スマホもガラケーもない田舎のコメディ感 - 「のんのんびより」と携帯電話

 

 
個人的に今、一番ハマっているテレビアニメのんのんびよりにまつわるアレやコレやでエントリを簡易更新!
 
 

■携帯電話がない「のんのんびより」の世界

のんのんびより」を観ていてちょっとユニークだなと思ったのが、劇中で一切携帯電話が登場をしないことスマホどころかガラケーも出てこない。このアニメの中で"携帯電話を持たない小中学生"という描写は、かなり徹底をしているイメージがあります。例えば、第二話の「駄菓子屋に行った」ではコマちゃんが公衆電話からほたるんの自宅の固定電話に電話をかけているシーンがある。メッセージの発信も受信も携帯電話を利用していないんですよね。勿論、メールですらありません。
 


 
のんのんびより」の登場人物達の電話の掛け方はかなりアナログです。もしかして、携帯電話が登場する前の時代設定になっているのかな? とすら一瞬思ったんですが、劇中に登場をするテレビ(次回予告で使われたり、この作品の中で何気に重要なアイテム)は画面比が16対9のフラットテレビで、この辺りは確かに現代的。ほたるんの家には「最新型のゲーム機」も置いてありましたし、やはり、「のんのんびより」の世界は我々が生きる時間軸と近しいものであることは間違いないでしょう。
 
そんな中で、完全にオミットしたかのように一切画面に出てこない携帯電話。こうした描写がもたらすイメージというのは、やはり、れんちょんを始めとする少女達が暮す地域の"田舎感"ですよね。実際の田舎の電波事情は自分にはちょっとよく分かりませんが、都市的、現代的なアイテムの象徴の一つである携帯電話を画面に出さないことで、そこにはユッタリとしたイメージと"田舎"という、都市に生きる私たちが存在している世界とは異なるロケーションの特別感がより一層強まる。
 
携帯を目覚まし代わりに使用してアクセク登校をする必要もなければ、急な用事で呼び出されることもない。携帯がない田舎で過ぎていく時間はまさにのんびりとした特別な時間。「のんのんびより」は携帯を描かないことで、その世界観に独特のサムシングを与えているようにすら思えます。
 
 

■携帯電話の不在によって成り立つ"笑い"

また、"携帯電話"というポイントに着目をしてみれば、実は作品のコメディの部分でも、この"携帯がない世界"というのが非常に深い意義を持っていることが分かります。というのが、例えば、前述の「駄菓子屋に行った」というエピソード。大人びた格好をして現れたほたるんを大人の女性だと勘違いをしたコマちゃんが、そのまま翻弄され続ける…というアンジャッシュライクなすれ違いコント。困惑しまくるコマちゃんの姿が笑いと可愛らしさをもたらしてくれるんですが、コレ、もしも携帯があったら成立しないコメディシーンなんですよね。もしも、携帯電話という便利な文明の利器があったならば、コマちゃんもほたるんの存在にもっと早く気付いたハズ。
 

 
同様に、水着回でのコマちゃんの迷子パートや第7話「せんべいがカレーになった」でのウサギ小屋に閉じ込められるれんちょんとほたるん…というシーンもそう。これらのシーンももしも携帯があったらなら、夏海ちゃんは姉を簡単に探し出せただろうし、小屋に閉じ込められたれんちょんとほたるんはすぐに助けを呼ぶことができた訳で。「のんのんびより」では、このように携帯があったら成り立たないコメディ、ギャグというのが沢山あります。
 
携帯電話がない…という描写が世界観の演出に加えて、コメディ面でも笑いにドライブ感を与えたり、ギャグの作風にもリンクをしているという。
 
近年のアニメでは、スマホが画面に登場することもすっかり一般化しましたが、そういったアイテムを一切登場させない「のんのんびより」。これは一種のオリジナリティーであると言っても過言ではないと思います。まさに、"田舎"だからこそ出来る描写、演出術ですよね。
 
 
 
<関連エントリ>
■元・田舎者のハートにグサグサ突き刺さります「のんのんびより」
 
<関連URL>
■ラブライブ8話と出崎を継ぐものと電話(まっつねのアニメとか作画とか様)
■戦姫絶唱シンフォギア 第08話 演出の解説 人形による暗示等(karimikarimi様)