FemTumYum このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005 | 01 | 07 | 08 | 09 | 10 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 10 | 11 |
2007 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 06 | 08 | 09 |
2009 | 11 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 06 | 09 | 11 |
2011 | 01 | 10 |

16-01-10 (Sat)

[][]笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめて


そんなわけで、既に今年になって二本もエントリをアップしているので(そしてその時点で昨年の更新数を抜きました。ブログというより完全に跡地です)、今更ではございますが、みなさま新年おめでとうございます。

新しい年をぱっと華やかに滑り出し、本年もへたれ机上フェミとして明るく楽しく生き延びて行きたいものだという夢と希望をこめまして、新春のイチオシフェミイベントであると前評判しきりの爆笑トークを鑑賞してまいりました。


新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」


結論から書いてしまうと、本当にもう、フェミにとって笑いは大切よね、わたくしたち笑わなくてはいけないわよね、笑いってこういう時に否応なくこみあげてくるものよね、という、いわばフェミ的笑いの原点、シクスー的な「メデューサの笑い」の原点へといざなわれる、そういう経験でございました。


死から抜け出すには、はじけるような笑い声をたてるしかないのだと、私は思っています。[. . .] そして、私は笑いました。身をよじらせて笑っていました。私は完璧なまでに一人でした。私のまわりには何もありませんでした。[. . .] まず初めに起こることと言えば、死ぬこと、深淵へと跳躍すること、最初の笑い声を[死から抜け出すために]たてることだけなのです。

エレーヌ・シクスー、「エクリチュールへの到達」 (松本伊瑳子・国領苑子・藤倉恵子編訳、『メデューサの笑い』、紀伊國屋書店1993年、p.308)


上野・澁谷両氏のお話それ自体には微笑すら浮かばなかったのではございましたが、イベントの後に絶望とともに確かにこみあげてきたのは笑いであり、その意味では上記WANサイトの宣伝文句になんら嘘偽りはありませんでした。もっともその笑いは、サイトの説明にあるような「ゆかい」な「爆笑」ではなく、「死から抜け出す」ためのそれのような、「身をよじらせ」るような、拒絶に満ちた笑いではありましたけれども。

さすがWAN肝いりでウェブ中継までおこなった爆笑トークというだけの事はあり、笑いのこみあげる箇所は数えきれないほどでしたが、新春から細かい笑いを脈絡なく書き連ねるのも無粋ですから、どう頑張っても忘れることのできない笑いどころ2点のみ、記録と記憶のために、ここに記しておきたいと存じます。

ただ、わたくし、ジェンダーコロキアムという伝統あるアカデミック・フェミイベントに初参加の人間としてはあるまじき事に、上野氏の『男おひとりさま道』も澁谷氏の『平成オトコ塾』も拝読しておりません。おそらく、「基本、上野さんも澁谷も男子のことは好き」とおっしゃる両氏とは異なり、わたくしが「基本、男子のことは別に好きではない」のもその一因かとは思いますけれども、参加者としての怠慢は否定しがたく、従いまして、以下に書き連ねることは両氏の著作とは、おそらくは(むしろ願わくば)、直接は関係がございません。あくまでも、この度の爆笑イベントについて、怠惰な参加者が身をよじって笑いながらその合間に書き記したことと、ご理解下さい。


さて、その上で。


まず、クィア系フェミ研究者であるわたくしにとってまったくもって笑いがとまらなかったのは、販促目的の公開イベントとはいえ、一応「アカデミックなフェミニズム」とも無関係ではないはずの場、澁谷氏はともかくおそらくは上野氏のゼミ学生もいるであろう場、そしてWANという一応日本の女性運動をつなぐことを目指しているはずの団体が共催をしている場、そのような場を、あっけらかんと見事なほどに明るく楽しく、異性愛中心主義が支配していることでした。

