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25-02-08 (Mon)

[]イラン人青年強制送還について、周辺資料およびメモ

追記(03/03/08)

最新情報がデルタGに出ています。

本日(3日)の尋問で送還についての決定が出るそうで、現在はロッテルダムの拘置所にてハンストを継続しているそうです。また、この声明によれば


the British authorities who, according to a bureaucratic procedure that is difficult to modify, would immediately expel him to Iran(太字はtummygirl)


ということで、英国に引き渡された場合にはイランへの送還が比較的早急に行われるような印象はあります。

誰もフォローしなかったら翻訳アップしなくちゃいけないかなと思っていたのですが、助かりました。ありがとうございます。


イラン人青年強制送還について、周辺資料およびメモ

メフディさんの件についてリサーチをしている時に気になった参考資料を幾つか、並べておきます。


Inside Iran's Secret Gay World


まず、イランのゲイライツ運動について、カナダCBCドキュメンタリー(2007年2月放映)。IRQO(Iranian Queer Organization)の創始者などが出てきます。タイトルは Inside Iran's Secret Gay Worldですが、トランスについても触れられています(同性愛とは違ってトランスセクシュアル政府で承認されているために、あえてトランスの道を選ぶ同性愛者もいること。しかしその場合も、非常なトラウマと多大な経済的負担が負うことになってしまうので、トランスの方が恵まれているとは言えず、むしろクローゼットとして存在できる分同性愛者の方が「まだまし」だと考える人もいること、など)

英語字幕がところどころ非常に読み取りにくいのですが、大体のところは分かります。


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先のエントリで書いたことと重なりますけれども、ゲイ男性同士の交流について、当局側が「おそらく」かなりの情報を把握しており、必要に応じておとり捜査のようなことをして逮捕が行われる、という話が出ています。けれども、大規模な一斉検挙は行われないのです。これは、「適当に見逃している」からではなく、大規模な一斉検挙によって「ゲイライツについての議論が表面化することを避けるため」だという説明がされています。

つまり、システム化された徹底的かつ全面的な抑圧ではなく、ある意味恣意的な検挙と処罰とを行うことで、抑圧を人権問題として表面化させる事を回避しつつ、しかも抑圧対象となりうる人々には十分すぎる恐怖と具体的な脅威を与えることができる。そう考えると、イランからの同性愛者の難民申請において「同性愛者であることのみを理由にした組織化された深刻な生命への危険」の有無を問うことの問題が、より明確に見えてきます。「組織化された」抑圧を行わないというまさにそのことが、抑圧の体制を維持し強化する働きをしているわけなのですから。


A Jihad for Love


同時に、これはペガーさんの時にも言及されていたことだとは思いますけれども、このような事例が「イラン信じらんない」「イスラム国家って正直怖い」というような、野次馬的な感慨に結びついて終わることのないように、それにも注意をしておきたいとは思います。今更そんな単純な反応する人はいないだろうと思っていると、意外にいたりすることもある今日このごろなので、一応。

とりわけ北米(とりわけUSA、ですか。笑)が絡んできた場合に、北米(あるいはEU諸国も含んでもいいかもしれませんが)の非ムスリムLGBT、在住ムスリムのLGBT、そしていわゆる「イスラム圏」在住のムスリムのLGBTとの間の関係は、言うまでもありませんけれども、brothers/sistersなりfriendsなりという表現で言い表せるほど単純なものではありません。

たとえば、9/11の後の合衆国において、いわゆる「欧米的な」ゲイライツ運動を行うムスリムLGBT団体がイスラム的偏狭さに対する近代的な抵抗勢力として表象され(自らもそのように自分を位置づけ)、そしてその過程においてそういう近代的抵抗が可能になる国家としての「合衆国」の(イスラム国家に対する)優越性が確認される傾向があった、という分析があります。*1

2007年のトロントや今年のベルリンの映画祭で上映された A Jihad for Loveという映画(TLGFFに来るでしょうか)は、そのような9/11以後の合衆国の政治的な空気の中で、ムスリムでありかつLGBTであることを模索しようとしたドキュメンタリーだそうです。監督のインタビューを含む記事がこちら。この記事の論調それ自体には何だか危ういところも色々あるのですけれども、それとは別に、監督の次のコメントに見られるある種の感情的必然性というものを、失念してはいけないと思っています。


"It would have been easy to make a film that was just critical of my religion. But I worked very hard together with my subjects to make sure that the beauty of the faith they hold so dear is documented with absolute honesty and integrity."

私の宗教(イスラム)をただ批判するだけの映画をとるのであれば、簡単だったと思います。けれども私は映画に出てくれた人達と協力して、彼らが大切にしている信仰の美しさを限りなく誠実かつ完全に記録するようにつとめたのです。


こちらもついでに。監督インタビューもふくめた映画の紹介です。


D


こういう事を今書く必要があるのか、切実な危険に直面しているメフディさんの件こそが重要なのであって、その事に直接関係しない情報なんて無意味だ、と思う方もいらっしゃるかもしれないのですけれども、それこそ「被害者というシンボルを取り合う」ことが行われがちなのは、このようなケースでも同じことなので。



向かってはいけない方向


ある意味それを象徴するというか、メフディさんについての情報が本当に少なかった時にたまたまgoogleで引っかかってきた記事を最後に紹介しておきます。なんと言うか、反面教師と言ってはいけないのかもしれませんけれど、でもやっぱり反面教師として。というより、色々リサーチしていて、この記事だけ本当にどうしようもなく腹がたったので、というのが正しいのかもしれない。

まずその前に、同じIRQO(Iranian Queer Organization)からこちらのアピール。

マレーシアで難民申請をしているイラン人同性愛者青年からのアピール

この青年はイランを抜け出してマレーシアまで到達、そこでUNHCRに対する難民申請の手続きをしているところ。ただ、手続きに時間がかかっており、その間合法的な仕事につけないために生活が困窮を極めており、もう限界に近づいている、と。


I had plans. I wanted to write books. I wanted to share my experiences. I wanted to help gay men to better understand who they are.

