ミイラ採りをミイラに

ここ最近,ゲーム脳論争がまた再燃しつつあるようです.私もいろいろと思うところもありますが,今日はなるほどと思ったコメントを一つ紹介します.

一時期、ゲーム業界の中には無理に反論しようとする空気もありましたが、もともとゲームの脳は、原理的に反論不可能な宗教です。真実や論理を超えた信念が最初にあるのですから、いかなる証拠も論理も歯が立ちません。


では、どうすればよいか? だいぶ時間はかかりましたが、この問題に対するゲーム業界からの最終的な返答は、現在任天堂DS向けにバカ売れの「脳を鍛えるゲーム」となりました。非常にスマートなかわし方だと思います。正面から相手にせず(すれば向こうの思うつぼ)、少し別の角度から押し流せばよいのです。


Metlog: ゲーム脳はミュージカルバトン (コメント欄より抜粋)

ゲーム脳論争は,結局のところ価値観の異なる二者の衝突なので,今多く行われているような議論で決着をつけることはまず不可能であると言えます.

ゲーム脳理論」が正しいかどうかは、じつのところ重要なことじゃない。私は厚生省の基準をパスした遺伝子組換作物は「安全」だと認識しているけれども、そう思わない人がたくさんいる以上は、遺伝子組換作物は人々に嫌われ続ける他ない。テレビゲームはどうです? やっぱり少なからぬ人々が遺伝子組換作物と同じくらい、嫌っている、不信感を持っている。ひとつのいい加減な仮説が潰されたって、「けっ,俺は騙されないゾ」という思いを再確認するだけかもしれない。


備忘録: ゲーム脳問題:本当の敵はどこにいるのか

上記ではゲーム脳支持者の心理を説明していますが,同様のことがゲーム脳反対者にも言えます(ゲーム脳反対者は,このゲーム脳論はトンデモだが,ゲームが人に悪影響を及ぼす可能性は残っているという主張はスルーしがち).仮に,説得力のある有力な``ゲーム脳論''が現れたとしても,「けっ、俺は騙されないゾ」という思いを再確認するだけかもしれません.

上述したように,ゲーム脳問題は議論で収束を図ることはまず不可能であると言えます.そのため,この問題を収束させる為には別のアプローチが必要となってきます.ここで,ゲーム脳反対者(≒ゲーム擁護者)にとっては,ゲーム脳支持者(≒ゲーム反対者)にゲームも悪いことばかりではないと思わせることが,この問題の収束を図るアプローチの一つであると言えます.したがって,そのアプローチを実現するための方法の一つとしてミイラ採りをミイラにしてしまうのは,それなりに賢いのではないかなと思います(それで良いのかというのは,また別の話ですが).