イベントの場で出会った友人が指摘していたことですし、動画をご覧いただければすぐにお気づきとは思いますが、トーク開始早々10分ほどで、「オトコは自分ペニス一本しかしらないけれどもオンナは何本も知っている」という卓越した知見が開示されて、瞠目することになりました。わたくし浅はかにも、学生もいるであろう大学の場でそのような発言を堂々として恥じることがないのは、フェミニズムもクィアスタディーズも知らない、偏見に満ちた、お前なんてハラスメントで訴えられてクビになればいいんだ、というような教員だけかと思っておりましたが、どうやら(セミ・)アカデミックなフェミニズムのイベントでは、「オトコはオンナだけ、オンナはオトコだけとつがうべきである(そしてつがわなくてはならない)」という、修道院も僧院も裸足で逃げ出す厳しい性的規範が、あたたかな爆笑をもって受け入れられる、という事のようです。

この性的規範とゆかいな仲間たちの爆笑はイベントを通じて続き、たとえば「オンナはおばさんと娘さんに別れる。オトコに受けようと思っている人は娘さん、そこから早めに降りたらおばさん。フェミニズムはおばさんの言説」という、まあそもそもオンナってそんなに簡単に降りられないというのが90年代以降のジェンダー理論ではなかったのかしらという野暮な突っ込みはおいておくとしても、要するにオンナはオトコ受けを狙うところから始まって後はどこかの時点でそこから降りるか降りないかしかない、という、ヒトはオンナになるのだボーヴォワールに真っ向勝負どころか、フェミニストが腹を立てた相手であるはずのフロイトすら逆さむきになぎ倒す、ごりごりの生得ヘテロジェンダー主義(笑いながらでっちあげた造語です)が教授された瞬間などは、驚きに満ちた笑いが暖かく心の中に広がったものです。

けれども何よりも笑いで身体がうち震える思いをしたのは、質疑応答の中で「男女混合のシェアハウスでは性的関係があるのかどうか」を問題にする上野氏に、やおい研究者の方が「男性同士のシェアハウスでもそこに性的関係のうまれる可能性はある」と指摘したのに対して、その場にたのしげな爆笑がわきあがり、「さすがやおい研究者」という澁谷氏のコメントによってさらにその輪が広がった時です。わたくし、本当にへたれで今思い出しても奥歯が削れるくらいに歯ぎしりをしてしまうのですが、その場のあまりの楽しさとこみあげる笑いとに動揺して、身動きも取れませんでした。さすがの爆笑企画、破壊力は並大抵のものではございません。

いや、だって、あれです。今より10年以上もさかのぼる90年代、当事者性を打ち出した若いゲイ研究者たちが異議を申し立てたのは、まさにそのような爆笑のあり方ではなかったのでしょうか。そしてそのような爆笑の構造を当然のように受け入れていた上野氏ご本人に対して、今回のイベントが行われたのとまさに同じ東大で、批判がされたのではなかったでしょうか。

ですから、このイベントの場を支配していたものを異性愛中心主義と呼ぶのは、不当な過小評価かもしれません。失礼をいたしました。ホモフォビア、と言うべきでした。

どんだけのシシュポス、のれんに腕押し、ぬかに釘、地獄の業火にスポイト一滴。

それが過去15年にわたる上野ゼミの雰囲気であり、ジェンコロの日常であるのであれば、参加した若い院生の方がついつられて「自分の周囲を見ても男らしさから降りていても平気な人が多い。別にそういうやおい系ではないけれど」と断って三たび爆笑を誘わなくてはならない気持ちになったとしても、必ずしも彼一人を責めることはできないのかもしれません。わたくしのゼミなら即!超!批判!しますけれども。

「ほら、コッチの人がさ」ときわめて無理のある体勢で片手の甲を唇の反対側の端に押し付けて、みんなでどっと爆笑する、それは少なくとも公的にアカデミックな、しかもフェミニズムを標榜する場では、すでに絶え果てた奇習だとばかり思っておりましたのに、何このナショナル・ジオグラフィック。わたくしが昔風の文化人類学者だったら、今も東京のアカデミアにひそやかに受け継がれているらしいこの特異な風俗を見逃すことなく、ふるって参与観察にとりかかったに相違ありません。


