TRPGとはセッションに参加するメンバーそれぞれのイメージ=幻想を基盤にして遊ぶ。いわば共有イメージ=共同幻想を基盤とする遊戯だと思う。
GMが用意したシナリオに基づいた幻想の舞台上で、各プレイヤーがPCという幻想の登場人物を操る。つまり、それぞれが持ち寄った幻想を統合、融和して遊ぶ。
便宜上、裁定の道具としてのルールやガイドラインとしてのシステムは存在するが、どちらかといえばそれは副次的な要素のような気がするのである。
そのため、共同幻想に参加するメンバーのそれぞれ主張する幻想のバランスが崩れると、ややこしいこととなる。
幻想の主張が弱い分にはどうにでもなる。他者の幻想を受け容れて、自分の幻想をそれに合わせれば良いのだから。
しかし、幻想の主張が強いと、どうなるだろうか。
自分の幻想が単独で確立してしまえば、他者の幻想を押しのけ、それを侵食することになるだろう。
いわく、それは自分の幻想に合わない。その幻想は自分と違う。その幻想は気に入らない。などなど。
突き抜けてしまえば、他者の否定、拒絶となって、セッションからの離脱となる。
なるほど自分の抱いた幻想は、自分の理想だから大事にしたいのは良く分かる。だが、それは他者も同じ、ということを忘れてはならないだろう。
後生大事に自分の幻想だけを縷々綴りたいのなら、独りでそれを表現すれば良い。媒体は絵画や小説、映像などなど幾らでも有る。
TRPGにそれを求めるのはどうかと思うのだ。
他者の幻想を尊重して統合、融和できない者は、自己の幻想の受け容れを求めるべきではない。


TRPGを遊ぶに当たって、必要な心がけが幾つか有ると考えている。
1)自己の幻想を他者に理解されるよう言葉を尽くすこと
2)他者の幻想を理解するよう言葉を聴くこと
3)自他の幻想の相違を受け容れ、落とし所を模索すること
少なくても私は、それらが行えない者とは、ともに卓を囲みたくない。