国民主権って何だ

国民主権の立場からの天皇批判に触れるたびに、「この人は天皇のことがよくわかっていないのではないか」と思うとともに、「国民主権についてもよくわかっていないのではないか」「いいかげんに気づけよ」と憤りを持つことがあります。
いくら国民主権といっても、国民には持てない主権があります。統治権という主権です。統治権は国家が国民に対して持つものです。国民は直接民主制であっても統治権は持てません。統治される対象が国民であることは不変だからです。
では国民主権というのは何に対する主権なのでしょうか。 国民を代表する人を選ぶ権利=主権である。もし、そのように理解していたとしたら間違いです。ここに偽装があるのです。国民主権というのは「誰に国民を統治してもらうかを国民自らが決めることができる」という主権なのです。
「そんな国民主権、ありがたくないよ」というあなた。国民主権にはもう1つ重要な意味があります。それは憲法が自分たちのものだということです。憲法は統治者の横暴に制限を課すためにつくられているのです。国民主権なのに天皇を選べないのは天皇が統治者ではないからです。統治者は国民が自由に選べるというのが国民主権、一方、天皇世襲制です。だから憲法上は、天皇は国民でもなく、統治者でもない、国民ではないというのは統治されることからも自由であられるからという例外規定の存在なのです。例外規定を許したのは「国家権力の横暴に最後の最後にブレーキをかけられるお方がいてほしい」という国民の願いです。世襲制は伝統です。伝統の世界と基本的人権自由権)は両立します。なぜなら、職業選択の自由にしても、結婚の自由にしても、国家権力が制限したり抑圧したりすることを許さない、というのが憲法に書かれた自由権だからです。天皇家のことが天皇家の伝統にしたがって決められることが憲法違反でないのは当然です。
戦後60年たち、日本国憲法は運用上においても立憲君主制という概念からは遠ざかってしまいました。立憲(=国民主権)のもとでの天皇制という素晴らしいシステムが、これ以上空虚なものにならないことを願うばかりです。私の恵まれた時間も今週で終わります。今月は残り雑記帳のつもりで投稿しようと思います。ここで結論をだして終わりにしてしまうのではなく、この先、天皇なき議会制民主主義や首相公選制や大統領制で大切なものが失われてしまうことがないように、慎重にも慎重を期して皇位継承問題をとらえていきたいと思っています。


議論を深めていくためのサイトが立ち上がったようです。↓
皇統断絶問題TBセンター 私もTBしておいた手前、私のブログを見にこられた方が意見のズレに惑われないように私なりに考えていることをまとめておくことにしました。突っ込みを入れたい方は、トップページ→2005-12-01 - 月1テーマ追跡ブログ 愚論・異論にようこそから見てください。


 まとめ

  • 男系で皇位継承してきた伝統を続けていただきたい。伝統を守ることの大事さ(日本の良さ、文化)についてはもっと言及していく必要がある。
  • 男系で皇位継承していくためにも『皇室典範』を改正しなければならない。改正は旧皇族の復帰を盛り込むよりも『有識者会議』の案のほうが現実的で妥当である。なぜなら、今上天皇の直系孫にあたる女性皇族が、結婚されたあとも皇族に残ることは、お生まれになる御子様に次代の天皇になっていただくためにどうしても必要である。有識者会議の案はこうした条件を満たしている。
  • 結婚相手がだれになるかは皇族の方たち、天皇家がお決めになることであるから、国民が口出しすることではない。これまでの皇室と国民の契りを一番大切にしているお方が決められることを信頼せずに守れるものなどありえない。
  • 万が一、男系が続かなくとも、根本は天皇家の「親から子への」文化と権威の継承が大事なのであり、象徴天皇制を否定しようとする勢力が伸張することを許してはいけない。私の今月のブログが、この目的の1つにでも役立てばいいという思いで書かせていただきました。