笑わなくては。脳を煮えたぎらせ、身体をこわばらせ、息をつまらせる、その「死」から抜け出すために、笑わなくては。


そして、もう一点。こちらはクィア系というよりもむしろほとんど伝統的なフェミニズムにかかわる問題で、わたくしのようなへたれ机上人文アカデミアフェミが口をはさむのはシルバーフォックスのコートを羽織ってミストサウナに入るくらいの場違いぶりなのですけれども、けれどもそんなわたくしのさらに斜め上を行く場違いぶりを発揮していたのがこの新春爆笑企画それ自体であったことは、腹の底からこみあげる笑いどころとして、書いておくべきであろうと思います。

この爆笑イベントにおける澁谷氏の基本的な御主張は、「弱者男性」は経済的な困窮という問題にくわえて、「男であること」の要請、たとえば包茎であってはいけないとか、彼女がいなくてはいけないとか、そういう要請に苦しんでいるのだから、彼らにフェミニズムを伝えることで彼らの「自己解放」を手伝い、彼らを救いたいのだ、というものでした。それに対して上野氏の御主張は、男性はそもそも競争原理に貫かれないような存在にはなれず、従って自分たちだけでは互いに助け合っていくことはできないのだから、相互扶助システムを作り出してきた女性に助けてもらって生きる方法を学ぶべき、というものであったようです。

弱者男性がいかに結婚できないか、女性にモテなかったり包茎だったりすることが彼らの弱さにいかに追い打ちをかけるのか、それを延々と語り合うこの爆笑トーク、WAN/ジェンコロ公認でウェブ公開までおこなったこの〈フェミニズム〉の優先課題は、そのような弱い男性に寄り添い、救い出してあげるところにあるらしく、とりわけ澁谷氏にとってはそのような男性たちに「もういいんだよ、無理しなくていいのよ」という声を届けることこそが弱者に向き合うということであるようでした。上野氏はさすがにこれに対しては何度かおだやかに異論を唱えていらしたものの、基本的には、このイベントにおける〈爆笑〉は、ダメ男を支えるおだやかで慈愛に満ちた聖母の、すべてを許す微笑なのです。そのきわめて斬新なフェミニズム解釈の衝撃を受けて、誰が笑いを押さえていられるでしょう。

わたくしは、フェミニズムの笑いというのは、てっきり、「聖母ってさ、あんだけ曖昧に微笑み続けるってありえないわよね〜安いボトックス打ちすぎよ絶対!っていうか同じボトックスうつならむしろ叶姉妹になるべきよ!」という露骨にして不謹慎な心とともにあるのかと思っていたのですけれども。

そしてまた、「弱者男性」の経済的困窮について考えるのであれば、経済的に困窮しても包茎でも彼女ができなくてもいいんだよ、と現状を心穏やかに受け入れてしあわせに暮らすことを「提案する」のではなく、なぜ「弱者男性」の経済的困窮については国をあげた問題になって「弱者女性」の経済的困窮は問題にならないのか(「あ、そっかそれって恒常的なものだから今更問題にする必要ないのよね!わかったわ!」)、男性が経済的に困窮しているとしたら従来男性よりも低賃金で使われていた女性たちの経済状態はどうなっているのか、そういうことを噛み付くようにして「問い直す」のがフェミニズムだと、わたくしは思っていたのですけれども。

さらに、男性であろうと女性であろうとそれ以外であろうと、弱者を弱者たらしめる制度や規範や権力の配分はそのままに、現状の受け入れを通じて幸運になろうと模索するのではなく、それらの制度や規範や権力配分の正当性を笑い飛ばし、その不当性を糾弾し、それらに抗って生き延びようとするところから、フェミニズムは始まるのだ、わたくしはそう思っていたのですけれども。