私には計画があった。本を書きたかった。自分の経験を分かち合いたかった。他のゲイ男性が自分自身のことを理解する手助けをしたいと思っていた。


I wanted to speak with people to help them to understand that I deserve to live too. But this is my life now and as I am writing this letter my life is over. But what I can't understand is what I have done so wrong that I deserve to have my body burnt by cigarettes. I can’t understand what I did wrong that I must be beaten with a gun. But this is life.

人々と話をして、私には生きる価値があるのだということを分からせたかった。けれども、今やこれが私の人生であり、この手紙を書いている今、私の人生は終わっているのだ。私にはわからない。いったい私が何をしたから、身体にたばこを押し付けられるような目にあわなくてはならないというのか。私にはわからない。私がどんな間違いを犯したから、銃で殴られなくてならないというのか。でもこれが人生なのだ。


I cannot make my plans with an empty stomach. I cannot continue this life. I need your help now. Please help to show me a more just life. I am still young. I want to be alive but I don't know how. Please contact me and show me the way.

何も食べていないのに計画などたてることもできない。こんな人生を続けていくことはできない。今、あなた方の助けが必要なのです。もっと公正な人生を私に示して下さい。私はまだ若い。生きていきたいのに、どうすれば生きていけるのかわかりません。私に連絡を下さい。どうすればいいのかを教えてください。


HELP ME NOW, TOMORROW IS TOO LATE. I beg you.

助けて下さい、今すぐに。明日では遅すぎます。お願いです。


I AM TIRED.

もう疲れてしまった。


で、肝心の「反面教師」が、イスラエルのタブロイド紙(らしい)の運営するYnetnewsのこのページ

見てもらえばわかるのだけれども、基本的にはアピールの手紙を引用している。それはいいのだけれども、イランでどういう目にあったのか、どれほどつらいのかという、まあタブロイド紙らしい「恐怖物語」に限られていて、実際のアピール部分は見事に削除。


Ironically, Sepehr is looking for his salvation from the very God in whose name he was being persecuted: "Now I am praying. I am crying. I am begging my God to help me.

彼は神に救いを求めている。しかし皮肉なことに、彼はまさにその神の名のもとに迫害されてきたのである。「私は祈っている。私は泣いている。私は神に助けを乞うている。」


これは人にあてたアピール文であって、明らかに彼は、IRQO(と他の国際的なLGBT団体/人権団体)に助けを求めているのだけれども、それは無視。興味のあるのは恐怖物語と、おそらく(断定はできないながら)政治的な気分づくりです。*2




現時点での関連情報リンク


UK Gay News: Gay Iranian Teen Asylum Seeker Goes on Hunger Strike As He Faces Return to UK:もともとの情報が出てきたところ。今までの記事へのリンクあり

19歳イラン人ゲイ、2月26日オランダから英国へ送還、イランへ強制送還の恐れ - に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident:これまでの経過など

署名サイト

tnfuk:イラン人男性の英国による強制送還の可能性をめぐるオンライン署名の日本語化

在オランダのイラン人少年を救出します! - デルタG:EveryOneの声明についての詳細な記事

Mehdi Kazemi: Iranian Gay Refugee Risks Deportation From the United Kingdom, Urgent Appeal to Europe:Gays Without Borders EveryOneの声明がまだEveryOneのサイトでは見えない(ような気がする)のですが、こちらにはアップされている。署名サイトへのリンクもはった模様。

*1:Anjali Arondekar, 'Boder/Line Sex: Queer Postcolonialities, or How Race Matters Outside the United States', _interventions_ Vol7(2), 2005, 236-50.

*2:以前に出席した学会で、イスラエルをめぐる中東の緊張関係を背景に、「イスラエルではLGBTの権利が比較的認められており、<従って>イスラエルこそが欧米と肩を並べる近代国家であって、<従って>中東における国家としての存在の優先権を持つのだ」というロジックがしばしば動員されている、という批判を聞いたことがあります。「LGBTの権利」が、他の点における権利の蹂躙を正当化する目的で持ち出されるわけです。

22-02-08 (Fri)

[]その発言がどのような行為となって誰を脅かすのか:イラン人青年強制送還をめぐって


[追記]

ペガーさんの時に中心となって動いていた、イタリアの団体EveryOneがこの件で動き出すようで、プレスリリースなどが出ているそうです。デルタGに最新情報が載っています。是非ご参照ください。


[追記2]

tnfukのnofrillsさんが、オンラインの署名サイトの文面を日本語にして下さいました。本当にどうもありがとうございます。請願の文面を見ないと署名をしたいかどうかの判断はできない、という方は、こちらから御確認ください。


[追記3]

RyOTAさんのところで示してくださっていた先に、とりあえずメールを送りました。下に例として挙げておきます。

メールフォーム:http://www.minbuza.nl/en/contact,reactieformulier___visum_en_legalisatie.html

(住所や電話番号の記入は任意。*のついた欄、名前・メールアドレス・メッセージは記入する)


nofrillsさんも仰っているダブリン協定との兼ね合いがわたくしもわかっていないのですけれども、ある意味で「どう処理するか」は専門家に任せるとして(いい加減すぎ)、「この方向で処理して欲しい」ということだけでも伝えた方がいいかと思って、その方向です。

ジョグジャカルタのあたりはRyOTAさんの文面を拝借しつつ、EU基本権憲章などについても触れてみました(過去にイラン人送還にあたってHRWがそこを指摘しているので)。

しかしこの場合、英国に送還された後でもう一度英国のHome Officeに訴えかけるという方向しかない、ということなのかとも思います。


Division of Aliens, Visas the Movement of Persons, Migration and Alien Affairs Department

Ministry of Foreign Affairs of the Netherlands

Dear Sir or Madam,

I am writing to petition the Netherlands government to reconsider Mehdi Kazemi's case and not send him back to the UK, whose Home Office has denied him the permission to stay there and is likely to deport him to Iran.

