『おねがい☆ツインズ』に関する雑感

物語の主人公は3人の少年少女たち。3人はそれぞれ身寄りがなく、出生の秘密をさぐる手がかりとして、双子と生家らしき家の写った同じ写真を持っていました。ある日流れていたテレビのニュースをきっかけに、3人はそれぞれの思いを胸に秘め、その家へと集まります。双子が写った同じ写真は3枚。ふたりは肉親、ひとりは他人。
「肉親なら家族になれる。他人なら恋が出来る……」

おねがい☆ツインズ 1st.shot [DVD]

おねがい☆ツインズ 1st.shot [DVD]

最近初めて見たのですが、第1話のアバンから魅了されっぱなしでした。ヒロイン周辺の印象は前作の方が強いものの、「ツインズ」にはまた別の面白さがあります。責任感が強いからこそ他人と深く関わらない主人公、というキャラクタ造形は良い意味で「萌えアニメ」らしくないですね。
状況設定の秀逸さもさることながら、その心理的な機微を映像と絡めて詩的に描き出している点が素晴らしい。例えば第1話のアバン、ここでは3人の主人公(神城麻郁・宮藤深衣奈小野寺樺恋)が交互にナレーションをする中で、それぞれの思いの一致・不一致を映像と合わせて印象的に描き出しています。3人が共通して見ているものから、麻郁の台詞では明るい昼間を被せ、深衣奈は夕暮れを、樺恋は星空を、という風に。OP映像でも繰り返し登場するモチーフですが、3人合わせて一日を構成する、3人でひとつという意味も含まれているのでしょう。
状況説明ショットを各シーンの冒頭に持ってくる、非常にわかりやすい構成を基調にしながら、ところどころにジャンプカットを組み込んだり(例えば、深衣奈が強引に空き部屋へ鞄を持ち込んで住みつこうとするシーン。手ぶらの深衣奈がふっと消えた次の瞬間には、鞄を持って歩いている)、風景描写や食事のシーンでぱっぱっとカットを切り替えたり、とリズムの良さも魅力的です。
あと、田園風景や学校の廊下を描いた、台詞のないカットでは背景の明度が思いっきり上げられているところがちらほらと目に付くのですが、そういった括弧付きの「リアリティ」がファンを聖地巡礼に旅立たせているのだろうか、と思ったり。
ストーリィについては、3人のうち誰が他人か、ということは割と簡単に予想できたりします。恋愛は先手必勝だ!というのが90年代以降の少女漫画的精神ですよね。それを地で行きながら、ドロドロしたものにはならない。恋愛と並んで「女の子の友情」を強調している。その辺をご都合主義と思わせないために「家族」「家族」と連呼する必要があったのでしょうね。