わたくしのような古臭いフェミニストにとって、大手さんのなさることはあまりに先鋭的で、そしてあまりに宗教詐欺的に感じられます。イベント終了後、あの部屋にずるずると残っていたら、必ずや、壷かハンコか、良くても羽毛布団を、買う羽目になったはずです。

けれども何よりも笑うべきなのは、この議論が共催者であるWANをめぐる労働争議のただ中で行われており、そして、にもかかわらず、非正規雇用で働き、経済的に困窮する「弱者男性」を救う方法を澁谷氏が熱く力説する中、女性労働者に対する不当な賃金引き下げ(少なくともWAN側からの声明が出されていない現在、労働者側からの状況説明を読む限り、不当なものであるような印象を受けます)についてはただの一言も触れられなかった、という点であり、そしてまた、女性は男性には不可能な相互扶助の体制を作り上げてきたと繰り返して述べた上野氏が、女性同士の相互扶助が一方的収奪へと転換する構造のもっとも新しい例が眼前に存在していることはおくびにも出さなかった、という点です。

ここまで避けがたい話題を取り扱いながら、ここまで完全にその話題を避けるのは、並大抵のことではありません。はらはらドキドキのスリル満点なニアミスを繰り返しながら、ぎりぎりのところで徹底して危険を回避する。人間は緊張がとけた瞬間、笑うものです。さすが爆笑トークの名手だけあって、ツボを心得ていらっしゃいます。笑いをこらえすぎて空気が薄く感じられるほどで、わたくしはへたれのあまりに声も出せずに逃げ出してしまったのでしたが、イベントの後で浴びるように解毒するように飲んだビールは、笑いのスパイスがきいて、いつもよりなお一層まわりが早かったように思います。

そして最後に忘れてはならないのは、この慈愛に満ちた爆笑トークが、日本のアカデミック・フェミニズムの一つの象徴である研究者の主催するイベントで行われ、女性の運動をつなぐと銘打ったWANによってウェブ中継されたということ、それどころか、WANは有り難いことにこのイベントの録画版を配信し、どうやらYoutubeで公開までするつもりらしい、ということです。いやいやいやいや。まさかそこまで肝の座った自虐ネタだとは、想像すらできませんでした。このような高度な爆笑トークを堂々と公開できると考えるのが現在の日本の代表的なアカデミック・フェミニズムの場の雰囲気であり、代表的な(少なくともそれを目指している)フェミニスト・ネットワークの中での了解であるとしたら、わたくし達は本当にもう、笑わなくてはならないのでしょう。バカも休み休み仰って下さい(いやむしろもう黙って下さい)、という気分でございます。


笑わなくては。わたくし達の脳を煮えたぎらせ、身体をこわばらせ、息をつまらせる、その「死」から抜け出すために、笑わなくては。


WAN新春トークの慈愛に満ちた楽しい笑いではなく、憤りと、皮肉と、拒絶とを込めて、笑わなくては。

o-tsukao-tsuka 2010/01/16 10:04 うぅ。やはり出席して発言するべきでした。

遠藤礼子遠藤礼子 2010/01/16 17:09 WAN争議当該の遠藤礼子です.動画,時間がとれていないのですが,見なきゃいけないですね,これは.
争議へのご注目もありがとうございます.

hogehoge 2010/01/16 18:30 >>必ずしも彼一人を責めることはできないのかもしれません。わたくしのゼミなら即!超!批判!しますけれども。

これは微妙にパワハラ臭くて良いですね。人文学の男子大学院生(ストレート)と、クィアな女性専任教師は、その研究室において、どちらが権力を持っていると考えてます?

