アニメのHなシーンを湯気や光で隠すのは、そろそろ止めにしましょう!

 
最近、アニメを見ている時に気になってしょうがないのが、パンチラや入浴シーンでの自主規制です。
 

 
湯気や光で下着や身体の一部を隠す、ああいう見せ方、手法が個人的に気になって仕方がありません。
 
ああした表現は、もうそろそろ止めにしても良いのではないか、と思うのです。といっても、私は、そういった規制を取っ払って「アニメに自由を!」とか「パンツを見せろ、乳首を見せろ!」なんて主張をしたいのではありません。
表現の自由」とか「アニメと自主規制」とか、そういう小難しい話は一旦置いておいて、おもしろいアニメ作品は沢山あるのに、そのいずれもが、自主規制の表現方法が画一的になってしまっている現状が勿体ない!…と思うのです。
 
「湯気」や「光」で、下着を隠す、身体を隠す。これって、入浴シーンなんかに使用するのは、確かに便利で都合のいい描き方です。ですが、全ての作品で同じことをやる必要はないでしょう。もっと、作品毎に工夫をしたり、個性を出したり、斬新な表現方法を取り入れたり…。
 
その辺りの見せ方に、ちょっと捻りを加えている作品っていうのは、やっぱり印象に残るものです。
 
 

■個人的に印象に残るお色気シーンの自主規制

例えば、TVアニメ「ちょこッとSister」や「ギャラクシーエンジェる〜ん」では、女性キャラクターの下着や胸部を隠すのに警察が事件現場で使うような「KEEP OUT」というテープが使われていました。
 


 


 
私は、上記の二作品を見ていて、こういった演出をとてもおもしろいと感じていました。
センス、ナンセンスは抜きにして、個性的で目を引きますし、こうした見せ方って、演出の方法論として見るにせよ、ネタとして受容するにせよ、やはり記憶に残ります。
 
他にも、川口敬一郎監督や新房昭之監督の作品のように、自主規制そのものを必要以上に過剰に演出し、ギャグにしてしまった作品や、「銀魂」のように湯気や光のようなアニメ的な自主規制の方法ではなく、敢えてバラエティー番組やAVでの規制表現に寄せて「モザイク」を採用することにより、下ネタに生々しさを出した作品*1などのように、規制の演出にすら作風や個性が滲み出ているアニメは、見ていて単純に楽しいものです。
 
あとは、もはや定番化してきた印象もありますが、イメージショット的なアニメーションに切り替える手法。
けいおん!」のパンチラシーンなんかがそうでしたよね。
 


 
こうした作品のように、下着や局部を隠すのに、湯気や光を画一的に使用するのではなく、もっとバラエティーに富んだ見せ方が各作品毎にあっても良いと思うのです。
 
 

■規制表現だって作品の個性になりうる

アニメを離れて、実写の映画作品になってしまいますが、鈴木清順監督の「殺しの烙印」などは、そうした規制表現を考える上で、なかなか興味深い作品であるように思います。
殺しの烙印 [DVD]

殺しの烙印 [DVD]

「殺し屋のランキングが存在する」という不条理な世界の中で、宍戸錠演じる殺し屋の男が巻き込まれるヴァイオレンスとエロスに満ちた闘いを、独特の映像美とシュールな演出で描いた本作は、この時代の日活映画らしい「暴力」と「エロ」という二つの要素を劇中に過剰と言える程に盛り込みながらも、監督の映像に対する強烈な個性が滲み出た作品です。
 
しかしながら、この映画は公開時に作り手側の意図せぬところで規制が施され、ヌードシーンのほとんどで画面が黒く塗りつぶされてしまったのです。
 

 
それは時に、画面の半分程を覆う巨大なものであり、
 


<日活DVD 「殺しの烙印」より>
 
ストーリーや演出、美術とは関係なしに、何の脈絡もなく画面に登場し、観るものに強いインパクトを与えます。
 
DVDに入っている鈴木清順監督のインタビューや、関連本の記述を読むと分かるのですが、本来は局部への規制にはもっと映像的なアイデアと実験を盛り込むハズだったそうです。
清順スタイル

清順スタイル

ところが、映画会社が作り手側に無断で黒塗りを作品に施し公開をしてしまった。その後の事の顛末も含めて「殺しの烙印」という映画と、いわくつきの黒塗りは、日本映画界において「カルト」としての地位を築くこととなります。
 
勿論、作った映画を自分たちの本意ではない形で公開された作り手側の悔しさや無念に対して、観る側はそのいきさつを知り、思いを馳せるべきだと思うのですが、後追いで観た人間の素直な感想を言わせていただけるならば、この無粋に思える規制表現、今見ると作品のシュールな質感に非常にマッチしていて、何とも言えない「味」になっているように感じるのです。黒塗りそのものが映画の個性の一部にすらなりえているのではないかな、と。
 
良くも悪くも、「殺しの烙印」はこの黒塗り込みで語られる作品です。そして、後年になって、この黒塗りを「スタイリッシュ」と受け取る映画ファンも登場し、「殺しの烙印」の現行DVDには未修整のバージョンと、黒塗りが施された劇場公開版の2つのバージョンが入ることとなります。
つまり、この黒塗りも、映画そのものへの価値に付随して、ある種の評価がなされることとなったのです。
 
「殺しの烙印」とTVアニメを同系列に語るのはいくらなんでも強引過ぎますが、このように映像作品を作る上で、こうした規制の数々は何もマイナスの面ばかりではないと思うのです。むしろ、そうした規制が、時に作品に強烈な個性を与える場合すらあります。
 
ですから、アニメ作品でも、こうした表現にはもっとユニークなアイデアを盛り込む余地があると思うのです。
 
 

■「湯気」「光」から離れて

テレビアニメで、TV放映時に施された自主規制の数々は、そのほとんどがDVD版ではなくなってしまいます。
前述した「ちょこッとSister」なんかは、後日DVD版を見た際「KEEP OUT」が無くなってしまっているのを見て、非常に物足りなく感じたことを覚えています。TVでは見れなかった局部や下着が露出しているにも関わらず、全く嬉しくないのです。
要は、それだけTV版の「KEEP OUT」という演出が強烈で、印象に残っていたのでしょう。
 
繰り返しになってしまいますが、アニメ作品でもお色気シーンを隠すのに、湯気や光で統一することはないと思うのです。
もっと、個性やアイデアが盛り込まれていいと思いますし、ギャグやパロディーにしてしまう自由があってもいいハズです。
現在のテレビ放映の現状から、そうした自主規制を入れざるをえないのならば、それすらも逆手にとって作品の「個性」にしてしまうようなたくましさを見せて欲しいのです。
 
 
湯気がアニメの規制表現として使われ出したのって、地上波版の「GIRLSブラボー」が放映された2000年代の前半位からでしょうか?う〜ん、もっと前からあったような気もしますが、ここまで露骨になってきたのは、やはりこの辺りからだったという気がします。(この辺の認識に、誤りがあったら申し訳ありません)
 
「湯気」や「光」の表現は、十分にその役割は全うしたと思うんです。これからは、どんどん多様化していった方が、絶対おもしろいと思うんですよね。うん。
 
 
 
<関連URL>
■アダルトメディアのモザイクの歴史的経緯 特に起源に焦点をあてて(karimikarimi様)
 
 

*1:単純に、原作の表現に合わせているだけかもしれませんが…。