『<英文法>を考える』 池上嘉彦 

先生という職業で大切だけど、難しいこと。それは嘘を教えてはいけないということ。
しかし、それがなかなか難しい。

道徳的なことも正しいことのみを教えることができればいいとは思う。

でもそうはいかない。「真実はひとつ!」とはいかない。

でも教師はそれが正しいのかどうかを常に自分に問いながら仕事をしていくべきだとは思う。

英文法という分野において、この考え方は大事だ。
まことしやかに語られる教室での英文法談議が誤った情報であるということは、十分にあり得る。
究極的に正しいかどうかを判断できるであろう(言うか言わないかとか、理解できるかできないか)、ネイティブスピーカーではない我々が外国語のルールを教えるというのは、考えてみればなかなかに困難なことをしているわけだ。

この本を読んで、さらに教師は常に勉強しておかなくてはならないという意識を強く持った。
「形式が違えば意味も違う」
この原則を教師は常に意識すべきだ。

I believe John honest.
I believe John to be honest.
I believe that John is honest.

この3つの文は単に書き換えられるという、教えでは不十分である。この本には詳しく違いが書いてある。ここでは、書き手がどれくらいJohnがhonestであることをリアルに感じているかということだ。上から順にリアルさが減じていく。

I struck Bill on the head.
I struck Bill's head.

この2文の違いも興味深い。
違いは行為を受けたものの影響の強さ。人だけが目的語になっている上の文の方が影響が強いとみる。

The forecast says that it's going to rain.
The forecast says it's going to rain.

この2つの文に違いはないよ。接続詞のthatは省略可だよ! なんてよく言うではないか。この文と文だって違いがある。上の文の聞き手は、ここまでの話の流れ上、この話題が出ることを知っている、というニュアンス。2番目の文は聞き手は天気予報の話が聞こえてくるなんて予想はしていないということである。thatという指示代名詞にも使われるこの語は、やはり「あの」というニュアンスが入るということだろうか。

新しいことを知るということは喜びであることに間違いはないが、自分の無知を知るという観点ではつらい作業でもある。