>>弱者を弱者たらしめる制度や規範や権力の配分
tummygirlさんが、まさにその制度に乗っかることで利益を得ている(大学教員が制度の側にいないと思いますか?)
また、本務校で、非常勤講師の待遇改善に、tummygirlさんがどの様な役割を果たしたから教えてください。

tummygirlさんが年収のいくらかを、遠藤さんに手当すれば、貧困格差の問題は解決するけど、しないよね。

tummygirlさんが、ご自身のもつ権力性について書いたエントリーがあるなら読みたいです。

mao_mk68mao_mk68 2010/01/16 19:44 三島由紀夫の遺作、天人五衰をお読みになればおよろしいのに。
微笑は放たれた矢ですわよ。
くすくす。

tummygirltummygirl 2010/01/16 22:54
> o-tsukaさん

本当にすみません。どこからどうつっこみ始めれば良いのか混乱して焦点を見失ったまま戦意喪失という最悪のパターンに陥ってしまいました。


>遠藤さん

わたくしの尊敬するブロガーさんは、今回の爆笑トークを「聞いている自分が一番滑稽」だ、と簡潔に仰っていて、全くその通りだと思いました。というわけで、動画をご覧になるべきなのかどうかも良くわかりません。

WAN争議の件、運動内部での労働の収奪にどう闘いどう防ぐのか、わたくし自身、収奪される側にもする側にも転びうる可能性があると思っていますので、とても気になっておりました。できるだけ良い形で争議が解決に向かうことを願っております。


>hogeさん

まず、教室内での権力配分については、教師は学生に対して確実に一定の権力を持つものの、さまざまな理由でご質問の例についてはそれほど簡単に「それは教師ですよね」と御答えできないのですが(例えば、「研究室」制度というのはわたくしの勤め先部局には存在しません)、それを抜きにしても、ゼミ内において批判すべきことがあると思えばその根拠を明らかにして批判するのは、教員の義務です。もちろん、学生の側には、その批判を受け入れない権利も、反論する権利も、ゼミを去る権利も(わたくしの所属先では、一つのゼミを去ったといって何ら成績にも将来にも影響はありません)ありますし、その権利を保障するのもまた、教員の義務ですけれども。

それから、大学教員と「制度」については、わたくしはこのブログで何度も言及しておりますので、そちらを御参照いただければ幸いです。わたくし自身の権力性については、このエントリはとりわけそれを意識し、それを利用しなかったことへの自省の上に書かれているものだと御理解いただいて結構です。

貧困格差の問題については、現実の労働の収奪に対してその構造的問題を問いなおすべく声をあげていらっしゃる方を利用してのそのような冗談は(個人相互での金銭贈与が給与体系や労働体系を含む構造的な格差を解決するというのは、冗談ですよね?)、わたくしはあまり好きではありません。


>mao mk68 さん

三島、ですか?

veinmxveinmx 2010/01/17 05:09 ユニオンWANのサイトを見ていて、初めて貴ブログを拝見しました。
プロフィールにある写真が最高に素晴らしい作品だと思います。
このポストに関しては、良いと思うのですが、過去の文章を拝読して、文章が、衒学的で理解しにくいと思います。写真のメッセージのように、もっと明解に書いた方がよいと思います。
どうか改善していただければと思います。よろしくお願いします。

こおりこおり 2010/01/20 02:19 当日仕事で本郷には行きませんでした。動画見ようとして気持ち悪くなり何より老い先短い時間をこのくだらない珍劇についやしたくないとつぶやいたら こことか友人が紹介してくれた
ので拝読。ジャンジャン衒学なさってくださませ。敬具
追伸こんど知人の出版祝いにいくのに和服の予定でしたがあの
「小料理屋ママ」風着こなしみて半襟白にいたしました。

shisokanshisokan 2010/01/20 16:51 ジェンダーフリーがホモフォビアであるのに、その批判が文献上で全くと言っていいほどに見られなかった日本のフェミニズムらしいなという思いですね。
http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/tayosei/

しかし、tummygirlさんは以前に、伏見憲明『欲望問題』でバックラッシュとか何とか言ってませんでした?伏見憲明は『欲望問題』で上野千鶴子のことを批判してますし、当事者として訴えてきた人ですし、伏見憲明にバックラッシュとか言うのなら日本のフェミニズムにあるバックラッシュ体質への批判もするべきですね。というか、『欲望問題』がバックラッシュであるとゴリ押しするのなら、日本のフェミニズムなんて強固で厳格なバックラッシュ体質がありまくりですけどね。

