†栄養剤は聖書の言葉†

tutinoutuwa532012-07-22

大阪は梅雨明けしたようですが、みなさんお元気ですか(^ε^)?

私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。

みなさんの心の栄養剤は何ですか?


『イエス様は言われた。「罪についてというのは、彼らが自己中心の生活をして、あくまでも私に反逆し、私を信じないことの根元が罪だということです。」』(聖書より)


私は、赤ちゃんや小さい子どもと触れ合っていると、何か 心が解放される感じがします。

それはきっと 彼らの心が自由で、まだ凝り固まった価値観がないからではないかと思います。

私達大人は 成長するにつれ、価値観が形成されていき 自由な心を失ってしまうのかもしれませんね。


私は、思春期の頃に 友人から“ぶすやなぁ”“まゆげぼーぼーやん”と言われていたせいか(“そっか、私はぶすなんや”と思い、負の感情をうまく表現できなかった) いまだに、その友人のような雰囲気の人が苦手で、“ぶすって思われてないかな”と思ったりしてしまいます(もう34才やのに‥(゜_゜;)

こういう時 きっと“心が自由でない”のだと思います。


神様のひとり子のイエス様は 私達の罪を背負って死んでくれました。

聖書に“神様を信じないことの根っこに罪がある”とありますが、私達のイメージする罪(悪いことを考えたり したりすること)は、この罪の中の一部分なのです。

神様を信じず、神様から離れているから 悪いことを考えたり、したりしてしまうんですね。

けれど、神様を信じているからといって 悪いことをしなくなるわけではありませんが、神様を信じてからは、善いこと悪いことがはっきりわかるようになっていくので、神様の力によって(祈ることによって)だんだん悪から離れていけるのです。


また例えば 私達が、自分を傷つけた相手を ゆるせなかったり 相手に対する苦い思いを持っていることも 罪の一部分なのだと思います。

だから、私達は 心に怒りや憎しみがあると とても心が重たくなります(w_-;)
私は20代の頃、“まゆげぼーぼーやん”と言った友人に対して、まだ憎しみや怒りの感情があることに気づかされ‥彼女をゆるせるよう祈っていたのですが、(その頃知り合った小学生の女の子と彼女に共通点があり、改めて冷静な視点で考えることができ)、彼女の両親が離婚していてかぎっ子だったこと‥そして彼女が しょっちゅうなっていた過呼吸が、不安や心配を抱えているとなりやすいことがわかったりして‥“きっと、精神的に不安定やったんやなぁ”と思うようになっていきました。


例え私達が、人をゆるすことはできなくても、神様から ゆるすための愛をもらうことはできます。

神様は、私達が 自分の犯した罪に対する自責の念や 人への怒りや憎しみから 完全に解放され、自由な心になることを望んでおられます。

エス様が、死後 復活されたように‥ 私達もまた 神様によって 新しい人生を生きていくことができるのですね\(*^。^*)/



『主(神様)の御霊がおられるところには、本当の自由がある。』
『誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ 全てが新しくなりました。』(聖書より)