Mehdi Kazemi is an Iranian national who was sent to UK for study in 2005. He was planning to return home after his study, but learned from his father in Tehran in 2006 that his same sex partner in Tehran had been executed for his sexual orientation. Before the execution, the partner gave Mehdi's information to the Iranian authorities.

Under the circumstances, deportation to the UK and then on to Iran would imply a serious threat to Mehdi's life.

I believe that the European Convention on Human Rights prohibits the Netherlands from deporting persons to countries where they face the risk of the death penalty, torture or other inhuman or degrading treatment or punishment (Article 19). The Convention against Torture and Other Cruel, Inhuman or Degrading Treatment or Punishment, to which the Netherlands is a party to, also states that no states shall "expel, return ("refouler") or extradite a person to another State where there are substantial grounds for believing that he would be in danger of being subjected to torture" (Article 3).

Even though the Netherlands government is not sending Mehdi back to Iran but to the UK, your government will still contribute to the same result, for the UK government has already decided to return him to Iran.

I would also like to remind you of the Yogyakarta Principles on the Application of International Human Rights Law in relation to Sexual Orientation and Gender Identity, which ensures the right to seek asylum (Principle 23). On November 7th, 2007, when the conference of the launch of Yogyakarta Principles was held in UN headquarters, the President of the EU Parliament sent a letter of support to this conference.

I sincerely hope that the Netherlands government fulfills the moral and legal obligations and lives up to its international reputation as one of the leading countries in the protection of human rights and diversities.

Sincerely,



[lgbtq] その発言がどのような行為となって誰を脅かすのか:イラン人青年強制送還をめぐって

二つ下のエントリについて、id:RyOTAさんがフォローアップをして下さいました。ありがとうございます。詳しい状況、オランダ外務省宛のメール例文など、現時点で考えうる限りの情報を載せて下さっていますので、みなさまそちらをご覧になった上で、必要だと思われる方は必要だと思われるアクションをとって下さい。

RyOTAさんも書いていらっしゃるように、この件については情報が圧倒的に不足している状態なので、詳しいことが良くわかりません。たとえば、以前にあったペガーさんの強制送還反対の時にはかなり広くあちらこちらに情報が出ていたのとくらべて、今回の情報源はほとんどUK Gay NEWSくらいで、他に広まっていないように思います。

ちなみに、今更とは思いますが、ペガーさん強制送還反対をめぐる日本語でのとても丁寧かつわかりやすい解説が、nofrillsさんのtnfukから、こちらこちらの記事。英国/イランという点では類似点も多いので、未読の方は是非。

ただし、今回動きが小さいように見えるのは、たまたま身近に動いてくれる人/団体がいなかったということかもしれませんし、現在オランダで勾留されているわけなので、オランダ語での情報を探せればもっと色々と見つかるのかもしれません。ペガーさんの件も、大きいニュースサイトで取り上げて一気に動きが高まったということもあるようです。もう少し情報を探し続けたいと思います。

さて、ここからは直接アクションと関係のあることではありません。ちょっとだけ背景説明と、そして感想文です。

上でも書いたnofrillさんのエントリ、「難民申請却下でイランに送還されそうなペガーさんの件、説明(1)」で、「ペガーさんの難民申請が認められなかった理由は何か」というセクション、さらに、「難民申請却下でイランに送還されそうなペガーさんの件、説明(2)」に注目していただきたいのですが、ペガーさんの件のあった時点でのイギリスHome Officeの方向性としては、


「イランで同性愛だからといって即迫害されるというのは事実として認められないから、『私は同性愛者なのでイランでは身の安全が保障されません』と難民申請してくるケースでは、慎重に対処されたい」(tnfukより)


ということであったようです。

で、この時の請願署名の本文では


Other European countries (including Germany and Holland) have a moratorium on deporting gay people back to Iran.

(ドイツやオランダを含む)他のヨーッロッパ諸国では、ゲイの人々のイランへの送還の執行を猶予しています。


とあります。実際にオランダというのは、イメージ的にはセクマイ天国!みたいな雰囲気がないでもない(ただの思い込み)ですけれども、セクシュアリティを理由にしたイランからの亡命申請については、なかなかそう簡単でもないようです。イランでアフマディネジャドが大統領になったのが2005年。その後確かにオランダでは半年にわたり、同性愛者である難民の強制送還を中止していたのですが、2006年3月に移民大臣のリタ・フェルドンクが、それを撤回する方針を表明します。

このあたりの事情はPlanetOutのここHuman Rigts Watchのこの記事(わたくしだけかもしれませんが、とてもアクセスしにくいです)に書かれていますが、主な理由としてフェルドンクがあげたとされているのが、こちら。


“It appears that there are no cases of an execution on the basis of the sole fact that someone is homosexual. ... For homosexual men and women it is not totally impossible to function in society, although they should be wary of coming out of the closet too openly.”

同性愛者だという理由のみに基づいて処刑が行われたケースはないように思われる…あまりにも公然とカムアウトすることには注意が必要であるとはいえ、同性愛者が社会生活を送ることは完全に不可能ではない。


「あまりにも公然とカムアウトすることに注意が必要である」というのは、日本でもアメリカでもイギリスでも同じことで(同性愛者をターゲットにした暴力行為や日常生活における差別などはいくらでも見られるわけですから)、もちろんそれ自体が問題ではあるのですけれども、まず緊急の件として、しかしさすがにそれはレベルが違うだろう、と。

ということで、批判が集中し、2006年10月にさらに半年の猶予期間延長が決定されます。従ってこの時の猶予期限はすでに切れているのですが、その後どうなったかという肝心の点についてはちょっと見た限りではわかりませんでした。

実はこれと期を同じくして、スウェーデンでもイランへの同性愛者の強制送還が再開されているのですが、この時に法廷が根拠としたのがスウェーデンの外務省によって出されたというレポート(これ原文を探せませんでした。というか、ちょっとネットでのリサーチ能力が低すぎです、わたくし)だということなのですが、この件でネット上で見つかる記事によると、


the report also said that most gay people in Iran managed to avoid danger by living "discrete and withdrawn" lives.

