち構えていたり、レコードを持っている友人に甘えかかって借りたりしていた。
で、録音したテープはものすごく大事に聞いてました。この場合の“大事に”というのは、何度も繰り返し飽きずに聞く、という曲の作者が喜んでくれるような聞き方という意味ね。その意識が著しく薄れたのは、レンタルレコードでいつでも気軽に望みの音源が入手できるようになってからだなあ。やっぱ、人の手がつくったものには、相応の対価を払わないと、聞き上手になれないということかもしれない。
『マイ・シャローナ』の話に戻ると、この曲は本当に毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうほど刷り込まれた。だからレコードも買わなかったし、エアチェックで録音することもなかった。そしていつかナックは究極の一発屋というレッテルを貼られてしまった。
しかし、中年世代の刷り込み現象ということなのか、ラジオでたびたび耳にしてきましたし、テレビ番組でもタイトル音楽に使われたり(エド・はるみがネタに使用したのは「勘弁してくれ」と思いましたが)、かなり根強い人気があります。案外、若い人にも受け入れられているのかな。30年前の古い曲だけど、シンプルな構成だから古さは感じないものね。

寂しい話

日本航空会社更生法の適用を申請し、企業再生支援機構の支援下に入ることになった。半官半民の親方日の丸体質と、ずーっと昔から言われていたからね。民主党政権になって政府との蜜月が終わると、経営の甘さが急速に深刻な問題と化し、あっという間にコケてしまった。
業績が下降し、旗艦店のブランドを廃止した「すかいらーくグループ」といい、ガッタスのスポンサー企業はどうもバイオリズムが落ち込んどりますな。ガッタスヲタに高い信頼を得ていた田中基取締役、お元気でしょうか。
胸からスポンサーロゴが消えただけで、やたらうら寂しく弱小感漂うデザインになったガッタスのユニホーム。
リンク>FUTSAL DIGEST
初期のように、せめてチームのロゴを入れればいいのにね。

知りませんでした


(1)ガッタスが大会に出場し、全敗したことを、知りませんでした。
(2)日産ROOXのCMソングを辻ちゃんが歌っていたことを、知りませんでした。
(3)保田が地方競馬の仕事をしていたことを、知りませんでした。


大不況に巻き込まれ、実生活がわやくちゃになっておりましてねえ。
対策に追われている間に、いろんなトピックが発生していたのですな。いやもうオイラ、まったくハロプロさんの話題についていけません。「キショい中高年ハロヲタ」という看板はもはや偽りありまくり。正体としては単なる「キショい中高年」です。
実家に泣きつく形で、どうにか絶体絶命のピンチは避けられた年末年始、やや落ち着いたところでそういえばと未読エントリーが大量に溜まったRSSリーダーを開いて見て、上記の出来事を初めて知ったわけです。ちょっとショック。でも、タレントのブログを暢気に読みふけっている場合ではなかったのも事実なんで。
しかし“応急処置”を施しただけで、崖っぷちに立たされているのは変わりがない。本当の意味で危機を脱するには抜本的改革が必要です。老醜をさらすようですが、今後しばらくジタバタと足掻かなければなりません。
それにしても、去年は人生で最悪の一年でした。いまとなっては、むしろそうであってほしいと切に願うばかり。去年はまだマシ、もっと最悪の一年が待っていた、みたいな展開は勘弁です。
でもどうなることやらだなあ。政府は景気浮揚策をなんにもやってないも同然だからなあ。だから言わんこっちゃないってんだよ。それでも民主党待望論を吹いていた某大手企業のヌルいサラリーマンは「この不景気は通過儀礼。日本はいったん壊れた方がいいんだよ」などとボケたことをぬかす。暇でも決まった給料を貰える奴の言うことはご立派なもんだ。いっぺん嵐の中に出てみろ。考え方、180度変わるから。

新旧対決

12月21日、日テレ『しゃべくり007』。
「新旧メンバー対決」などという企画が成り立つのはモーニング娘。だけでしょう。
メンバーチェンジをしないジャニーズのユニットではありえないし、アイドルに限らず、日本の音楽グループは基本的にメンバーチェンジには積極的でなく、メンバーを変えるのは売れる前か落ち目のときだ。
比較的メンバーを入れ替えることが多い欧米の音楽ユニットも、新旧対決はやりにくい。たとえばシカゴなんてもはや生きる歴史のような長寿バンドですら、ジェームズ・パンコウやロバート・ラムほか創設メンバーが多数残っていたりして、新も旧もなかったりする。
現役のメンバーで活動中なのに、オリジナルメンバーを“再結成”したアルバムを出し、どっちもダメにしてしまったバーズというグループもありましたが。
今後、可能性があるとしたらAKB48ですが、しかしどうですかねえ。はっきり言って、メンバー一人ひとりの個性が弱いでしょう。対決しようがないような気がする。
娘の場合にこの企画が成立するのは、旧メンバーが偉大で、モーヲタでなくても顔と名前を知っているほど「個」が際立っているからだと思う。認知度の低い現役メンバーの中からも、道重という光る存在が出てきたことで、「ビッグな旧」と「それほどでもない現」という構図だけでなく、別の切り口で対決させられる可能性が生まれた。娘はまだ当分ご飯を食べていけます。
保田を「団地妻のバザー」と評した上田のセンスは秀逸。ハジけているつもりでハジけきれていない、保田のたどたどしさをひと言で衝いている。しかし有田や原田泰造の保田イジリは石橋貴明のやり方と同じ路線。彼ら、『うたばん』見てたんじゃないかなあ。