『ひとひら』に見る対話のカタチ
特別な時間がありました。
かつていた場所が違う。そこにいる理由が違う。夢見る未来が違う。全てが違うのに、みんなが同じものを見ているのだと錯覚している時間。少なくとも僕は、学生生活をそんな時間であると考えています。
さて、『ひとひら』という学生演劇を描いたアニメがあります。学園に響くのは互いに交差し、衝突し、擦れあうけれど、決して重ならない無数の声たち。「文化祭の公演」という共通の目標こそ存在しますが、そこに賭ける想いはバラバラ。それはある種のリアリティだと思います。
それなのに、この作品の背後にある統一されたテーマは決して拡散することはありません。むしろ、そういった異質性こそが作品のテーマをより強調する方向へと作用していることに僕たちは気づかされることでしょう。今日はその辺の話をしてみたいと思います。
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今回注目したいのは非モノローグ性―言い換えるなら、作品のテーマを異なる声の衝突によって伝えようとする姿勢です。例えば第3話に、公演途中の舞台袖で野乃が主人公に演劇への想いを語りかけるシーンがあるのですが、ここでは3重の声によってテーマが語られることになります。野乃の声、主人公の声、そして舞台から聞こえてくる役者の声。ここに見られる異質な言語の混在は、ある意味では作品を象徴する出来事であったと言えるでしょう。
同じような事例は第7話においても見出すことが出来ます。会話の途中に声が出なくなった野乃はスケッチブックとペンを使って会話を続けようとするのですが、ここではごく短い文字だけ(それだけに率直だとわかる)という野乃の「声」と建前的な会話を続けようとする相手の「声」との対比が大きな効果を挙げているのです。
模範的な会話から逸脱したようにも見えるこのような異質な言語の混在は、登場人物に、そして視聴者に翻訳作業を促すこととなるでしょう。それによって視聴者の感情移入が促され、同時に作品のテーマを「発見」する契機にもなるのではないか。僕はそんな風に考えています。
さてさて、今夜の放送で早くも文化祭公演の幕が上がります。間違いなく原作のハイライトと呼べる部分であるだけに、今からドキドキワクワクです。はい。