(報告書は、イランの同性愛者のほとんどは「控えめに(多分discreetのスペルミスだと思うので)引きこもった」生活をすることで危険を避けることが可能だ、と述べていた)


wikipediaをざっと見てもわかるし、たとえば2005年の少年二人の処刑をめぐる議論などに明らかなように、「同性愛者であることのみを理由にした組織化された深刻な生命への危険」がイランにおいて存在しているのかどうかについては、いまだに議論が分かれるところではあるようです。(2005年の公開処刑:二人の少年が公開処刑され、彼らの罪状が同意の上での同性間性交だったというレポートがあったために、人権団体の中にはこれを同性愛者への迫害とみなして批判するものがあった。しかし、Human Rights Watchをはじめとする他の人権団体は、この処刑が同性愛を理由としたものとみなす十分な証拠がないとしている。その場合、これは死刑であり、しかも公開処刑であるという点において人権侵害であるが、同性愛者への迫害事例とはならない、ということになる。)

もちろん、ネット上に山ほど見つかる迫害の証言は言うまでもなく、イランの政府要人がまさにこの同じ処刑事件に関して「同性愛者は処刑されても仕方がない」と言っていたりすることだけを考えても、「同性愛者であることを理由にした深刻な生命への危険」があるかないかと言われたら、やっぱり「ある」と言わざるを得ないのではないかと思うわけですけれども、ここで問題になるのは、「同性愛者であること<のみ>を理由にした生命の危険」があるかないか、という点です。

この発言をレポートしたTimesonlineの記事によると


When the Britons raised the hangings of Asqari and Marhouni, the leader of the Iranian delegation, Mr Yahyavi, a member of his parliament’s energy committee, was unflinching. He “explained that according to Islam gays and lesbianism were not permitted”, the record states. “He said that if homosexual activity is in private there is no problem, but those in overt activity should be executed [he initially said tortured but changed it to executed]. He argued that homosexuality is against human nature and that humans are here to reproduce. Homosexuals do not reproduce.”(太字はtummygirlによる)


つまり、「内密に(in private)行われる同性愛行為は問題ない。しかしあからさまな同性愛行為は処刑に値する」というわけです。(あれ?どこかの国の軍隊と微妙に微妙に似ていますね)

再び、nofrillsさんのこちらに詳しいのですけれども、EUの基本権憲章によれば


Article 19  Protection in the event of removal, expulsion or extradition

1. Collective expulsions are prohibited.

2. No one may be removed, expelled or extradited to a State where there is a serious risk that he or she would be subjected to the death penalty, torture or other inhuman or degrading treatment or punishment.


第19条 退去、追放、本国送還を案件とする保護

1. 集団的追放は禁止する。

2. 何人といえども、死刑、拷問、あるいはその他の非人間的で、人間の品位を傷つける処遇ないしは刑罰に委ねられるであろう深刻な危険がある国へ退去、追放、もしくは送還されるようなことがあってはならない。

(EU基本権憲章、福田 静夫氏 訳http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/FE5.HTMより)


ということになっています。Human Rights Watchでは、このような強制送還は「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」(英国もオランダもスウェーデンも批准しています)に反することになる、とも指摘しています。


Article 3 (英文はこちら

1. No State Party shall expel, return ("refouler") or extradite a person to another State where there are substantial grounds for believing that he would be in danger of being subjected to torture.

2. For the purpose of determining whether there are such grounds, the competent authorities shall take into account all relevant considerations including, where applicable, the existence in the State concerned of a consistent pattern of gross, flagrant or mass violations of human rights.


第三条

1. 締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない。

2. 権限のある当局は、1の根拠の有無を決定するに当たり、すべての関連する事情(該当する場合には、関係する国における一貫した形態の重大な、明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する。


HRWの指摘する通り、この状況でイランへの強制送還は明らかにこのあたりに違反しているように思えるのですけれども、にもかかわらずそれが行われ続けているというのは、繰り返すようですが、「内密ならOKだよん。あからさまだと拷問されても処刑されても仕方ないけどね!」というロジックが使われているからではないかと思います(勿論、強制送還の理由というのは、直接にはそれこそあからさまに、難民にうようよ入ってこられても困るからね、というボーダーコントロールの問題なわけですけれども、それを多少シュガーコートする理屈がそこに見いだされているのだろう、ということです)。

イランの政府要人が「あからさまな同性愛行為は処刑に値する」と言っている。それは勿論ショッキングだ。でも、というわけです。「あからさまでなければ、生きていけるんじゃない?」

同性愛「だからといって即」迫害されるわけではない、と論じた英国Home Officeの論調。「あまりにも公然とカムアウトする危険に注意を払えば、社会生活は完全には不可能ではない」と論じたオランダの閣僚の発言。「控えめに引きこもって」いれば危険は避けられると論じた(と言われている)スウェーデンの外務省報告書。

それらの論調と「あからさまな同性愛行為は処刑に値する」という発言とを同じだと考えるとすれば、それは余りにも乱暴です。こっそりひっそりしていれば危険は避けられるよ、と論じることと、こっそりひっそりしてなければ処刑されても当然だ、ということとの間には、もちろん違いがあり、その違いに命がかけられている以上、それはとてつもなく重大な違いです。にもかかわらず、このようにして並べて見た時に、その二つの論調がその根底においてどこかでつながっていることもまた、明らかです。

前者の「発言」(ひっそりしてればどうにか生きていける)が後者の「行為」(拷問/処刑)を最終的には是認し、後者の「発言」(ひっそりしていなければ処刑=ひっそりしていれば処刑しない)が前者の「行為」(強制送還)を正当化する。そこにあるのは、互いの発言によって互いの行為を見逃しあい後押しし合う構造です。そして何よりも腹立たしくそして悲劇的なのは、その見逃し合いと後押し合いとが、特定の個人の生命や安全、あるいは基本的な安心に対する切実な脅威として集約され、具体化されているのだということです。

