TRPGの楽しみ方には、幾つかの要素があると考えている。


1)GMの用意したシナリオ上での役割を楽しむ
例えば、戦士として戦いを求め、魔術師として謎の探求を主導する、盗賊としてスラムの情報収集に励むなど、各クラスの役割を担当して異世界冒険者になりきって遊ぶこと。
2)自分のPCのキャラクター性を演じて楽しむ
それぞれのキャラクターに付与した個性――端的には酒好き、女好き、決め台詞を呟くなどなど、を表現して別の人格を演じて楽しむということ。
3)ルールを駆使してゲーム性を楽しむ
その最たるものとしては、おそらくシステム上で最もルールの整備されている戦闘がそれに当たるだろう。ルールを活用して、効率的な勝利を目指すということ。


どれもTRPGならではの魅力であり、プレイを楽しむ上で欠けてはならない重要なファクターであろう。しかし、その楽しみを追求しすぎてバランスを踏み外すと、往々にして困ったことになる。


1)GMの用意したシナリオ上での役割を放棄する、あるいは逸脱した行動をする
例えば、戦士が戦闘を放棄する、魔術師が物事をまるで考えない、僧侶が犯罪行為を主導する、盗賊が王宮に演説しに行くなどなど。
2)自分のPCのキャラクター性を演じることに没頭する
自分で設定したキャラクターの個性を演じることを優先して、パーティとしての集団活動を阻害する。
3)ルールを駆使してゲーム的に行動しすぎる
ルール上の有利不利に囚われすぎて、数値的な判断を優先する。ルール上の不備を追求してゲームの進行を止めてしまう。


大なり小なり、自称“熟練者”はこの傾向が強いのではなかろうか?
かく言う自分も思い当たる節が、多々ある。
TRPGは複数の人数で集まって行なうマルチプレイゲームである。当然ながら、プレイヤー(GM、プレイヤーを含める広義)全員の協調プレイによって、初めてゲームとして成立する。
個々のプレイヤーが、自分の楽しみを追求しすぎると、そのプレイは綻びを生み、やがてゲームを崩壊させるだろう。プレイヤーは、各々が節度をもって、自分を律しなくてはならない。
狎れたプレイヤーは惰性に流され、そのことを見失いがちになりやすい。振り返って、もう一度初心に帰るのも悪くはないのではなかろうか。自戒も兼ねて、そう考える。