クィアの研究者でホモフォビアのことは言っても、ジェンダーフリーにある同性愛嫌悪への批判もできない「研究者」ばかりの日本のフェミニズムは大丈夫かなという思いはありますね。

他のことで言っても、『女たちの戦争責任』を読んでも分かるように、日本のフェミニストの戦争責任問題などを考えても深刻なことが山積みですね。ゲットーから主だった領域に入るのが日本のフェミニズムの目標であるのなら、それだけ日本のフェミニズムに反省が求められるようになりますね。

tummygirltummygirl 2010/01/21 02:42
>veinmxさん

悪文、申し訳ございません。

>こおりさん

ありがとうございます。衒学には遠く及びませんが。

>shisokanさん

申し訳ありませんが、批判をなさるのであれば、せめてその対象文献を正確に読まれてからになさって下さい。

〈ジェンダーフリー〉の名目の元で行われた試みの一部については、明確にフェミニストからの批判が出ていますし、私自身も〈ジェンダーフリー擁護/批判〉の双方の言説に見られたホモフォビアに対して批判的なエントリをあげています。『欲望問題』についてはエントリを御確認下さい。また、日本のフェミニズム言説の一部に見られるバックラッシュへの迎合については、何度もエントリを書いていますので、そちらを御参照いただければ幸いです。

shisokanshisokan 2010/01/21 12:08 ジェンダーフリーの文献は大体読みましたが。ホモフォビア批判以前に、ジェンダーチェックの問題点の批判もほとんどありませんね。上野千鶴子が「フェミニズムの現在を示す貴重な歴史的資料」と言って、『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社)、『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)、日本女性学会ジェンダー研究会『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(明石書店)、木村涼子『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社) を挙げていますが、その4冊にはジェンダーフリーのホモフォビア批判なんてなかったですね。ジェンダーチェック批判もわずかですよ。

その4冊でそれなので他のジェンダーフリー本も期待しないで読んでいると、やはり、ジェンダーフリーにある同性愛嫌悪の問題点を指摘した文献はなかったですね。文献でジェンダーチェックの多様性の制限からホモフォビアを指摘して、そこからジェンダーフリー批判につなげたものがないと言っているのですが。

エントリのようなネットにある文章ではなくて、日本のフェミニストが紙媒体に記述した文献のことです。

「〈ジェンダーフリー〉の名目の元で行われた試みの一部については、明確にフェミニストからの批判が出ていますし」ということは、かなり調べたので理解していますが。問題点がありまくりのジェンダーフリーに批判が出るのは当たり前だとは思いますが。

tummygirltummygirl 2010/01/21 12:27 >shisokanさん

はい、問題があれば批判が出るのは当たり前で、批判は出ていた、と。
その点は同意しますけれども、であれば何が仰りたいのでしょうか。
批判が出なかったから日本のフェミニズムは駄目だ、というのが御批判の要点かと思いましたけれど。

確かに紙媒体のジェンフリ本がそこまでカバーできていたかどうかは疑問ですし、その点については私も批判的です(これは出版社の了承の問題も絡むのだろうとは思いますけれども)。

そもそも「ジェンダーフリーにある同性愛嫌悪」という表現でshisokanさんが何をさしていらっしゃるのかは良くわからないのですけれども、いずれにせよ、フェミニズムは一枚岩ではありませんので、当然内部からの批判も(さまざまな点で)出ますし、出るべきだと考えます。

私も、他のフェミニストの主張に納得がいかなければ批判しますし、逆に批判されることもあります。だからといって、フェミニストの主張の全てが無効であるということではないし、フェミニスト以外のミソジニーやホモフォビアについて批判すべきではないということにもならない、というだけの事ではないかと思います。

shisokanshisokan 2010/01/21 13:36 「ジェンダーフリーにある同性愛嫌悪」は、ジェンダーチェックから批判していることです。http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/tayosei/に詳しく書いていますが。ジェンダーチェックはジェンダーフリーに基づいていて、ジェンダーチェックは二択で多様性を制限していますが、そこからジェンダーフリーの同性愛問題を批判したのは文献では読んだことがないです。ネットでの学者フェミニストたちが書いているジェンダーフリー批判の文章でも、その観点は読んだことがないですね。