ある意味あれです、「同性愛者とか別にいてもかまわないよ。でもいちいちそれを主張されても違うと思う」という発言が、どれだけ危険なことになりうるかっていうお話ですわよ。あるいは、あれです、「こうすれば危険ではないよ」という発言と「こうしなければ危険な目にあっても仕方ないね」という発言とが、場合によってはどれだけ近づきうるかっていうお話ですわよ。

というわけで、イランのお話ではなく、オランダや英国のお話でもなく、わたくしにとっては微妙に日本のお話でございます。

21-02-08 (Thu)

[][]下品であること

id:font-daさんの、決断主義と非政治的人間の間にとどまる

id:mojimojiさんのこちらのエントリへの応答として書かれたものです。

「下品」というタームはたぶんわたくしが書いたものをfont-daさんが多少の批判をこめて引用なさっていたものだと思うので、mojimojiさんのエントリを拝読しながら、何か書くべきかどうか悩んでいたのですけれども、font-daさんが書いてくださっていることに、付け足せることはないようにも思っています。というより、わたくしがぼんやりと「困って」いた問題の所在を、はるかに明瞭に示した下さったような。

「下品」については後でまだ何か書けるようなら書きますけれども、「独善的でしかない正義をそれでも口にしようとする意志、その下品さ」(mojimojiさん)というのと、わたくしが「下品」と表現したものとは、少しだけ違うような気もします。そこであえて「下品」と言う表現をするのが問題ではないかというご批判はあるとは思いますけれども。

19-02-08 (Tue)

[]処刑か餓死か

ちょっと時間が全然ないので、リンクだけ載せておきます。

どなたかこれに関する詳細あるいはアクションなどをご存知でしたら、フォローアップいただけると嬉しいです。帰宅してからわたくしも探してみます。

19歳のゲイのイラン人青年が、英国への強制送還の可能性に抗議して滞在先のオランダでハンガー・ストライキを開始。

UK Gay Newsより

彼の恋人は既に処刑をされていて、その恋人から彼自身の名前も当局にわかっているため、イランへの送還は命にかかわると危惧されているとのこと。イギリスのHome Officeはすでに一度彼をイランへ送還するとの決定を下しているため、イギリスへの送還はイランへの送還へと直結する。

このニュース全然フォローしていませんでした。

同性愛者のイランへの強制送還って日本でも他人事ではありませんね。

17-02-08 (Sun)

[]レイプと欲望の否定


ちょっと時間がないので完全なメモだけですけれども。


沖縄での米兵によるレイプ事件について、ネット上でも(それ以外でも)色々と議論が起きているようです。わたくし、この問題には何となく口を挟みにくい気がしていた。Macskaさんがここのコメント欄で述べていらっしゃることと、理由はまったく同じ。


少女に対する性犯罪をきっかけに日本本土におけるメディアの扱いや世論が沸騰するあたりは、少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っているだけのような気がするので距離を置きたいと思っています。そうなるまで沖縄の人たちがどれだけ負担を押しつけられているのか気にしようともしなかったのに、こういう事件があったときだけ大騒ぎするのはおかしいし、普段は性暴力について何も考えていない人が、加害者米軍兵士だった場合だけ大騒ぎするのもおかしい。


沖縄の負担について考えないわけではないけれども、積極的に何かをしてきたわけではない。性暴力について考えないわけではないけれども、目につくあらゆる性暴力について発言するなりして行動をしてきたわけではない。そのようなわたくしが、この事件に限って食いついて何かを言うのは、我ながらあまりに下品だと思えて、ひるんでしまう。


反面で、そうこうするうちに、最初からそういうためらいをはるかにすっ飛ばした、「被害者も悪いよ論」がネット上のみならず新聞(といっても産経だけど)でも出てきているようだ。さらに言えば、


この中で、高村外務大臣は、「事件は、きわめて遺憾なことで、日本側で法と証拠に基づいて、きっちり対応する」と述べました。そのうえで「外務省の北米局長からアメリカ側に対して、綱紀粛正と、二度とこうしたことが起きないよう申し入れた。国民感情からみて、日米同盟に決してよいことではないので、影響をできるだけ小さく抑えるようにしたい」と述べました。(2月11日のNHKニュースによる。キャッシュしか見えませんでしたが、こちら


というように、被害女性人権よりも日米同盟優先という立場を公然としてためらわない発言が政治家からも聞かれて、しかもその発言が失言として大きな問題になった様子すらなく(その意味では、その点を指摘したアジア女性資料センター等による抗議文は、大切な事を言っていると思います)、そのような発言に対しては、やはり批判をしなくてはいけない、とも思うわけで。(政府の対応として、一女性の被害より日米同盟優先なのは、わかりきっている。それが「現実的な対応」というものだという人がいることも、わかっている。けれどもそれは正しいことではないし、だから政治家がそれを平然と口にすることを許してはいけない、とわたくしは考える。そもそも外交における交渉術としてそれがもっとも巧妙であり妥当であるのかどうかも、怪しいものだと思うし。)


そして、たとえば「抵抗して怪我をしたわけでもないようだけど、本当にレイプ?」「自分でついていったんじゃないの?」というような非常に下劣な主張に対する当然の反論の中に、「でかいオトコに脅されたら抵抗なんかできるものか」「いつもレイプの脅威にさらされている沖縄の女性のように自分もレイプの脅威にさらされてみろ」といような見解がちらほらと見受けられるのも、微妙に気になっている。


ということで、事件そのものについてではなく、事件をめぐっての発言について、なぜいまさらこんなことを言わなくてはいけないのかと思いつつも、馬鹿正直にあらためて一言だけ書いておきます。同じことを書いている方ももちろんたくさんいらっしゃるわけですが、なんというか、発言数を増やす、みたいな<無意味


1.体が大きくて力も強いような駐留米軍兵士に脅された結果であろうと、自分とたいして体格も違わないような近所の幼馴染の恋人とみずから進んで一緒にホテルに入った結果であろうと、本人が望まない様態や程度の性行為を強要されれば、それはレイプだ。「抵抗できなかったかもしれない」「だまされてついていったかもしれない」というのは事実かもしれないが、それよりむしろ、抵抗したかしなかったは問題ではない、自発的についていったのかいかなかったのかも問題ではない、と言いたい。


