「全国記者連合会」(『大阪朝日新聞』1914年3月24日)
3月22日に築地精養軒で開催された全国連合在京記者大会についての記事。この大会では山本権兵衛内閣の辞職を求める決議文が採択されている。興味深いのは決議文の以下の一節である。

後継内閣の組織は憲政の大義に則り現内閣と責任を共にせざる政派を基礎とするを当然とす

ここでいう「憲政の大義」は、ある内閣が倒れた際に後継内閣をどのようにして決めるかについての慣例、すなわち「憲政の常道」を指すと考える。一般に「憲政の常道」は「与党内閣が倒れれば野党が次に組閣する」というものとして理解されている。とすると、引用部にある「責任を共にせざる政派」とは野党(この場合は立憲同志会)を指すのだろうか?
事実、3月24日に山本内閣が総辞職したあとを継いだ大隈重信内閣では、立憲同志会が与党となっている。ただ、「政党」ではなく「政派」とされているのが気になる。桂園時代のように「衆議院の与党」と「貴族院の最大派閥」が交互に与党の地位を占めていた例もある。確定的なことは言えないが、当時「憲政の大義憲政の常道」として、衆議院の与党から野党への政権交代ではなく、桂園時代と同様、衆議院から貴族院への政権交代がイメージされていた可能性を指摘しておく。
なお、3月28日に開催された全国記者連合大会の決議文は以下。

一、組織さるべき新内閣は憲政の本義に則り薩閥及政友会と全然関係なきものたるべし
一、新内閣は国論の帰趨に鑑み政党を基礎とすべし
(『東京日日新聞』1914年3月29日)

「憲政の本義」と「政党を基礎とすべし」が直接対応するかは、微妙。