明日であれから1年

ようやく1年が経とうとしている。未だに復興ビジョンは定まらず、瓦礫処理が進まらないためスタートラインを出たかどうかも怪しい。原発はなんとか平衡を保っている状況が想定され、電力問題も綱渡りだ。
1年経つことで振り返る方々も多いと思うが、とりあえず本稿では1年前当日の自分を振り返っておきたい。

  • 帰宅難民

首都圏にいるため直接の被害を免れたが、当日は仕事の関係もあり陽があるうちに職場を出られなかった。災害情報も断片的にしか収集できず、夜を迎えてしまった。仕事も終わり午後9時頃帰宅しようとするが、予想をはずれ仕事をしていた時間内に電車は一向に動かず、少ない望みを持って駅まで行ってみても動く気配はなかった。帰宅難民になってしまうとは・・・ とりあえず家までは相当時間をかければ歩けない距離ではなかったが、街中の異様なムード(駅に溢れる人、道路の延々としたノロノロのテールランプ)をみて、何があってもおかしくないと考えた。とりあえず朝になるまで体力を温存していることを優先し、ネットカフェとかでも行こうか・・・と考えたが駅前のことを思うと入れるはずはないと思い、解放されている近場の体育館に足を向けた。

  • 情報収集

職場に籠城していればよかったと思いつつ、なんとか場所を確保。ワンセグ付きの携帯電話と通勤用のラジオを持っていたので腰を据えて情報収集を始めた。とりあえず帰宅難民状態解消のため鉄道運行情報あたりに支点を置きつつ地震原発状況を集めていたのだけれど、かなりメディアによって違いがあった。
ネット パケットのことを考えてニュースのヘッドラインを眺める程度にしか使えなかったけれど、進行していることが並列に見れたのが利点。ただし、ニュースソースがマスコミ情報からだったので、不足気味なのは否めなかった。交通情報も更新が追いついていない印象だった・(家に居てパソコンが使えていたらまた違った感想だったかも。)
ラジオ どういう体制になるのだろうと思っていたら、その時間帯のパーソナリティーや局アナが繋いでいく番組構成をしていた。定期的に交通情報、リスナーからの(真偽は不明だが)情報を流していたので好印象。帰宅難民にとっては頼りになるメディアだった。
テレビ 地震震源、当初の状況確認にとっては動画情報がありがたかったのだが、現地の状況映像が入ってくる頃には一番使えないメディアとなっていた。家にいて眺めているにはいいかもしれないが、延々と現地の暗い状況映像を流していてこっちに必要な情報が報道されていないと感じた。(L字部分でやっているからそっちはいいとの認識かもしれない。)
続く