2.沖縄の女性が駐留米軍によってレイプの脅威にさらされているということも、事実かもしれない。ただ同時に、とりわけ「沖縄在住の女性」ではない人間がそのような「脅威」について語るときに、意識的ではないにせよ、「駐留米軍兵士」と「沖縄の女性」の間に、襲う/襲われるの関係だけを前提としていないだろうか、それが少し気になる。Macksaさんのおっしゃる「少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っている」というのは、まさしくそういう状況をも含むものだろうと思う。


「沖縄の女性」の中には、米軍兵士を積極的に性愛や欲望の対象として考え、その欲望を追求しようとする人もいるだろう。そして、その人たちの欲望の形態が沖縄の米軍駐留を正当化するわけではない反面、米軍駐留の不当さをもってその人たちの欲望の形態を否定することもできない。もちろん、そのような欲望の形態とその追求がその人たちへの米軍兵士によるレイプを少しでも正当化することには、ならない。

レイプの犯罪性は*1、女性の側の欲望の存在(あるいはその可能性)をあらかじめ否認した上ではじめて成立するものでは、ない。逆に言えば、女性の側の欲望の存在を否認した上でなければ成立しないようなレイプ批判は、ある意味で批判対象と同じロジックに足を踏み入れているのだ。


当たり前のことですけれども、何度でも確認しておきたいと思います。

[][]「戸締まり」の比喩のあやまち


もう一つだけ、今更で当たり前のことを。

この件で、はてな匿名日記のこの流れや、それについたブックマークなどの周辺書き込みを見ていて、まだこの比喩がちらほらと用いられることに正直うんざりしたので。


たとえば、ここのこの記述は、ある程度までは正しい。


戸締りをしてなくて窃盗にあうという例がよく防犯の例として挙げられるけど、そういう意味では、性犯罪を犯そうとしている相手にとっては、女性は女性であるというだけでみんな戸締りをしていない家なのだ。


でも、この表現が可能になるためには、「性犯罪をおかそうとしている相手にとっては」という条件が絶対に欠かせない。さらにその条件の上にたってもなおかつその記述の正しさは、「押し入り強盗をしようとしている相手にとっては、窓に鉄格子をはめていない家は/警備員が常住していない家は、すべて、戸締まりをしていない家なのだ」という程度のものでしかない(この匿名日記の著者はそれを分かって書いていらっしゃると思うけれども)。


「戸締まりをしていない家」の比喩を支えるのは、女性身体、より正確には膣を、基本的に侵入に対して開かれた物とみなす発想だ。けれども言うまでもなく、膣は、たとえば口がそうでないように、鼻孔がそうでないように、肛門がそうでないように、それ自体として異物の勝手気ままな侵入に対して開かれているわけではない。


加害者が100%悪いのは当然として、女性の側も強盗にあわないように戸締まりをしておこうよ、という表現をする人は、例えば道を歩いていていきなり異物を口に押し込まれたら、「こんな街中で唇を固くひき結んでおかなかった自分も不注意だった」と思うのだろうか。むかしあった子供の遊びのように、いきなり後ろから「浣腸!」と異物を肛門に押し込まれそうになったら、「自分の肛門が戸締まりされていないからって、勝手に押し入るのはひどい」と言うのだろうか。


個々の女性が自衛策を取るか否か(あるいはどの程度までの自衛策をとるか)とは全く無関係に、女性身体は、少なくとも男性身体がそうであるのと同程度において、既に戸締まりをされている。どのような状況下で行われたものであろうと、強姦とは、戸締まりされていない家に招待されずに上がり込むことではなく、鍵を壊し窓を破って家に侵入することに他ならない。

*1:ここでは女性に対するレイプについて話をしているけれども、男性に対するレイプであってもそれと同じことは言える

14-02-08 (Thu)

[][]ヌード広告の「不快」

Guardianより、ロンドンの地下鉄でヌード広告が掲載禁止になったという記事。

あら〜どこかで聞いたような、という感じではあるのだけれども、ここで問題になっているのは、Royal Academy of Artsのクラナッハ展ポスターで、ヌードというのは、このヴィーナス。つまり、ヌードとは言っても、500年近く前の絵のお話。

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Lucas Cranach the Elder, Venus, 1532. Oil and tempera on red beechwood, 37.7 x 24.5 x 0.5 cm. Städel Museum, Frankfurt am Main, Inv. Nr. 1125. Photo ©: Jochen Beyer, Village-Neuf

で、このヴィーナス像をクラナッハ展のポスターに使用する予定でもう印刷目前というところで、ロンドンの地下鉄での広告としてはふさわしくない、とダメだしを食ったのだとか。掲載の是非を判断しているところのガイドラインによると、


advertising should not "depict men, women or children in a sexual manner, or display nude or semi-nude figures in an overtly sexual context"


とのことで、要するにこの絵はあからさまに性的な文脈におけるヌードである、という判断がなされたということなのだろう。この団体のスポークスマンによると、このような広告の掲載が認められないのは、乗客に「不快感を与えない(not to cause offence)」ようにするためだということで、そのあたりも、まあなんてついこの間聞いたばかりのお話かしら、なのだけれども。

正直これはかなり間抜けな判断だという気持ちが拭えないのだけれども、にもかかわらず同時に、非常に多様で多数の人が利用する場所での広告掲載において「不快感を与えない」ことを目的としなくてはならないとすれば、そしてかつ、その時の判断の恣意性を極力減らそうとすれば、こういう判断を下してしまうことになるという事態も、なんとなくわからないではない。

そもそも何が不快感を与え、何が不快感を与えないのか、あるいはどのような場で不快感を与えることがそもそも意図され(場合によっては奨励され)るのか、ということについての合意を得るのは、とても難しい。

