若宮啓文氏のインタビュー記事+被災地で通訳していた友人
29日付けの「世界新聞報」に掲載されています。
編集者たちの力を借りて、見出しは最終的に
「右翼は日本の未来を左右できない」になり、
若宮氏の中国の読者に向かって、一番発信したい
メッセージを良く伝え出した標題だと思います。
さっそく、国内の各主要サイトは、
「世界新聞報」のウェブサイトに先立って
転載しています。
もしかして、サイトの編集者が新聞を読みながら、
文字を入力していたのかと思うぐらいです。
それだけ、国内の人々が関心を寄せている話題のようです。
記事の内容は以下からです。
http://news.sina.com.cn/w/2008-05-29/101115642596.shtml
敏感な歴史問題を専門に研究している「中日網」でも転載されてあり、
嬉しいです。
http://www.sjhistory.net/site/newxh/xwgc-mb_a2008053022885.htm
とりあえず、読者たちからは穏やかなコメントが寄せられました。
http://comment4.news.sina.com.cn/comment/skin/default.html?channel=gj&newsid=1-1-15642596&style=0
もっともっと中国人が関心を寄せている日本の話題について
関連報道を出すべきことを痛感しています。
■被災地の四川から戻ってきた友人
友達の中に、通訳で日本緊急援助隊の随行で四川に入った人がいることを
今日、初めて知りました。
バイオリンがたいへん上手で、か細そうな体をしている彼女。
15日から19日の日程で、地震直後の四川に行ってきたショックが
かなり大きかったようで、戻った後も
「最初の一週間ほどは、眠れない日々だった。
目をつぶると、目の前が被災地の悲惨な様子が思い浮かぶ。
いま、自分がこんなに快適な生活をして良いだろうかとパニック状態だった」と言います。
被災者はテントがなくて、ちょっとしたビニールに
木の棒で建てた仮のテントを作って避難していた
ことが忘れられないようでした。
「雨も降っていたし」、「もともと狭い道路だった。
その半分ほどは、被災者たちの仮のテントが
ずらりと並んでいた。
至近距離に車が往来し、それで休めることはとうてい無理なのだ」と言います。
もろもろの事情で、最終的に生存者を救出できなかったことが、
彼女も何よりも残念に思っていました。
「政府レベルで、救援に対して何か政治的な考えがあったにせよ、
個人レベルで言いますと、隊員の一人一人はみな、
命の危険を顧みずに、現場に来ている皆さんばかりだった。
純粋に、人を助ける気持ちで活動に参加していたのだ」。
最近、ネットで少し話題になっている「世の中に、ただの昼食があるのか」
という議論に対して、きっぱり彼女はそう答えました。
当事者でなくても、あの大きな災害を見聞きした人間には
心の傷が残っているようです。
友人だけでなく、援助隊の皆さんにもどうか早く心の傷から
立ち直ってほしいです。
そして、日本からの援助に改めまして、謝謝!