ジェンダーチェックがジェンダーフリーに基づいていることは根拠があって明白であるのに、ジェンダーチェックから同性愛問題を批判するのをこれだけ避けたがる日本のフェミニストたちはとても不思議ですね。

tummygirltummygirl 2010/01/21 14:51 >shisokanさん

ジェンダーチェックへの批判は出ているわけですけれども、それがそのままホモフォビアに直結するというのは私には良くわかりません。

shisokanさんのサイトを拝見する限り、多様性の抑圧だから同性愛嫌悪であるという事のようですけれど、その二つは無関係ではありませんがそれだけを根拠にホモフォビアだけに絞った批判をするのは、あまりにも論拠にも乏しく、説得力がないように思います。それだけが根拠であれば批判対象はホモフォビアだけではなくより広いものになりますし、逆にホモフォビアの批判をしようとするならばより明快な論拠を探すことになるように思います。

ジェンダーチェックを直接に同性愛嫌悪に繋げた批判がネット上にも見当たらないとしたら、そのあたりにも一因があるのではありませんか。

shisokanshisokan 2010/01/21 15:54 ジェンダーチェックでは「男は仕事、女は家庭」などで「はい、いいえ」とかの二択の選択での質問を素朴にしてきたので、批判されるところはそこですね。ジェンダーチェック批判があまりにされてこなかったので、認知度の面で問題があるのでしょうね。

『バックラッシュ!』が出た頃のジェンダーフリー論争が起こっていた時には、ジェンダーチェック批判があまりに弱かったですね。「男女同質着替えはジェンダーフリーに基づいている」が間違いなんてすぐに分かることを必死になって批判して、それに比べてジェンダーチェックがジェンダーフリーに基づいていることの指摘とその批判からの展開があまりに弱かったなと。

「ジェンダーチェックへの批判は出ているわけですけれども」というのは、それも調べたので理解していますが、あまりにそれが少なすぎたということです。

o-tsukao-tsuka 2010/01/21 16:13 あまりに間抜けすぎるものは叩く気も起らんということですよ。

shisokanshisokan 2010/04/25 11:00 もう一度考えたのですが。
フェミニズムが一枚岩とか、フェミニストの主張が全て無効とか何も言っていないのに、勝手に規定されたので言っておきます。こちらは、日本のフェミニズムの文献をかなり読んで言っていて、ここで問題になっている上野千鶴子の代表的な文献は、大体持っています。

日本のフェミニズムを批判したら、「フェミニズムにはこれだけ多様性がある」などと言って批判者をバックラッシュ呼ばわりする者たちと同類に思えたのですが、そういう行為にかなり迷惑してきたので。

フェミニズムを批判する人たちには相当に多様性があってそれこそ全く一枚岩ではないし、フェミニズムはもはや既成思想にすぎないので文献を読んでいる人くらいいくらでもいますよ。それでその問題点を言っているだけのことです。

しかし、日本の学者フェミニストたちの「女の戦争責任論」を見るととてもじゃないが、日本のフェミニズムには多様性があると胸を張って言うことはできないですけどね。これは、女の戦争責任の研究者たちが認めていますしね。ジェンダーフリーについても、紙媒体の文献を読んで批判しているだけです。

ちなみに、「ジェンダーがセックスを規定する」の論理は私にとって既成思想すぎるものでしかないし、何ら驚くに値しないです。そういう人たちが日本のフェミニズムを批判していますね。批判者にも色々いますが。

我慢ならない我慢ならない 2012/01/21 09:25 同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば

媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては
同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果のために同性愛者を食い物にしてる
【文化人類学者のホモ研究者】

ホモ同性愛者の生態を聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用する
同性愛者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは批判も多い。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証