この件についてのこちらの記事で例が出されているのだが、たとえば、エゴン・シーレこのヌードや、メイプルソープこの写真(これは実際に日本では税関で没収になって裁判になった記憶がありますが、違うかも<調べろよって感じですが)になれば、それを「不快だ」と考える人の数は増えるだろうけれども、クラナッハのヴィーナスは地下鉄の広告として不快とみなすべきではないがメイプルソープのポリエステル・スーツの男は不快とみなすべきだ、という合理的な理由を提示するのは、それほど簡単なことではないように思う*1

だからこそ、例えば写真では性器を露出してはならないとか(そうすると上のメイプルソープは没)、写真だろうが絵であろうが性器の露出はダメとか(そうするとシーレは没)、あるいはヘアはダメとか(そうするとヴィーナスも没)、乱暴に決めることになるのだろう。で、もちろんそれはそれで問題はあるわけで、じゃあもう少し丁寧に考えるべきだということになると、例えば上のように「露骨に性的な文脈でのヌード表現はやめましょう」というように「文脈」を持ち込まざるを得ない。ところが文脈を持ち込むと、文脈の解釈という点で、またもや合意を得るのが難しくなってしまう。堂々巡りですよ。そもそも女性ヌードが「芸術」という名目のもとで消費されてきたということがある種の共通認識になっている以上、いくら500年前のものであっても、「不快ではない(=安心してじろじろ見てもよい)ヌード」を再生産すること自体の問題も無視してすませるわけにもいかないのだろうし。

というわけで、何となく、判断する側も大変なのだろうなという気はいたします。わたくしはロンドンの地下鉄の広告についてそれほど覚えているわけではないのですけれども、もしも本当に本当にいっさいの「あからさまに性的な文脈でのヌードやセミヌード」が許可されていないのであれば、それはそれで一つの判断なのだろうな、と。ある意味では、ロイヤル・アカデミーだから仕方ないかなとか、これは「アート」だから仕方ないかな、というよりも、もしかしたら良心的なのかもしれない。地下鉄から一歩出れば不快なヌードも性的な脅威も満ちあふれてるのに、この偽善者!とののしられることは、先刻承知の上なのだろうし。

何が言いたいのかというと、「露骨に性的」な女性セミヌードについては、どんなに抗議があってもそれをあっさりと黙殺して、広告掲載を続けているにもかかわらず、男性ヌードが登場したとたんに「これはセクハラ」と掲載を拒否したどこかの鉄道会社とくらべれば(誰に対するセクハラなんだか)、500年前の芸術作品にえいやっとダメ出しする方が、まだしも腰が座っていると思います。勝ち負けで言うとロンドンの勝ち、みたいな。

*1:これ、著作権的にアップして良いのかどうかわからないので、もと記事に使われていたリンクをそのまま張っておきます

05-02-08 (Tue)

[]ブログ外見いじりました。

ちょっとだけですけれども。

実は今の環境だと字が小さすぎてつらかったのと、区切りのバーがはみ出して見える(なぜかわからないです)のが気になったのとで。結果他の環境でどう見えているのかちょっと不安ではありますので、すごく見にくいよ!ということであれば是非御教えくださいませ。今度実家に行った時にWin+IEで確認しようとは思っておりますが。

しかし字が小さすぎて見えにくいって、どんだけ歳なのかしらわたくし(涙)

02-02-08 (Sat)

[]「性的マイノリティ教育イベント雑感

YOUTH TALK 性的マイノリティと教育

参加してきた。大変な人で会場は立錐の余地もないといえば大げさかもしれないけれども、一度椅子に腰をおろしたらもう動けないくらいの状態。

3人のゲストのうち、CGSという「場」をつくった経緯について語った田中氏の話には興味をひかれたし、障害児教育の経験から性教育身体的なことについて、自身や他者の尊重について、社会的な側面について)の重要性について述べた石坂氏の話も説得力があった。

ただ、福島氏の話はやはりあまりにもジェンダー差別(そもそも氏がこれを「女性差別」と繰り返すので気になって仕方ない)に特化していて、「性的マイノリティと教育」という問題を語っているようでいて、それをバックラッシュや「女性差別撤廃」、「慰安婦問題」や「国家国旗強制」にあまりに簡単に組み込んでしまっていたのが、残念だった。もちろんそれらは互いに全く無関係ではないだろうが(ヒント:戸籍)、それらの問題に取り組んでいるから「性的マイノリティと教育」という問題に取り組むことになるとは一概には言えないし、多くの場合に実際にそうは言えなかったはず。それらが政治的課題としてつながっていると考えるなら、福島氏個人としてでも良いので、「どういう理由でどのようにつながっていると考えるのか、そしてそれに対してどのような政治的な対処が考えられると思っているのか」ということを話して欲しかった。そもそも、バックラッシュに対抗するために「女性差別に取り組む」必要を主張した上野氏が、まさにその主張において「性的マイノリティ」にかかわる教育には二次的な必要性しかないと述べたことについて、福島氏はどう考えるのか。

まあ、おそらく忙しくてそんなことまでご存知ないのだろうし、それはそれで仕方ない部分もあるのだろう。それならその場でそれを福島氏に伝えれば良いのだろうが、ちょっとその手のガチな話はしにくい雰囲気。イベントの主役は「若者(ユース)」であるわけで、主役をさしおいて色々言うのもどうかなと微妙に気が引けて、沈黙

ユースも、明らかに状況をわかっていない政治家が前にいるわけなので、せめて「こういうことは政治的にはどう解決したいと思うのか」「こういう問題があるのだが」ということをもっと伝えればいいのに、とも思う。勿論そういう意見も出ていることは出ていたのだが、何となく気分として「こうやって集まれてちょっと感激です」みたいになってしまう部分があって、そちらに向かってしまうとディスカッションをするのは難しくなるのではと危ぶんでいたら、実際にそうなってしまった。

しかし、だからイベントとしてダメなのかというと、そういうものでもない。

勿論、たとえば司会が質問やコメントに対して微妙にずれてくる福島氏の発言などに対して、聞き直したり修正したりしながらディスカッションを進めていくという方向もあるのだろうが、あの場で望まれていること、やりたいことはおそらくそれとは違っていたのだろう。

わたくしなどからすると、せっかく政治家を呼び教育関係者を呼んでいるのだから、伝えること、尋ねること、議論することなどは色々あるだろうと思ったりするわけなのだが、そうではなくて、こうやって集まりがあって嬉しいな、という気持ちを分かち合ったり、こういうことが言えなくてつらかったよね、そうだよね、と確認しあったり、それを通じて知人をつくったり、このイベントの目的は、そちらにあったと思われる。「ユーストーク」の「トーク」というのは、おそらくディスカッションではなく感情のシェアリングということなのだ。

そのようなつながりと分かち合いの場ができるように設定された共通の話題として「性的マイノリティと教育」というテーマがあると考えれば、そしてそれはそれで十分に意味のあることであり、実際にあの場に来ていた若者の多くは、それこそを求めていたのだろう。イベントの後で話した知人が「あれは要するにコミュニティですよね」と言っていたのだが、まさにそういうことだ。

共感に基づくそのようなコミュニティが好きかどうか、あるいはそのようなコミュニティの限界や危険性はどうなのか、というような話はまた別にあるとしても、そのようなコミュニティが何らかの形でどこかで必要な人間というのは少なからずいるだろうし(わたくし自身も含め)、それを提供したという点においてこのイベントは十分にその目的を果たしたということになる。

遅れて入ってきて他のゲストのトークも聞かず、ディスカッションもほとんど聞かないうちに、「性的マイノリティと教育」というテーマにきちんと接続しようという努力もせずに、一般論として「私は若者の味方なのです」と言うのがテーマに違いないと思われるような「挨拶」を延々と続けた保坂氏に、わたくしはかなりげんなりしたのだが、それでも、氏が最後に言っていた「物理的に集まることの重要性」という点には、そういう意味で、賛成できた。*1


残りいくつかメモ。

1.専門学生研究者でないと立ち寄りにくい「研究所」にならないよう、一般学生が時間をすごせるラウンジのような「場所」を確保しなくてはならない、という田中氏の見解に、心から納得。しかし、大学では意外に難しい気がする。そうそう簡単に部屋をもらったりできないだろうし、ICUの規模で10年近い準備期間が必要だということは、大規模大学になるとますますややこしそう。そのあたりで何をどうするかという経験や戦術のシェアリングを考えるべきだろうか。

2.大学での教職課程において性的マイノリティについても教えるべきではないかというような話がいくつか。それはそうかもしれないのだが、それは「教職課程」に限定すべきことなのか、「性的マイノリティ」に限定すべきことなのか、というところも考える必要がある。

個人的には「教職課程」に限定することというのは、大きく見ると大学教育を職業教育として「使える教育を」という要請の流れとつながっているような気がするし、その流れの中では、下手をすれば経済学部ではそういう授業はいらない、理学部ではそういう授業は関係ない、ということになりかねない。むしろこの問題は、学生が将来の進路、就職とは無関係に思える「役に立たないかもしれない」様々な視点や思考方法に触れることを要請する、基礎教養教育の充実とからめて考えて欲しいと思う。

3.地方間格差の問題。東北からの参加者が、東京とは情報伝達の度合いが全く違う、と。インターネットへのアクセスがかなり広まったとはいえ、ネットにアクセスして情報をチェックする人の年齢や職業などによる分布はかなり偏っているだろうし、情報格差というのは確かにあるのだろう。

同時に、それがたとえば福島氏が示唆していたような、男女共同参画センターなどを使って勉強会をする、というような形で解決するべきものなのかどうか。ゲイリブ関係の運動だったかで、東京で有効な運動の方法を地方に持っていった時に全く機能しないどころか、逆効果になることがあるんですよ、という話を聞いた事がある(これは Halberstamがアメリカについて考察していることともつながると思う)。同じ意味で「参画センター」などで中央からの一律情報発信がどのくらい有効なのかなあ、と。

4.配布されたレジュメの「提言」の中に、性的マイノリティを保険家庭科の中でとりあげる、というのがあったのだけれども、確かに現状それがもっとも容易そうだというのはわかるものの、そこに最初から絞るのは賛成できない。それこそマイノリティに関する問題のある種のゲットー化ではないのか。同様に、カウンセラーや養護教員が性的マイノリティへの知識を持つように、というのも、それはそれで重要ではあるものの、そこに限定してしまうのは、学校にとっていわば免罪符にならないだろうか(大学だとなりそう)。さらにいえば、そのことが、そもそもそれほどの力を持っているとは思えないカウンセラーや養護教員に、教職員会議PTA、さらには教育委員会を含む「学校当局」への必要な説得の責任をすべてかぶせてしまうことにならないか。外部相談機関の充実というのが、現状でわりとすぐに可能そうで、しかも効果がありそうな気がするけれども、そうでもないのだろうか。

5.ちなみに、同じくレジュメで、「ストレート」が異性が好きで医学的に与えられた性別と自認が一致している人、という定義は、微妙。「バイセクシュアル」が男性も女性も好き、というのも個人的には賛成しないけれども、まあこれは当面仕方ないのかな。

*1:しかし政治家(政治家予備軍である石坂氏を含め)が3人揃って遅れてきたというところに、そういう世界なのかな、とちょっと驚愕。もちろんただの偶然で、本当に抜き差しならない緊急事態がそれぞれ起きてしまったということなのかもしれないが。引き受けたからには時間通りに出る、というのは、わたくしのような暇な人間の世界だけの話なのかも。追記:下のコメントで、これは、ゲストに対してイベント日時の変更連絡をするのが遅れたかららしいですよ、と教えていただきました。もともと空けていらした日時と変わってしまったので、調節が難しかった、ということでした。それは仕方がないですね〜。政治家ってなるべく多くの場所をまわる必要がありそうだから、1箇所のフル出場(って何だろう)はあまり重視はしないのかしら、と少し残念に思っていたのですが、そういうことではなかったのですね。良かったあ。

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